スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(ペロペロ男の罪)

2023-02-08 10:34:20 | 日記
2月8日(水)
 バカッターどもを子供の悪戯だから大目に見ろとの意見が、例によって斜に構える面々から出ている。一昔前ならそうであったろう。ペロペロもワサビ乗せも、あっても、その周りのごく一部の範囲の人が知るだけのものだったからだ。しかし今はそれをSNSに投稿する事によって多くの人の知るところとなる。この多くの人が知るという所が、昔とは決定的に違う点なのだ。
 社会が変わった事によって、本人は普段通りの事をしたつもりでも、大きな罪に問われるようになってしまうのが、人間社会というものである。例えば江戸時代の辻斬りであるが、そう滅多に起こる事ではなかったろうし下手人が判明すれば、正規の武士であってもそれなりのお咎めは下されたと思う。しかしそれは内々の処分である。所が今は藩主や家老のような身分の高い者がやったとしても内々では済まされず、一律に殺人犯として立件されてしまう。封建社会から近代社会に社会が変わっているからだ。
 昔は一部の人が知るだけだったが、今は多くの人が知る、この違いは封建社会と近代社会の違い程の大きな差ではないが、それなりに社会が受ける影響に差が出てしまう違いである。一日に何万人の人が回転寿司を利用しているか知らないが、大多数の人はペロペロされた湯飲みを使っても、異様を感じることはないだろう。又ワサビ乗せにしてもそんな場面に遭遇する事態は、まあ一生に一度もないであろう。しかし今は自分が体験しないでも、知識として、一瞬に大多数の人に広まる。一部の人が知っているのと、大多数の人が知っているでは、その後のリアクションがまるで違ってくるのだ。共産主義社会のように寿司の供給先が限定されていれば良いだろうが、自由競争の社会では、大多数の人がペロペロなどを知っているのに店舗側が何の対策も取らなかったとしたら、その店は大多数の客から見放される。客がよその店に行ってしまうのだ。行き着くところ店舗同士の対策競争が激しくなって、回転寿司のシステムそのものが、なくなるかもしれない。或いは客がもう回転寿司の店そのものに、行かなくなるかも知れない。
 社会のシステムのほとんどは、多くの人々がシステム内部の実情を知らないこと、つまり頭の中で美化しているから成り立っている。回転寿司に限らず飲食店の厨房内部では、突つけば不衛生な事態も出てこよう。しかしだからと言って食中毒になるような事はまあない。そして我々は内部の事を知らず、清潔な調理がされているに違いないと美化しているから、外食産業は成り立って行くのだ。例えば食中毒事件をマスゴミが年がら年中取り上げて、何処の街でいつ起きたか我々が記憶できる所まで執拗に報道したとしたら、誰も食事処に行きたくなくなるだろう。
 バカッターどもはこういう事態を招いたのである。多くの人々が知り、そして頭の中の美化されたものが崩れると、現存するシステムが壊れることがあるのだ。例えば郵便アルバイトが郵便物を開封し、又閉じる悪戯をネットに挙げたら、或いはハガキの文面を読む動画を上げたら、郵便を出す人はいなくなるだろう。通販だって同じ事である。バカッターどもの行為は現行システムの破壊につながる、蟻の一穴である。決して悪戯では済まされない。だが馬鹿は何時の世の中にも存在し、そして無くならないものである。バカッターはこれからも出ると思う。SNS投稿罪とでもいうものを作るしかないと考える。