中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

酒宴2

2009-12-12 23:54:32 | クァルテット
(路上。酒肴の用意されたテーブル。数人の男女が宴席についている)

青年 「われわれ、なお生きながらえている者も多いのだから、嘆き悲しむことはありません。そこで、ぼくの提案ですが、故人を偲びつつ、彼がまだ生きているつもりでたのしげにグラスを鳴らし、歓喜の声をあげて乾杯といきましょう。」   (プーシキン 「ペスト流行期の酒宴」より)


 新型インフルエンザも流行中ですが、おおむね軽くて済むケースが多いようで何よりです。一番初めにアメリカかどこかで発生が確認された時には「スペイン風邪の再来」みたいな話も聞いて、怯えました。伝染病は目に見えないですから、やっぱり不気味で怖いですよね。特に命に関わるようなものだと、パニックになるのもわかります。

 このプーシキンの詩劇もペストが大流行して、みんなが死の恐怖に怯えている街が舞台です。若者達はやけになって、娼婦を集めて酒を飲んで騒いでいます。

宴会座長 「どうか歌ってくれたまえ。物悲しく、ゆっくりとした調子で。そのあとでわたしたちがいっそう激しい狂騒の憂さ晴らしに移ることができるために。」

 恐怖から逃れるために、それを酒で忘れようとしているわけです。楽しげとは言えない「狂騒」は、何だかプロコの不協和音に通じるものがあるような気がします。

 不安から逃れるのには、いくつか方法があるでしょう。一つは酒を飲んで忘れること。

青年 「おい、きりのない議論やご婦人がたの卒倒の続出を打ち切るために、ここらでひとつ、のびやかな、はつらつとした歌をうたってくれないか?スコットランドの哀愁をふくんだやつではなく、泡立つ大杯をくみかわしつつ生まれた威勢のいい酒神の歌を。」

 もう一つは神にすがること。突然乱入してきた司祭が言います。

司祭 「われらのために十字架につけられし救い主の聖き血によって、そなたらにねがう。
そなたらが天国で、みまかった人々の愛するみ霊に会いたいと思うなら、その恐るべき酒盛りをやめなされ。おのおの自分の家に帰りなされ。」

 しかし、じつはこの酒宴の宴会座長は自分の妻をペストで亡くしているのです。そしてしかも、なんと彼はペスト讃歌を歌うのです。それこそが、第三の道です。

宴会座長 「悪戯の冬を阻むごと、このペストをも通すまじ。あかりをともして、杯を満たし、楽しく酒に浸りなん。酒盛りと舞踏の会を催して、ペストの治世を讚美せん。
死のきざしあるものは、すべてみな、人のこころに言い知れぬ、ひそかな愉悦を秘むるなり。これ、あるいは、不死のしるしならん。幸いなるかな、不安のときにも、そを見いだせし人。」

 運命から逃げずに、それを受け止めていく…「死は避けられないものである」という自覚を深く持つことで、逆にそれから自由になれる、ということでしょう。どういうものにせよ、かけがえの無い「今」というものが見えてくると。

 
 …深い。その現実を直視しつくした、純粋な硬質な響きが、何となくプロコに通じるような気がするのです。

 以上、個人的な思い入れでしたが、とにかく12歳が選ぶような題材じゃないことは間違いないと思います。でも、12歳にしてプロコフィエフの世界観というか、音楽観がはっきりとわかるようなテーマであるような気もするのですが、いかがでしょう?

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