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東京地下道1949■第16回■第1部完地下道に逃れた3人は、ソ連軍に逮捕。 米軍情報部、兄の乾公介は、新日本建設のため3人を犠牲に。地下道によるソ連軍による東京米軍区への奇襲が。

2021年01月26日 |  東京地下道1949
TC東京地下道1949■1949年日本トウキョウ。 太平洋戦争の日本敗戦により、日本はアメリカ軍とソビエト軍に、分割占領。生き残った少年少女はどう生きるのか。それからの過酷なる日本の運命は
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東京地下道1949■第16回■第1部完地下道に逃れた3人は、ソ連軍に逮捕。 米軍情報部、兄の乾公介は、新日本建設のため3人を犠牲に。地下道によるソ連軍による東京米軍区への奇襲が。
 

東京地下道1949■第16回■第1部完

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

http://www.yamada-kikaku.com/

 

 

 

兄公介、との別れを悲しみながら、竜は下の地下道へ降りていく。

恵は、やっと気がついたようだ。

「恵、驚くよ。、兄さんと合ったぞ」

 

「公介にいさんですった、なぜ起してくらなかったの」

 

「ロシア人が追って来ていた。早く逃げ出さないとまづかったんだ」

「兄さんは」

「元気だった、きっと、俺たちを探してくれると、約束した」

恵は回りにきづく。

「この道は、地下壕と遠うようね。」

「そうさ、みて驚くなよ」

 

 

地下道本道にたどりついた時、ソ連兵の小隊が、シュパーギン短機関銃

を構え待ていた。

 

「ちくしょう」

「何でなの」

竜が、銃を撃った。

機関銃弾のシャワーが、子供3人の体の方へ降り注いだ。

 

ロシア人の軍曹が、子供たちを銃で脅しつける。

「戦争孤児だな。俺にも、故郷にこれくらいの子供が、、」

 

「セルゲイ、感傷は無用だ、早く片付けろ」

ロシア人の軍曹セルゲイの上役の政治将校が、言葉を投げつける。

「待って下さい。この地下道に関して何か知っているかもわかりません。

本部で尋問したほうがよくはないですか」

 

「今度はソビエト軍か!

「鉄、命があるだけましだと思え」

「そうよ、鉄」恵みが同意する。

 

地下道の置くには、思い出すのもいやな戦車群が。

T34が並んでいる。

 

「どうやら、侵攻、、」

「それ以上しゃばるのではない」

鉄の言葉を竜がとめる。

3人とも鳥肌がたっている。

 

●ムサシのアジトの二階で、乾公介は独りごちた。

「ゆるしてくれ、竜介、恵。お前たちの死はけっしてむだにはしない。日本のためなのだ。お前達の事件であの「地下道」のことが、外部にもれては困るのだ。

 

ソビエト軍が、この過去に作られた地下道を改造利用し、我々アメリカ軍を攻撃することをアメリカ情報機関OSSはすでにつかんでいるのだ。

 

アメリカ軍は彼らを、待ちぶせし、占領地区で圧倒的優位に立つのだ。このうらぎり的なソ建の進撃に対して世界の世論は米軍に有利に働く。

 

さらに米軍の力を借り、余勢をかってソビエト軍を、日本から追放するのだ。

日本を統一するのだ。国が二つに分断されている事程不幸なことはない。例え、日本が米軍に完全に占領されていようと、アメリカ軍という、一ケ国の占領の方がよりましなのだ。

 あくでも米軍はこの地下トンネルの事を知らないことにしなければならない。地図も我々の手には入らなかった。とする。

 

俺は、特攻隊として出撃し、死ねなかった男だ。仲間たち、戦友のために、少なくとも父母の土地日本のために死んでいった戦友たちのために、日本を統一復興させなばならん。

 

例え、暴力に暴力をもちいても、このプランをなしとげなければならん。

俺のこの命は日本のために、一度死んだのだ。

 

恵、竜介よ、俺も間違いなく、お前たちのそばに行く。待っておくれ。俺の命もおそらく1か月とは持たないだろう。その間に、ソビエト軍が、あの地下道を利用して、攻撃してくるのを俺は期待する。いや、きっとくるはずだ]。

 

 ●地下道にまよいこんだ戦争孤児.3名が尋問を受けたーケ月後。

 

東都新報1950年12月14日夕刊

 

「本日未明、占領ソビエト軍はトウキョウ市後方にある米軍

貯蔵兵端地への奇襲を行った。

宣戦布告はなく突如攻撃を行なう。攻撃はあらかじめ入念に計画されていた。

国境分断線の地下をくぐり、巨大な地下侵攻トンネルが秘密裏に建設されていた。

 

わが勇敢なる米軍は、すぐさま反撃に転じ、逆にトウキョウ市分断線を越えで

ソビエト占領占領地区へ進撃中である」

 

1949年当時のアメリカ戦死者名簿に、一人の日本人の名前かある。

 

「乾公介ー通訳1949年11月14日死亡。

あの卑怯なるアメリカ占領軍に対するソ連軍進撃の際、最前線

にて機銃弾を受け即死。と思われる。遺体は今にいたるも確認されず。

 

彼は、第2次世界大戦中、大日本帝国各軍に所属するが、南太平洋上決戦のい際、特攻隊として戦艦ワシントンに襲撃に際して、アメリカ軍の捕虜となる。以降アメリカ軍軍属として、アメリカ占領政策に協力。

 

戦死当時24才。係累及び家族なしと伝えられる」

 

(第1部完)

 

191022改訂

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

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