山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

指宿公演旅日記【3】

2011-12-06 19:56:31 | No.56「KAGUYA」
■12月4日(日)

公演が明けた。
今日は指宿から更に南へ行く。

皆さま、大変おつかれさまでした。そして待望の観光です。
旅公演は劇場の中に閉じこもりばかりだったが、今回は違った。
その分、肥後丸.女史は気が抜けなかっただろう。
一番のお疲れは彼女だったのである。

砂楽

みんなで砂蒸し風呂を楽しむ。
私が砂に埋もれている姿を見て「死体!だ。」と言われ笑われる。死体を笑うな。

唐船峡

年中無休の流しそうめんを食べる。
寒いとう感覚ではなく、冬なのに「涼しい!」と言った。
近くには開聞岳、池田湖がある。



長崎鼻(竜宮神社)


KAGUYAでも登場した乙姫様(田中幸太、何処から見ても見えない乙姫様役。)は鹿児島の浦島太郎伝説によれば竜宮城から連れて来られたことになっていた。
ここでは乙姫様が祀られていた。

長崎鼻(灯台・南の海)


リフレッシュする。
肥後丸.女史は気疲れしていたのではないだろうか。
ともあれ、劇団員ふるさと公演の第1弾は幕を閉じた。
今年の演劇公演はこれにてオシマイ。

次は12月9日(金)の総打ち上げ。今年、関わった方たちとの忘年会+クリスマスなど。
後、来年の活動計画を急ぐ。

指宿公演旅日記【2】

2011-12-06 19:45:10 | No.56「KAGUYA」
■12月3日(土)

am10:00会場入り。
午前中の舞台仕込みから一気に午後リハーサルをする。
休む間もなく、pm3:00、昼の部スタート。
熊本から新人KARENちゃんファミリー(6名)駆けつけてくれた。
お母さんはビデオ記録係スタッフとして働いてくれる。
弟(小3)は稽古から見てくれているので、「音楽のきっかけが早い。」と注文をつける。
心配していた雨も降らず、客足は上々。
玄関には花が飾られていた。





無事終了とは言うものの、夜の部でトラブル発生!
クライマックスで音が出なかった。アンプのトラブルである。
リセットされていた。
アカペラで歌いオドルことになる。
「5分間の休憩を頂きます。」と叫んだ。
はじめてのお客様には気付かれなかったが、内心パニックである。
お忙しい中、大阪から見に来られたkojimaさんは気付いていたようで、演出的な変更かと思っていたらしい。

肥後丸.ファミリーやその関係者で席は埋まった。
さて、どのように思われただろう。
指宿ネタでは笑いが起こった。終演んは涙もあった。
大衆演劇と間違って見に来られた方も。・・・いいじゃありませんか。
昼・夜の部共に肥後丸.母上様に受付をしてもらい感謝しています。
ファミリーと関係者様にはお礼申し上げます。
仮面工房さんも来てくれ、搬出まで手伝ってくれる。
けいすけさん、写真記録をありがとうございました。
さて、公演会場(居酒屋)での打ち上げ。









明日12月4日は観光を楽しもう。

指宿公演旅日記【1】

2011-12-06 19:38:27 | No.56「KAGUYA」
「KAGUYA」シリーズ第4弾、
劇団員「ふるさと」第1弾(肥後丸.)指宿公演、
皆さまのお力添えがありまして、無事終了しました。
こころより御礼申し上げます。


「旅日記」【1】~【3】まで綴ります。

■12月2日(金)

熊本をam10:00、車3台(11名)で出発する。桜島Pで12:00集合。ここまで200kmある。
あと50km先が目的地の指宿。指の宿!(本来は湯美の宿が変化したらしい。)



車酔いする新人KARENちゃんが心配であったが元気そのもの。今日は楽しい遠足です。
会場である和風居酒屋「かわき」にpm2:00に到着。
pm6:00お店の開店まで4時間の速攻舞台仕込みである。
残りは明日の本番当日の午前中に続行することに。舞台は畳、和風が活きる。

指宿での2泊3日の始まりは、昨年末からの最終公演となって感慨深い。
この1年、「かぐや」を思い続けていた。
物語に悲劇が見え隠れしてきた。隙間に民衆の力強さも見える。
物語の幻想・妄想に、舞台背景を病院と重なるように変化させた。

私たちのような小劇場が初参上となった指宿に通用するかどうか、・・・
やりたいようにやって通用すれば申し分ないこと。
肥後丸.のふるさととは言え、アウェーである。
私たちは地元熊本でもアウェーのつもりで演劇をやってきたのである。
その延長だと思えば心配はない。



←黒豚丼



 宿泊所は肥後丸.兄上様の一軒家。
二泊お世話になる。
私以外は近くの温泉に出かけ指宿の湯を楽しむ。その間、私は早々に芋焼酎を兄上様と。
呑めば都である。・・・楽しい夜は午前1時まで続いた。



その昔、1971年に鹿児島に来たことがあっが、言葉が通じる。
あの時は何を言っているのかさっぱりだったのだが・・・。