山 崎 泰(やまざき たい)のデイリーブログ
新宿区のTFS国際税理士法人理事長 山崎 泰が、「心に残る出来事」「忘れられない想い」をホンネで綴る、ズッコケ珍道中!
 



16時45分。。。海外に駐在している外交官の高校同級生から

「友人の皆さま」と題するメール。

 

今日の日経電子版に、同じく同級生(実は、私にとっては、かなり悪友なのだが・・・)

の印象深い記事が載っているよ~~と教えてくれる。

 

それにしても、さすが外交官。

遠く異国の地にいても、日本の記事には、

よく、目を凝らして見ているものだ。。。妙に感心!

 

終日、缶詰めのセミナーから帰って来て、

やっとPCを開いているような、のほほん~とした

私とは、訳が違う。。。これも妙にナットク!

 

【日経電子版】(以下引用)

未来の敵 メルカリを見抜けなかった楽天 

ネット興亡記(4)

 

「それなら俺が最初の店舗になってやるよ」


三木谷浩史から「楽天市場」の構想を聞かされた武田和徳は

渡りに船と言わんばかりに、こう提案した。

1997年。楽天開業前夜に心強い助っ人が現れた。

 

■トヨタから来た男

2人はハーバード大学ビジネススクールの同期生だ。

三木谷は日本興業銀行から、武田はトヨタ自動車からそれぞれ送り込まれていた。

互いの部屋を行き来して勉強し、休みにはゴルフに繰り出した仲だ。

興銀を辞めた三木谷は、久々に会食した武田に「楽天市場」の構想を打ち明けた。

 

バブル崩壊後、トヨタも新しいクルマの売り方を模索していた。

ネット商店街でクルマを売る、という斬新な発想に武田も同調した。会社を口説く自信はあった。

 

帰国後に直属の上司となった後のトヨタ社長、豊田章男がこの頃、ネットサービスに熱を上げていたのだ。

豊田に提案すると思った通りのふたつ返事が返ってきた。

「いいねー。やってみようか」豊田氏は、取締役として情報ネット事業「Gazoo」(ガズー)を担当していた。

 

1997年5月1日、楽天市場はたった13店舗で立ち上がった。

三木谷は後に、そのうちの8店舗が個人的な「コネ」だったことを明かしている。

武田が協力してくれた「トヨタ西東京カローラ」もそのひとつだ。

 

■「銀座4丁目にお店が出せます」

楽天の創業メンバーの6人衆のうち、三木谷は杉原章郎と小林正忠を引き連れて全国の店舗をどぶ板営業で回った。

個人商店に飛び込む前にはワイシャツをまくり上げ、腕立て伏せをする。

息を切らしたまま流れる汗をそのままに店に入る。

 

決めセリフは「インターネットなら銀座4丁目にお店が出せます」だった。

それでも聞き慣れないネット商店街を売り込む三木谷たちに、うさんくさいと言いたげな視線が突き刺さる。

ところが「あのトヨタも出店した」と言うと、話に乗る人も多かった。

トヨタの信用力が楽天の誕生をアシストしたのだ。

武田も後に三木谷の誘いで楽天に加わることになる。



彼の名は、武田和徳。

ふたりとも、高校から開成に入った「新高」で、

中学から高校に上がってきた「旧高」と反目する場面があると、

高校1年生の頃は、一も二もなく、彼と私が最前線にいた。


やがて2年生になり、「旧高」と「新高」を混ぜて

クラス替えを終えた後、運動会では勝利を目指して

お互いに絶対に譲らない。。。


彼は、開成名物・運動会の白組の応援団長。

私は、伝統のボートレースの応援団長。


いまや楽天の副社長になった、武田和徳氏の

古き良き昔を、私ごときが、あまり語って・・・

万が一、彼の威厳と栄光が落ちてもいけないのだが、

昔から義理と友情に厚い、大好きな同級生!


三木谷社長を支え抜いて、

日本に、いや世界に「改革」を起こし続けてほしい!!



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 「気合」「根... 関東と関西で... »