気分の悪い、亡霊のような制度が残っている。
ただし、森繁久弥その人には何の含むところはない。
森繁久弥の社長シリーズや駅前シリーズは面白かった。
故森繁久弥氏に従三位 政府閣議で 文化勲章につづき (産経ニュース 2009.12.8)
政府は8日の閣議で、大衆芸能分野初の文化勲章を受章し11月10日に老衰のため死去した俳優の森繁久弥氏(96)に従三位を贈ることを決めた。
森繁久弥に文化勲章をあげたのはいい。
国民栄誉賞をやるのもいい。
しかし、「従三位(じゅさんみ)」となると話は違ってくる。
「従三位」は、官位・位階ということになる。
そしてその位階に叙することを叙位という。
現在、生存者に対する叙位は行われないことになっている。
ところで官位・位階とは何か。
聖徳太子の冠位十二階が有名であるが、その後律令制度が整うにつれ江戸時代の終わりまでほぼ変化なく続いたものである。
官位・位階は”天皇の臣下”としての序列を表す。
一位から八位まで、そしてそれぞれに正・従があり、さらに四位以下には上下がある。
いわゆる公卿というのは、三位までと四位の一部(参議)が含まれる。
今で言う閣議の構成員である。
官位・官職の制度は明治維新と第二次大戦を経て大きな変化を受けた。
官職は職名は変わったが、今の公職に当たるものでこれは存続しているといってもいい。
叙位は死没者に限定してまだ残っている。
先日なくなった中川昭一には「正三位」が贈られている。
このことにも異議があるが、今回はなおさらである。
議員や公務員に位階を与えることさえ気分が悪い。
まして森繁久弥さんは正真正銘の民間人である。
位階は、天皇を頂点とする国家の支配機構のヒエラルキーである。
現行憲法では、国民は主権者であり、天皇の臣ではない。
天皇は国民統合の象徴であり、国民との関係は主従の関係ではない。
叙位は、死後の贈位とはいえ、国民を天皇の臣下として位置づけるものである。
現代においていかに意味づけを変えても、1000年以上の歴史の記憶は厳として残っている。
だからこそそんなものを名誉として喜び欲しがる者がいる。
森繁久弥は自分に「従三位」という官位が贈られることになったことを知らない。
もし、生前に贈位の事を知らされていたとしたら、
「おれはあのアル中の中川の下かい」と苦笑したかもしれない。
もっとも森繁が中川昭一を知っていたかどうかは分からないが……。
もしかしてテレビで何度も繰り返されたあの場面は見たことがあるかもしれない。
これが「正三位」の人物である。
ちなみに西郷隆盛は「正三位 陸軍大将」であった。
森繁も西郷さんの下であることについては何も言わないだろう。
死者に与える名誉の証であるから、などという言い訳は聞きたくない。
死んでから天皇の臣下に組み入れられることなどまっぴらである。
もっともわたしのような者が、官位・勲章など受ける心配は皆無ではあるが。
文化勲章があり、文化功労者があり、人間国宝があり、国民栄誉賞もあり、春・秋の生存者叙勲もある。
競馬に天皇賞があり、大相撲に総理大臣杯がある。
その他の表彰制度も無数にある。
それで十分ではないか!
戦後、生存者叙位・叙勲が廃止され、やがて生存者叙勲が復活したときもさすがに叙位はそのまま残されている。
栄典制度の沿革
(3) 戦後の勲章制度の推移
・ 日本国憲法施行と同時に、栄典制度のうち、爵位の制度及び金鵄勲章を廃止。
・ 昭和21年5月3日、閣議決定(「官吏任用叙級令施行に伴う官吏に対する叙位及び叙勲ならびに貴族院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」)により、官吏等に対する叙位、叙勲は、新憲法が制定され栄典制度の確立を見るまで、外国人に対する叙勲及び文化勲章を除き、生存者に対するものは一時停止。
・ 昭和28年9月、閣議決定をもって、生存者であって緊急に叙勲することを要するものについては、叙勲を一部再開。(同年、西日本を中心として各地に風水害が発生し、これに対し、救難、防災、復旧に挺身した功労者が多数に上り、栄典制度活用の必要が痛感されたことによる。)
(4) 生存者叙勲の再開
・ 昭和38年までの間、歴代内閣により、栄典制度の検討が試みられ、3回にわたり法案が国会に提出されたが、いずれも成立には至らず。
(その後、国家再建に特別の功労のある人々に対する叙勲の必要性、現行勲章に対する内外からの高い評価を踏まえ、歴史と伝統のある従来の勲章を基本とした生存者に対する叙勲の早急な復活に向けた検討が行われる。)
・ 昭和38年7月12日、生存者叙勲の閣議決定。
(「生存者叙勲は、昭和21年5月3日および昭和28年9月18日の閣議決定により、緊急を要するものを除いて、一時停止したが、栄典制度に対する国民の期待その他の事情を考慮し、今回現行栄典制度による生存者叙勲を開始するのが適当である。」)
生前に駄目なものは死後でも駄目である。
位階制度は即座に廃止すべきである。
閣議で異議を唱えるものがいなかったのも不思議である。
福島瑞穂は黙って署名したのか!
法務大臣 千葉 景子 社会党系
農水大臣 赤松 広隆 社会党系
経済産業大臣 直嶋 正行 民社党系 トヨタ労組
文部科学大臣 川端 達夫 民社党系 東レ労組
官房長官 平野 博文 松下労組
国家公安委員長 中井 洽 社会党系
こいつらも全員いそいそと署名したのか。
時代が変わったのか、こいつらが変わったのか……。
時代は経済から政治へ!
古書 那珂書房
特に歴史書が充実しています
ただし、森繁久弥その人には何の含むところはない。
森繁久弥の社長シリーズや駅前シリーズは面白かった。
故森繁久弥氏に従三位 政府閣議で 文化勲章につづき (産経ニュース 2009.12.8)
政府は8日の閣議で、大衆芸能分野初の文化勲章を受章し11月10日に老衰のため死去した俳優の森繁久弥氏(96)に従三位を贈ることを決めた。
森繁久弥に文化勲章をあげたのはいい。
国民栄誉賞をやるのもいい。
しかし、「従三位(じゅさんみ)」となると話は違ってくる。
「従三位」は、官位・位階ということになる。
そしてその位階に叙することを叙位という。
現在、生存者に対する叙位は行われないことになっている。
ところで官位・位階とは何か。
聖徳太子の冠位十二階が有名であるが、その後律令制度が整うにつれ江戸時代の終わりまでほぼ変化なく続いたものである。
官位・位階は”天皇の臣下”としての序列を表す。
一位から八位まで、そしてそれぞれに正・従があり、さらに四位以下には上下がある。
いわゆる公卿というのは、三位までと四位の一部(参議)が含まれる。
今で言う閣議の構成員である。
官位・官職の制度は明治維新と第二次大戦を経て大きな変化を受けた。
官職は職名は変わったが、今の公職に当たるものでこれは存続しているといってもいい。
叙位は死没者に限定してまだ残っている。
先日なくなった中川昭一には「正三位」が贈られている。
このことにも異議があるが、今回はなおさらである。
議員や公務員に位階を与えることさえ気分が悪い。
まして森繁久弥さんは正真正銘の民間人である。
位階は、天皇を頂点とする国家の支配機構のヒエラルキーである。
現行憲法では、国民は主権者であり、天皇の臣ではない。
天皇は国民統合の象徴であり、国民との関係は主従の関係ではない。
叙位は、死後の贈位とはいえ、国民を天皇の臣下として位置づけるものである。
現代においていかに意味づけを変えても、1000年以上の歴史の記憶は厳として残っている。
だからこそそんなものを名誉として喜び欲しがる者がいる。
森繁久弥は自分に「従三位」という官位が贈られることになったことを知らない。
もし、生前に贈位の事を知らされていたとしたら、
「おれはあのアル中の中川の下かい」と苦笑したかもしれない。
もっとも森繁が中川昭一を知っていたかどうかは分からないが……。
もしかしてテレビで何度も繰り返されたあの場面は見たことがあるかもしれない。
これが「正三位」の人物である。
ちなみに西郷隆盛は「正三位 陸軍大将」であった。
森繁も西郷さんの下であることについては何も言わないだろう。
死者に与える名誉の証であるから、などという言い訳は聞きたくない。
死んでから天皇の臣下に組み入れられることなどまっぴらである。
もっともわたしのような者が、官位・勲章など受ける心配は皆無ではあるが。
文化勲章があり、文化功労者があり、人間国宝があり、国民栄誉賞もあり、春・秋の生存者叙勲もある。
競馬に天皇賞があり、大相撲に総理大臣杯がある。
その他の表彰制度も無数にある。
それで十分ではないか!
戦後、生存者叙位・叙勲が廃止され、やがて生存者叙勲が復活したときもさすがに叙位はそのまま残されている。
栄典制度の沿革
(3) 戦後の勲章制度の推移
・ 日本国憲法施行と同時に、栄典制度のうち、爵位の制度及び金鵄勲章を廃止。
・ 昭和21年5月3日、閣議決定(「官吏任用叙級令施行に伴う官吏に対する叙位及び叙勲ならびに貴族院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」)により、官吏等に対する叙位、叙勲は、新憲法が制定され栄典制度の確立を見るまで、外国人に対する叙勲及び文化勲章を除き、生存者に対するものは一時停止。
・ 昭和28年9月、閣議決定をもって、生存者であって緊急に叙勲することを要するものについては、叙勲を一部再開。(同年、西日本を中心として各地に風水害が発生し、これに対し、救難、防災、復旧に挺身した功労者が多数に上り、栄典制度活用の必要が痛感されたことによる。)
(4) 生存者叙勲の再開
・ 昭和38年までの間、歴代内閣により、栄典制度の検討が試みられ、3回にわたり法案が国会に提出されたが、いずれも成立には至らず。
(その後、国家再建に特別の功労のある人々に対する叙勲の必要性、現行勲章に対する内外からの高い評価を踏まえ、歴史と伝統のある従来の勲章を基本とした生存者に対する叙勲の早急な復活に向けた検討が行われる。)
・ 昭和38年7月12日、生存者叙勲の閣議決定。
(「生存者叙勲は、昭和21年5月3日および昭和28年9月18日の閣議決定により、緊急を要するものを除いて、一時停止したが、栄典制度に対する国民の期待その他の事情を考慮し、今回現行栄典制度による生存者叙勲を開始するのが適当である。」)
生前に駄目なものは死後でも駄目である。
位階制度は即座に廃止すべきである。
閣議で異議を唱えるものがいなかったのも不思議である。
福島瑞穂は黙って署名したのか!
法務大臣 千葉 景子 社会党系
農水大臣 赤松 広隆 社会党系
経済産業大臣 直嶋 正行 民社党系 トヨタ労組
文部科学大臣 川端 達夫 民社党系 東レ労組
官房長官 平野 博文 松下労組
国家公安委員長 中井 洽 社会党系
こいつらも全員いそいそと署名したのか。
時代が変わったのか、こいつらが変わったのか……。
時代は経済から政治へ!
古書 那珂書房
特に歴史書が充実しています
地獄界:自分の意思・意志で活動することが出来ない状態。
餓鬼界:むさぼりの人
畜生界:人をさげすんだり、自分を持ち上げようとする人・状態。
人界:平らかな人間の状態
天界:喜び・有頂天の状態
だそうだ。
これらの状態を輪廻するのが娑婆世界だという。
天皇という言葉はだれがつけたか知らないがくしくもこの六道の頂点といういみではなかろうか。
日本人は死ねば大往生だとか成仏すると信じているが、死んでまでもこの六道に縛り付けられるとはかわいそうな人々じゃのう。
ちなみに成仏とはこの六道から離れて四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)の世界に入る(往生)ことを意味するという。
娑婆世界でやっしゃもんじゃしている勿怪どもにはわからないことかもしれないことだが。
もうひとつ付け加えると天界は五衰を受けると教えられている。
>位階は、天皇を頂点とする国家の支配機構のヒエラルキーである。
現行憲法では、国民は主権者であり、天皇の臣ではない。
天皇は国民統合の象徴であり、国民との関係は主従の関係ではない。
叙位は、死後の贈位とはいえ、国民を天皇の臣下として位置づけるものである。
ほんとうに共感します。
天皇は、天皇という世襲の役職についている国家公務員にすぎません。現実は、本末転倒です。主権者国民が、主権者とのしての自覚を強める必要があると、常日頃感じておる所以です。主権者国民が自公政権を退場させたのですから、国民の付託に応えて民主党政権は、憲法の理念と条項を誠実に実現するように為政を行う責任があると思っております。叙勲、位階制度は戦前の天皇制軍国主義の遺物であり、戦後も図う図うしく、自民党政権により権力的支配の道具に利用されて来ているものと、認識しております。先ず手始めに、位階制度は新政権により絶対廃止してもらわなければならないと思います。民主政治が根底から腐って行きます。
ところで普天間基地と岡田外相の問題は、田中宇氏が的確な分析をしていました。http://tanakanews.com/091208japan.htm
どうもお説が高邁過ぎて、今一つ理解しかねるのですが。
当方の無知を恥じ入ります。
官位の問題はまったく世間の注意を引いていないようです。
わたしは国の在り方の根本に触れる問題だと思っているのですが……。
基地の問題は、アメリカとの関係も含めて考え直す時期でしょう。
実際にはもっと早くやらなければならなかったことですが、自民党では無理だったことですね。