山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

政治記者は「政局」を追え

2004年02月15日 | メディア論
新聞の政治面に載る記事。「政府は、今国会に○×法案を提出することを決めた」といった政策記事のほか、「政権党最大派閥の首領Aと第三派閥のBが、銀座の料亭で長時間話し合った・・・」などの政局記事もよく見かける。

政策関係の記事は、関心のある読者以外はそれほど熱心に読まないが、政局記事は大衆の関心をひきつけやすい。テレビでも料亭前の映像が流れ、政局絡みのニュースが面白おかしく伝えられる。

こうした報道に食傷気味の国民は、とかく「新聞やテレビは興味本位の政局報道より、政策とその国民生活への影響などの報道に努めよ」などと苦言を呈しがちなものだ。

確かに、テレビの政局ニュースは、週刊誌から毒気を引いてドラマ色を加えたようなつくりも多く、「これが本当に報道なのか」と疑問に思うこともなくはない。とは言え、「政局」ほど国民生活に直結するマターはない、とも思う。それは「権力のゲーム」だからだ。

昨年の自民党総裁選。小泉純一郎総裁に反発する野中広務氏と、小泉氏の再選に動く青木幹雄氏の「不仲」が伝えられた。当然、ふたりは不仲を否定し、「げすの勘繰り」とばかりに報道批判を繰り返した。しかし、実際には、両者のせめぎあいは熾烈を極め、関係修復は不可能な段階に入っていた。

政策は時期が来れば公表される。それを事前にすっぱ抜くのは特ダネではない。しかし、権力闘争の過程は、誰かが暴露しない限り、永久に国民の目から隠される可能性があるのだ。

一見上品に見える政策報道とて、実は生々しい政局と無関係ではない。日本では、政策は官僚(=行政府、霞ヶ関)がつくる。官僚がつくった法案は、国会(=立法府、永田町)で、様々にねじまげられ、法律として国民生活を拘束するのだ。霞ヶ関製の政策が、永田町という「ブラックボックス」を通ることで、どのように変化していったのか―。これを追うのが、本来の政治報道である。

ときに、その過程は、国政選挙や党首選などの政治スケジュールと複雑に絡み、永田町から赤坂、銀座の料亭街へと持ち越される。記者たちが夜な夜な料亭を張るのは、必ずしも「興味本位」ではない。

ところで、官僚が練る法案は、国家や権力側の都合でつくられる。こうした法案を、「国益」という視点から再検討し、より良い形につくりかえるのが政治家の仕事だ。とは言うものの、実際に法案が永田町を通過する過程では「国益」でなく、多くの政治家の「選挙区の利益」の妥協によって切り刻まれ、変質を余儀なくされていく。ときには、政治家個人の私腹をこやす「私欲」によって、国家の政策がねじまげられるのだ。

こうした過程を、一般国民に暴露するのが「政局報道」である。当然、ばらされたくない政治家は「興味本位の週刊誌的報道だ」「下世話な話ばかりだ」「永田町新聞ではないか」と、新聞政治面を酷評する。それでも新聞記者は日夜、料亭を張る。海千山千の政治家たちが、「政策を食う」姿を描写するために。

政治家たちのマスコミ批判は、一面で当たっていても、一面では当たらない。われわれ国民は、彼らに乗せられず、かつ常に批判的な視点で、毎朝の政治面に目を通さなくてはならないのだ。(了)

最新の画像もっと見る