親鸞聖人750回大遠忌法要
さて、ブログ愛好の皆様大変長らくお待たせ致しました。やっとブログの材料が出来ましたのでお載せ致します。
平成23年11月9日(水)~11月11日(金) 2泊3日の親鸞聖人750回大遠忌法要と、飛騨高山市内(陣屋、真連寺(中村久子) 屋台会館) 白川郷
散策(和田家、明善寺) 方面に旅行に出かけました。今回の旅行の一番の目的は親鸞上人750回大遠忌法要でした。
岩国市美和町全部の浄土真宗関係のお寺の団体参拝で大型バス3台に分譲して美和町(秋中)から出発して鮎谷(6.20分)~大竹駅(6.50分)~大竹IC(7.00分)山陽自動車道を通り小谷SA(8.15分)~吉備SA(9.50分)~三木SA(11.30分) 中国、名神自動車道を通り京都IC(12.30分)~本山(12.45分)~西本願寺にて750回大遠忌法要(14.00~16.00)~本山の中にて自由行動(16.00~17.00)~新都ホテル(17.30分)に着きました。西本願寺にての750回大遠忌法要は実に全国からこられた人達で、午前の部と、午後の部に分かれて、私達は午後の部に参拝しました。
それが多人数で一辺に3000人位しか入れませんでした。本山で2時間ばかり750回大遠忌法要を聞いてホテルに入った時は少し疲れました。
11月10日の朝も午前5時に起きて5.30分ホテルから西本願寺迄バスにて、朝のお努め(晨朝)(6.00~7.00)に出かけました。そのあとホテルに帰り朝食でした。
それではいつものとうり親鸞聖人750回大遠忌法要を
少し述べて見たいと思います。
親鸞聖人は平安時代も終わりに近い承安(じょうあん)3年の春、京都の日野の黒で誕生されました。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり) 母は吉光女と伝える。親鸞聖人は養和(ようわ)元年(1181年) 9歳の春、叔父の日野範綱(のりつな)にともなう。
親鸞聖人は鎌倉前、中期の僧呂。浄土真宗の開祖。京都生まれ、初名は綽空、善信とも称し、愚李と号す。論号は見真大師、親鸞聖人は2歳~
29歳まで20年間、比叡山で厳しい修行を積んでいました。しかし20年の修行を積んでも様々な苦悩を抱いていました。
戦乱しで貧しい思いをする民衆何も出来ない自分。そこで親鸞聖人は山を降りて、浄土宗の開祖法然上人に入門し、專修念仏に帰依。
念仏弾圧で越後に流されましたが其ののち罪を許された親鸞聖人は、建保(けんぽう)2年(1214年)常陸国(ひたちのくに)茨城県へ旅立ち、
浄土真宗を開きました。20年後京都に帰り、弘長2年(1262年)90歳で亡くなりました。
◎それでは又いつものとうり下記の写真にてご説明致します。
西 本 願 寺 正 門 入 口
親鸞聖人750回大遠忌法要のカンバン
今回の親鸞聖人750回大遠忌法要参拝客の記念写真を撮って居る所
西本願寺(阿弥陀堂にて)和尚様が拝んで居られる所
西本願寺にの境内て集合して居る所
世 の な か 安 穏 な れ
白 洲 布 教 の 菊 展
本 願 寺 献 菊 展
竜 虎 殿
総 合 案 内 所
西 本 願 寺 の 旗
西 本 願 寺 (総御堂、阿弥陀堂)
西 本 願 寺 の 外 周
親鸞聖人750回大遠忌法要が終わってバスにて東急ホテルに向かう所
次回を楽しみにお待ちしています。
又飛騨高山方面の旅行記録を載せますので良く
見て下さいませ。
HKより
大分時間がかかりましたね?
大変よく出来ていました。
でも説明分がなければ良くわからないとおもえば頑張ります。
HKより