スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(日米近代史① 門戸開放政策)

2023-02-22 15:52:23 | 日記
2月22日(水)
 近代の日米関係を見るに日本はアメリカに振り回されたが、アメリカにとっても対日関係は、決して余技的なものではなかった。アメリカ人の意識としては余技的なレベルのものであったかもしれないが、事実はそうではない。日米関係はアメリカの進路を決定づけるくらい、重要なものであったのだ。
 歴史は連続していて何処から何々時代が始まるとか簡単に言えないが、目印に出来る大きなエポックというものは確かにある。日米関係において日米の絡み合いは、アメリカの門戸開放宣言から始まると言って、間違いではないと思う。
 1899年にアメリカの国務長官ジョン・ヘイは、中国の門戸開放宣言を、イギリス・ドイツ・ロシア・フランス・イタリア・日本に対して発した。当時中国では列強による中国分捕り合戦が始まっていた。それまで列強は中国(清)に不平等条約を押し付けて自国の権益を伸ばしていたのだが、この頃から主目的は、租界と鉄道敷設権の獲得に移っていた。列強による租界獲得は、有体に言えば中国から領土を獲得する事と、ほぼ同じ行為である。鉄道の排他的な敷設は、広大な付属地と合わせて、やはり領土的な分捕りに等しい行為である。つまり中国はこの頃から列強によって、領土が簒奪され始めたと言えるのだ。
 それに待ったを掛けたのがアメリカである。アメリカは1898年にフィリピンとハワイを併合した。これで中国進出の足場は盤石となった。しかし分捕り合戦には出遅れたと言わざるを得ない。アメリカの中国進出は南部をフランスに、揚子江沿岸の華中をイギリスに、山東省をドイツに、そして東北をロシアに分捕られた後の事である。更にイエローモンキーの日本がロシアの食い残しを狙って虎視眈々としている。いかなアメリカと言えどここに割って入ることは下手をすれば全列強を相手とする戦争になりかねず、それは躊躇われた。
 そこでアメリカは各国の勢力圏は尊重するが、その中に於いて、アメリカ商品の排除をする事をせず、又商品に掛ける関税と勢力圏国家が運営する鉄道の運賃を、勢力圏国家のそれと同額にすることを、列強に要求したのである。これが1899年のヘイの門戸開放宣言の内容である。通商の機会均等を求めたと言っても良い。
 しかし考えてみればアメリカはよくこんな要求を出せたものだなあと感心する。各国はそれぞれ戦争とか威嚇などの「努力」をして、中国に於いて自国の勢力圏を獲得したのである。その成果が勢力圏内における自国商品の独占的流通と、他国製品に高額な運賃を課す排他的な政策である。この成果を求めてどの国も、中国を脅し戦争を仕掛けたのではないか。なのに何の努力もしていないアメリカに、その成果を差し出せとは、どういう手前勝手な野郎だと各国にしてみれば憤慨してしかるべきところである。
 当時のアメリカはGNPでイギリスの二倍、全世界の工業生産高の四分の一を占めるという、工業超大国になっていた。その力があったからこんな図々しい要求が出せたと思うのだが、言われたイギリスと日本にも弱みがあった。それはロシアの南下政策に対抗するのが難しかったことである。ロシアは中国と地続きだが、イギリスは地球を半周してこなければならない。日本は中国に近いがまだまだ弱国である。そしてロシアは中国の領土獲得に執着していた。ロシアの勢いがこのまま行けば、イギリスの利権にも手を出しかねないと、イギリスは考えた。そこでアメリカの門戸開放宣言を利用しようとしたのである。
 ヘイは一年後の1900年に第二次門戸開放宣言を出した。そこには前回に謳われた門戸開放・機会均等に加えて、中国の領土保全宣言が加えられていた。イギリスと日本はこの領土保全を旗印にして、ロシアの領土的野心を挫こうとしたのである。ヘイはこれも図々しいとしか思えないのだが、去年の門戸開放宣言にどの国も反対しなかったから(列強は互いに相手国の出方を伺って明確な反対をアメリに言わなかった)、これは国際的に承認された規約になったと、一方的に言ったのである。では今回出した領土保全宣言はまだ一年経っていないのだが、これはどうかというと、当然のごとく有効だとの態度を取った。イギリスはロシアに対抗する意味から何も言わなかった。こうして門戸開放宣言は。列強同士の仲たがいと、アメリカの工業超大国としての力から、国際規範となったのである。
 この第二次門戸開放宣言は清朝の滅亡と、中国大陸の「瓜分」の危機を救った。まあ清朝は十年後に滅亡するのだが、中国大陸がここはイギリス領、ここはフランス領と分割されることはなかった。1900年に義和団事件が起こって清朝は、どうトチ狂ったのか列強に宣戦布告した。この時「東南互保」というが、中国各地(大陸東南部の省が多かった)の総督たちが清朝に背いて、宣戦命令に従わなかったのである。各省は外国人を保護し、権益も尊重し、その代わり列強から武力行使される事態を回避した。第二次門戸開放宣言で如何にアメリカが中国の領土保全を言おうと、中国全土が列強と戦争状態に入っていたら、列強は遠慮なく中国の領土を占領し併合したであろう。アメリカだって止められない。アメリカが領土保全の宣言をした真の思惑は後述するように別の所にあったと思うが、アメリカの宣言は「東南互保」体制に力を与え、中国と列強との全面戦争を防ぎ、「瓜分」を防いだことは間違いないと思う。
 このアメリカの門戸開放宣言を後ろ盾とし、イギリスと結び、ロシアと戦ったのが日本である。こういう国際状況が無かったら、果たして日本は日露戦争を決断出来たであろうか。ここからアメリカに振り回される近代日本史が始まる。(続く)