山口待機の「仕事のキモ!」

フリーのキャリアカウンセラーによる、「お仕事」についてのコラムです。就職、転職の方法などを、分かりやすく解説します。

2014.9.6 身体性を考えてみるということ その1

2014-09-06 | Weblog
ずいぶん、時間が経ってしまいました。前回の更新のあとも、キャリアの仕事をさせていただいています。

キャリアカウンセラーの資格を取得して、今年で10年目です。

この10年の間に、キャリア関連の理論も増えましたし、社会情勢もめまぐるしく変化を続けています。前者で言えば、私が資格を取るときに利用した通学コースは当時6日間でしたが、今は10日間になりました。4日分、ボリュームが増えています。後者で言えば、デフレで不景気だと言っていたのが、今は、好景気で人不足。有効求人倍率も1を超える地域が増えました。

変わらないのは、どういう時代であれ、就職に困る人は困っているということです。有効求人倍率が上がっても、希望する仕事が少ないと嘆く人の数は変わらないような気がします。これは社会人の場合。

学生さんにおいても、あまり変わっていないような気がします。高校生向けの就職ガイダンスのお手伝いに行っても、参加する高校生の「自分事ではない」感じは変わりません。大学生になると、景気に左右されることをより感じるのでしょうが、私は大学生のキャリア支援にかかわったことがないので、よくわかりません。


就職活動というのは、科学と非科学がないまぜになっています。

科学というのは、再現性のあることを意味します。または数字で著わされるものかもしれません。
これこれこうしたら、こうなる、というものです。誰が、どこで行っても同じ、というのが科学です。就職活動での一例は、数多く、同時期に応募すれば早く就職できる、という事例があります。ガイドやノウハウものというのも、ちょっと科学的(を目指す)アプローチです。(時代や地域で変わるので、再現性が続くわけではない。10年前のノウハウでは、今は通用しないものも多い)

非科学は、再現性がないものです。同じ仕事をしても、達成感を感じる人もいれば、不満を述べる人もいる。こうした例が非科学性です。やりがい、は非科学の領域のものなので、求められても再現できる、提供できるものではありません。


科学と非科学がないまぜになっているので、面倒なこともありますが、反面、面白みもあります。ダイナミックさを感じたり、縁に感謝したり、嫌だったこともいい思い出になるというサイクルが回ると、自分らしさが体感できて、充実感を覚えます。

非科学的なものの最たるものは「自分自身」ではないかと私は思います。同じ家で育ったのに、兄弟とは全然違うというのは普通にあります。双子でも、あります。自分の好き嫌いだって変わるし。そこを仮置きでもいいので、明らかにしておこうというのが、自己分析で、平たく言うと好き嫌いを考えるものです。こういう作業が好き、あるいは嫌い、というふうに考えます。

できるだけ、紙に書いておくとか、ワークシートに入力していくことがコツです。こうすることで、自分のことを「可視化」し、自分でも見返すこともできるし、他人に見せてコメントをもらい、自分では気づかなかったことを発見できるというメリットがあります。なにより、毎回、自分のことを口頭で説明しないで済みます。

この自己分析が仕事選びと、就職するための自分を表現する自己PRへと発展していきます。

ですが、この自己分析にとらわれると、就職は遠のいてしまうことがあります。

この項、続く。

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2013.02.09リアリティショックに関して

2013-02-09 | Weblog
ずいぶん間が空いてしまいました。

以前、キャリアショックに関してお話した回がありました。今回もそういう話です。キャリアショックというのは、キャリアに変化があった場合に生じるショックで、就職や異動、転職や退職の際に起こる「こんなふうになっているのか?(知らなかった)」というショックです。

今回、お話する「リアリティショック」も同義ではあります。

これは「世間ってそうなっているのか?」「この業界って実はそうだったのか」という、現実を知る、知らされることについてのショックの総称です。

私事で恐縮ですが、分かりやすい例だと思い、紹介します。

私は2000年代初頭に、10年以上勤務した企業を退職しました。地方の中小企業でしたが、当時の私にとって『社会』とは、その企業を通したものでしかありません。その企業で働いて得る賃金が自分の価値だと思っていましたし、その企業の風土がそのまま「働き方」のサンプルになっていました。

当時の私は、その企業で、(今から思うと)良い給料をもらっていました。それは当然の成果だと思っていました。

しかし

退職してみて、その給料が相場からすれば高いものであったことに気付かされます。正確には「思い知らされます」。

当時の私が私を測る基準は給料でしかありませんでした。自分の技能や経験、人脈といったものを数値化するのは「給料」でしかありませんでした。退職してみると、企業の看板がなくなった私に対して、あからさまに態度を変える人もいました。本当に、昨日までは笑顔で接していた顧客が、翌日には他人行儀になっていました。看板のない一個人にはいろいろな限界がありました。

そして求職活動をしましたが、同じだけの賃金を払う企業は地元にはなく、相場の高い地元を出ると言う発想すら私にはありませんでした。無為に時間がすぎ、仕事するカンも体力も鈍りました。

「なぜ世間は自分のことを知ってくれていないのだろう?」
「なぜ世間は自分のことをちゃんと評価してくれないのだろう」
「なぜ自分は世間に受け入れられないのだろう」

そんな気持ちになり、応募書類の作成、求人情報の検索などの就職活動をせず、支援機関がなにもしてくれないと怒り、いたずらに時間が過ぎて行きました。

加えて、私は「私であることの証明」を生活のレベルに求めていました。当時、発泡酒が出たてでしたが、私は安いソレを飲まずに、収入もないのに、ビールを買い続けましたし、いつものペースで飲み続けました。食品にしても、〇割引とかシールの貼ったものを買わせず、正価で買い続けましたし、米も10kgで4000円以上のものを買いました。収入がないのに、同じ生活レベルを当たり前のように続けていました。自分であることの証明を生活様式に求めていました。格が落ちると思っていたのです。


これらが、リアリティショックの現象です。


私の場合、10年程度の企業でのキャリアで形成された「私自身の市場価値のイメージ」というのは、とても脆いもので、他社への流用性が高くなく、それに気づくのに、数ヶ月という時間と100万円単位のお金を無駄にしました。簡単に言えば、実入りの無いのに見栄を張った生活を続けたということです。そして、当時の私にはエンプロイアビリティとキャリアの用語で示される「雇われる能力」が低かった。正確には「その概念もない受動的で権利ばかりを主張する人」でした。
 一企業で長く勤務すると、その勤務が終わった時に、企業のフィルターで見ていた社会の実相が違うことに気が付かされます。バーンアウト(燃え尽き)が起きるのもこのためです。企業に在籍し続けたことで、賃金が上がる年功序列や終身雇用制度にいた人は特にそのショックが大きいと思います。

企業に在籍し続けたことで「在籍ポイント」が溜まるのじゃないかと私は思います。そのポイントを現金化するのが退職金であると思います。ですので、そのポイントは他の企業では使えません。だから賃金が下がるのは当然とも(今の私)は思いますが、ショックの渦中にある人には理解できないと思います。役所や支援機関は、給与の相場を数値化して提示しますが、これが受け入れられない。

受け入れるためには、正当な自己分析、棚卸が必要です。したことがない人が殆どなので、戸惑いも出てきます。棚卸に関しては、現有資産と今後必要な資産をちゃんと計算することが手っ取り早いかもしれません。数値化できるのはお金の部分かな、と思うからです。それはご家族とだけではなく、ファイナンシャルプランナーといった専門家を交えた方が良さそうに思います。

また、頭で考えてばかりでなく、行動を起こすことも良いと思います。だって、待っていても同じ給料をもらえる会社はないのだから。どんどん動いて、動く中で、社会を感じていく。目の前の求人票が、翌日には金額が高くなっているわけではないのです。考えているうちに他の人が応募してその求人はなくなってしまいます。


仕事がないのに、乗っている車は高級車。こういう現象が地方では多く見受けられます。
自分の家を経営するのに、収支のバランスをよく考えることも重要となります。経営の立ち行かなくなった大企業の多くは、収入が少ないのに、同じような支出を重ねたところが少なくありません。アメリカの自動車会社たちが経営難になって国に援助を求めにワシントンDCに経営者が行ったとき、プライベートジェットで乗り付けた経営陣に「この一大事にそんな贅沢して、身の程知らず」と議会から強く怒られて、自社の車で何千キロと乗って出直したことがあります。(これはまた別の話ですが)



最後に


収入が減ってもなんとかなるものです。前述の支出を抑える方策は必要ですが。

日本と言う国は良い国だなあと思います。衣食住も収入に合わせて値段が違って同じようにできます。年末のスーパーのチラシを見られましたか? 年越しそばを食べるのに、安いのは一玉10円くらいで食べられます。夏のウナギだって、牛丼屋で1000円以下で食べられます。アルコールもビール、ビールに似せた酒など、「ビール気分」を堪能できます。グレードの差異はありますが、気分は味わえます。国や地域によっては、あるかないか、しかないところが多いです。このあたりの考察はコラムニストの「ちきりん」さんの本が参考になります。


 なかなか現実を受け入れるのは苦痛かもしれませんが、それを受け入れると無限の可能性が見えてきます。それは年齢には関係がないように思います。




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2012.08.23 歌は世につれ、世は歌につれ

2012-08-23 | Weblog
ずいぶん間が空きました。

ここのところ、各地で同じ内容のセミナーをするサブの講師をさせていただいています。内容は同じなのに、参加者のみなさんのノリや雰囲気がずいぶん違うのが新鮮で、地域性というのはあるのだなあと感じ入っています。


そんななかで、昨晩、就職や就職スキルって、歌を歌うのに似ているとふと思いました。

ジャンルもさまざまで、その好き好きもさまざま。これは業種の違いや自分が好きな業種がみんなで違うことに似ています。

同じジャンル(業種)でもたくさんの曲(会社)があり、その曲をうまく歌えるかどうかがキモ。最初は音符だけをなぞる(=マナー)だけだけど、だんだんそこに「自分」をのっけていく。

 知らないジャンルや曲に出くわすと、名曲でも「つまんない」「わからない」となるし、昔の曲の歌い方は今では通用しなかったりするし、新しい曲の構成というものあります(=前は履歴書の写真は白黒でないとダメでしたが今はカラーでも良い。若い人は自分おキャパ以上の情報には向き合おうとしない傾向がある)。

曲をうまく歌うにはトレーニングしかないわけで。曲の背景(会社研究)や転調ポイント(会社の特徴)をしっかり知っておいたほうが、ほかの人よりうまくなる。

入社試験では、とりあえず、音符どおりに歌える、歌えそうだということを判断されて、メンバーに入れてもらえる。

その後は、持ち歌を何回も歌っていくことで、スキルをあげていくし、歌以外の仕事(映画やドラマに出る=異動とか仕事の幅が増えていく)することで、だんだん中核を成す。

そうか。会社はグループ。業務はライブやレコード製作活動とあまり変わらないんだな、と。

とすると、エグザイルやAKB48は企業だとも言えるし、そこに入るオーディションは入社試験と変わらない。AKBの面々の総選挙でのコメントは「仕事師」の矜持だとも解釈できそうです。やりとおしたり、覚悟を決めた、ハラの座ったコメントだからこそ、あまり関心のない人にも響いたのではないでしょうか?

ダンスレッスンやボイストレーニングは、仕事する上での最初の基礎(マナー)だったりするんだなあ。練習も必要だっ。すぐにはできないわけですし、日々のトレーニングは結構必要だし重要。それに向き合う姿勢も。

時代によって流行の歌も企業も職種もありますけども、流行だけではなくて、しっかと続くジャンル(業種、会社)もあり、深い世界なのだと思います。
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2012.06.01履歴書は本当に大切です

2012-06-01 | Weblog
ずいぶん間が空きました。

新年度といっても、今日は6月1日。2か月が経過しました。

ご縁があって、今年度から就職支援講座の講師をしています。応募書類の書き方や面接対応を受け持っています。講座では、たくさんの方の前でお話をさせていただいています。

応募書類に関しては、インターネットも含めて、さまざまな「書き方」が流布されています。書式もさまざまです。

・新卒、または若い人向けの一般求人用
・新卒、または若い人向けのアルバイト求人用
・一般人用の一般求人用
・一般人用のパート・アルバイト用

これらが、またB5だとかA4のサイズで販売されています。
若い人向けというのは「得意な学科」や「サークル活動など」の欄が分かれているもので、これを卒業してから長く経過した人が書くのはすこし変です。私は42歳ですが、42歳のおじさんが「得意な学科:国語」と書いてもしようがないわけです。

ですので、学校を卒業してしばらくしたら、求人内容・雇用形態に関わらず「一般人の一般求人用」の書式を使用するのが、良いと思います。

丁寧に書くのが履歴書の基本中の基本ですが、なかなか書けないものです。ですので、エンピツ書きで良いので、学校の入学卒業と、会社の入社退職を正確に書いたものを用意して、それを写し取るようにして正本を書くのが良いです。

志望動機欄は、欄のおおきさをはかって、チラシの裏でも良いのでその枠を書き、そこに文字を埋めていきます。バランスを見て、納得できたら正本に写します。いきなりフリーハンドで書かないほうが良いと思います。
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2012.02.16自分のこと、知ってますか?

2012-02-16 | Weblog
キャリアカウンセラー養成講座の通学コースのお手伝いをしてきました。講師の先生の補佐や、受講生にまじって、技法の学習をしました。キャリア理論は社会情勢を反映するので、新たな理論が学べました。新しいお付き合いの輪が広がるのもうれしいですね。

さて、キャリアカウンセラーを目指す人たちだけではなく、私たちは往々にして自分のことを知らないことが多いと思います。正確に言うと、自分で思っている自分像と、他人や社会が思っている自分像は違うということです。

自分の声って、録音してみると、自分が思っている声と違いますね。あんな感じです。

キャリアカウンセリングに限らず、カウンセラーは、相手の鏡になります。相手が話すことを、言い換えたり、要約したりして、相手に気づかせるのがカウンセリングなのです。なにか助言をしたり、指示したり、誘導するのではありません。
 そのようにカウンセリングを受けると、自分で自分のことに気が付くことが多くあります。いらいらしていたのはなぜなのか、何にひっかかっていたのか。そういう気づきを得られます。

自分は何が出来るか、何が好きか、何が得意か、何が嫌いか?

これらって、なかなか自分で言うことが出来ません。出来る、と言い切れるほど自信がない。そこまで言い切っていいのかと思ったりします。

こういうとき、キャリアカウンセラーに話をしてみる以外に、身近にできることがあります。周りの人に自分のことを聞いてみるのです。無くて七癖というように、自分では気が付いていない「自分」って結構あります。

例えば、私はパソコンに詳しくはないのです。ウィンドウズXP、MacOs9.2以上はわかりません。ですが、ほかの人は私はパソコンに明るいと言われます。もちろん、上には上がいますが、でも、そう他人は言います。自分はツメが甘かったり気が回らないと思うのですが、先日、「なんでそんなに気遣いできるんですか?」と言われました。

このように自己評価と他者の評価は食い違います。その差や、自覚していなかったスペックに気が付けば、自己理解が進んだり、自分の伸ばすべき点がわかります。

これは、聴く年齢層によっても変わります。私の子どもに、私のことを聞いたら「面白いことを言ったり、したりするのが得意じゃないの」と言ってました。小学生ですけど。
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