老頭児おじさん奮闘記

老頭児(ロートル)になっても、何事にも興味を持って行動をしているおじさんの奮闘記。

東村山市 第94回市民歩け歩け運動開催

2017年01月16日 | ウォーキング
平成29年1月15日(日)、東村山市教育委員会主催・東村山市野外活動連盟主管の「第94回市民歩け歩け運動」が開催されました。
晴天に恵まれた「東久留米七福神めぐり」を総勢約50名で行ってきました。

東久留米西口の受付風景です。



開会式です。



準備体操です。
この冬一番の冷え込みとのこと、入念に体操をしました。



歩き始めてすぐの黒目川では白鷺の大群です。
歓迎の乱舞を見せてくれているようでした。



最初は恵比寿、福禄寿尊、寿老尊の祀られている大圓寺です。
天台宗寺院の大円寺は、普門山三皇院と号します。大円寺の創建年代は不詳ですが、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。東久留米七福神の恵比寿尊、福禄寿尊、寿老尊が山門に安置されています。







境内に立派な松がありました。
大王松と云うそうです。



更に黒目川を遡ります。
白鷺が追いかけてきているように舞っていました。



黒目川沿いを次の米津寺に向かいます。



布袋尊を祀る米津寺です。
臨済宗妙心寺派寺院の米津寺は、円通山と号します。米津寺は、前沢村の地頭米津出羽守田盛(法名米津寺心田玄秀大居士、天和4年1684年寂)開基、僧大愚(寛文9年1669年寂)が開山となり創建したといいます。米津寺には米津氏の墓がありますが、米津氏は後加増され大名(久喜藩主)となったため、多摩地区で唯一の大名墓があるといい、また山門は、明治期の火災で寺の再建を果たすため、明治28年(1895)国分寺へ売却移築したといいます。東久留米七福神の布袋尊です。





途中あき缶で作った風車が沢山吊るされている家がありました。
いやー、見事でした。



次は、毘沙門天の多門寺です。
真言宗智山派寺院の多聞寺は、寶塔山吉祥院と号します。多聞寺の創建年代は不詳ながら、元仁年間(1224-25)天満宮別当梅本坊を起源とするといいます。貞和5年(1349)祐観上人中興して、毘沙門天(多聞天)を本尊とし、寶塔山吉祥院多聞寺と称したといいます。境内観音堂の如意輪観音は武蔵野三十三観音霊場5番、多摩八十八ケ所霊場37番、また東久留米七福神の毘沙門天(多聞天)です。





落合川沿いに咲いていたボケです。



落合川は水量が凄いですね。
きれいな水が水草をなびかせて流れていました。



落合川では鴨が迎えてくれていました。



弁財天の宝泉寺です。
天台宗寺院の宝泉寺は、峯亀山洞明院と号します。創建年代は不詳ですが、承和5年(838)慈覚大師の創建と伝えられます。東久留米七福神の弁財天です。









最後は、大黒天の浄牧院です。
山門も立派でしたよ。
曹洞宗寺院の浄牧院は、神護山と号します。創建年代は不詳ですが、文安元年(1444)八王子城主北条安祝が開基となり創建したと伝えられます。天正19年(1591)寺領30石の朱印状を拝領、前沢村・神山村・当村(大門村)に寺領を有していました。東久留米七福神の大黒天、関東百八地蔵107番です。







浄牧院で閉会式を行い解散としました。

東村山に帰ってきて駅からの夕日です。



この冬最高の冷え込みとのことでしたが、風も穏やかで、陽だまりは結構暖かかったですよ。
参加者みんなの日頃の行いが良かったのかと思っています。
怪我人もなく無事終了することが出来ました。
お疲れさまでした。