(その一部を『公式・古舘伊知郎トーキングブルースアーカイブス』で公開中)
11年ぶりの「トーキングブルース」
最初は2日やる、1日で2ステージやるといった案もあったが、
「一夜限りの復活」しかも「1ステージ」の方がカッコいい、
ということで、そうなったように記憶している。
公演日が決まり、打ち合わせを始めた当初は、
数年の間、『報道ステーション』一色だった古舘さんにとって、
僕たち作家陣やブレーンと会うのはいい息抜きにもなったようで、
穏やかな感じで進んだ。
たまには場所を変えてと、浅草近くの和風旅館の部屋を借り、
打ち合わせをしたこともあった。
だが、内容が固まっていくにつれ、緊張感は高まってきた。
決定的だったのは、本番の2週間ぐらい前だったか、
初めてやった通し稽古だった。
いざ、人前で立って通した時、
いろいろな問題点が見えてきた。
そこから内容の再考が始まった。
打ち合わせと稽古をするのは、『報道ステーション』の放送後。
反省会の後なので、いつも24時ぐらいからだった。
ラストの一週間はほぼ毎日やったはずだ。
作家はローテションで2日に1度だったが、
古舘さんは毎日。
『報道ステーション』の後、午前3時ぐらいまで稽古。
翌日は、午後の早い時間には局に入り…という繰り返し。
疲れが溜まっていくので、どうしてもミスが増える。
焦る。それがまたミスを呼ぶ。
劇場に入る前夜の通し稽古まで、
ミスなく出来たことは一度もなかったはずだ。
最後の通しは、特にミスが多かった。
こんな調子で大丈夫なのか?
正直、そう不安になった。
そして迎えた本番。
完璧だった。
稽古では何度もミスしたところも、見事クリアした。
終演後、
ステージから降りてきた古舘さんに、
僕たちが「完璧でしたね」と言うと、
「俺は本番には強いんだよ」
11年ぶりの「トーキングブルース」
最初は2日やる、1日で2ステージやるといった案もあったが、
「一夜限りの復活」しかも「1ステージ」の方がカッコいい、
ということで、そうなったように記憶している。
公演日が決まり、打ち合わせを始めた当初は、
数年の間、『報道ステーション』一色だった古舘さんにとって、
僕たち作家陣やブレーンと会うのはいい息抜きにもなったようで、
穏やかな感じで進んだ。
たまには場所を変えてと、浅草近くの和風旅館の部屋を借り、
打ち合わせをしたこともあった。
だが、内容が固まっていくにつれ、緊張感は高まってきた。
決定的だったのは、本番の2週間ぐらい前だったか、
初めてやった通し稽古だった。
いざ、人前で立って通した時、
いろいろな問題点が見えてきた。
そこから内容の再考が始まった。
打ち合わせと稽古をするのは、『報道ステーション』の放送後。
反省会の後なので、いつも24時ぐらいからだった。
ラストの一週間はほぼ毎日やったはずだ。
作家はローテションで2日に1度だったが、
古舘さんは毎日。
『報道ステーション』の後、午前3時ぐらいまで稽古。
翌日は、午後の早い時間には局に入り…という繰り返し。
疲れが溜まっていくので、どうしてもミスが増える。
焦る。それがまたミスを呼ぶ。
劇場に入る前夜の通し稽古まで、
ミスなく出来たことは一度もなかったはずだ。
最後の通しは、特にミスが多かった。
こんな調子で大丈夫なのか?
正直、そう不安になった。
そして迎えた本番。
完璧だった。
稽古では何度もミスしたところも、見事クリアした。
終演後、
ステージから降りてきた古舘さんに、
僕たちが「完璧でしたね」と言うと、
「俺は本番には強いんだよ」