山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

金正日と朴正煕

2005年03月08日 | 日本の外交
金正日氏が北朝鮮内で孤立しているのではないか、というこれまでの推測を捨てようと思う。専門家から見れば「何を今さら」と思われるかも知れないが、少なくとも彼が現状打開を望んでいて、守旧派の軍部との間で板ばさみになっているという“好意的”解釈には、自信を持てなくなった。

北朝鮮は独裁国である。この、極めてオーソドックスな―それゆえに異論を差し挟みたくなる―定説に、私は敢えて立ち戻ることにした。この国に、やはり金正日氏以外の「意思」は存在しないのだろう。

北朝鮮は最近、外務省声明という公式な形で「核の保有」を初めて認めた。慌てた中国が共産党幹部をピョンヤンに送ったが、金氏はこの中国特使に、声明とほぼ同様の見解を述べたという。ラジオやテレビ、党機関紙などを通じて発せられる北朝鮮の見解の多くは、後になってみれば、その時点での金正日氏個人の考えを忠実に反映していたことが分かる。金氏本人が原稿を書いていると考えても差し支えないかも知れない。

その体制は国家というより、私企業に近い。しかも半島の北半分という広大な土地を占有した私企業である。そのトップには当然、コクド(西武グループ)の堤義明会長と同等の広範かつ絶大な決定権が与えられているに違いない。

規模の大き過ぎる企業は、株式を公開し、決定権を株主に広く分譲しなくては適正に運営することはできない。それがイヤなら、独裁だ。北朝鮮という古い体質の巨大企業は、上場企業を装いながらも実態は、2世社長の独裁による一族支配を続けてきたのであろう。

わたしは先に、2002年9月の「ピョンヤン宣言」を、過去の路線の清算を望んだ金正日氏の「決断」の結果と分析した(「金正日は『脱北』を望んでる?」 )。しかし、その後の日朝外交の停滞を見る限り、それは固い意思に基づくべき「決断」と呼ぶに値するものとは思えなくなった。(むしろ、日本側の小泉純一郎首相の意思のほうが固いとさえ言える)

3年前の歴史的な対日和解は、独裁者の「気まぐれ」だったのか。だとすれば、その動機は何だったのか―。

消息筋によると、金正日氏は数年前から、半島南部の同朋国家・韓国がなぜ、「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済発展を成し遂げ得たかについて、熱心に研究していたという。その結果、彼は「朴正煕クーデターとその後の開発独裁路線」に経済発展の基礎を見出したのではないか。(金氏は、朴大統領の娘である朴権恵氏を北に招いて会見している)

朴政権が開発独裁の原動力としたのは、日韓国交正常化の過程で(賠償金放棄の代償として)手にした、日本からの経済援助だったことは知られている。だとすれば、朴正煕研究が「マイブーム」になっていた当時の金正日氏が、日韓国交正常化をモデルに対日外交を組み直そうと考えたであろうことは、想像に難くない。

この仮定に立てば、金氏が国防委員長に就任し、軍事優先の「先軍政治」を標榜したことも、「軍部の不満分子を掌握するため」などでなく、単純に「朴正煕の軍事クーデターと維新憲法の制定を真似ただけ」と見るべきなのかも知れない。

金正日氏が目指した「大同江の奇跡」は、しかしながら「拉致」が障害となり、第1ステップからつまづく結果になった。韓国と同じように賠償放棄に応じたにもかかわらず、日本からの経済援助は得られなかったのである。金氏は落胆したに違いない。

孤独な独裁者の次の「気まぐれ」を待つ余裕は、われわれにあるのだろうか。

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