山田理絵(茶道宗偏流)

山田理絵 宗偏流 茶道宗偏流 山田宗偏 山田長光

10月25日(土)のつぶやき

2014年10月26日 | 日記

10月24日(金)のつぶやき

2014年10月25日 | 日記

茶道宗徧流の山田家代々で小笠原家の茶堂を務めていたが、小笠原家領地だけでなく江戸下屋敷の近くにも茶室を構えていた。



10月23日(木)のつぶやき

2014年10月24日 | 日記

茶道宗徧流の流祖である山田宗徧は、豪商の鳥居宗逸には今日庵、三河新城藩主の菅沼定実には四方庵の庵号を譲り、自らは不審庵を称した。



10月22日(水)のつぶやき

2014年10月23日 | 日記

茶道宗徧流の流祖である山田宗徧は、元禄10年(1697年)小笠原長重が武蔵岩槻藩に転封となるまで4代にわたって仕え、職を辞して江戸郊外の本所に茶室を構えて多くの門人を集めた。



10月21日(火)のつぶやき

2014年10月22日 | 日記

茶道宗徧流の流祖である山田宗徧が明暦元年(1655年)宗旦の推挙で三河吉田藩の小笠原忠知に仕えた折りに、宗旦は利休以来の不審庵、自らの隠居の今日庵の庵号を用いることを許している。