けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

一日の最後の壮大な光の乱費を「費用対効果」で量る人たち

2019-09-25 07:18:21 | 日記
冬至が近づく光の中に埋もれようとしている東京都西部。ヴァン・ゴッホならば、急いで三脚にキャンバスを立て掛け一気に仕事にかかるような夕日と雲のたなびき。富士山頂に最後の太陽がかぶさって光り輝いている。

あと数分で終わってしまう太陽光の乱舞とも消耗とも見える壮大な光を受けて宅配便のトラックが止まっている。届け物を済まして出てきた宅配の運転手に「あれを見ろ!」 と声をかけたら、こんなところに停車するなと聞き間違えたらしく、すみませんとか何とか言いながら急いで運転席に戻ろうとしている。 「あれを見ろ!」と再び言ったら振り返って後方の富士山を見た。次の配達先ばかりが頭にこびりついているだろう配達員兼運転手が 「すごいですね!!」を連発している。人の言うことは先入観なしに聞くもんだぜ。

あと数秒で光の芸術は消えてしまう。そのとき、反対方向から若い女性が歩いて来た。最後の太陽が富士山頂で光り輝くさまを手で指し示して、「あれを見ろ!」と叫んだ。 が、おかしな危ない中高年男と勘違いされてしまったのか後ろを振り返ることなく両脚に全身の神経を集中させて飛ぶようにさっさと歩き去ろうとしている。へっ、夕日の中に立つ男がそんなにも怖いか。

これからは、通勤電車の中で気持ち悪くなり青い顔でしゃがんでいる女性を見ても、街中で接触事故を起こして苦しんでいる男に遭遇しても、血を流して倒れ瀕死状態にある中高年を遠くに見つけても、両足に全身の力を注ぎさっさと通り過ぎよう。電車の中なら寝たふりをしているだけだ。お互い様さ。細胞の隅々まで警戒心で漲らせている小学生から猜疑心で満ちた枯れ木のような老人まで。もう声は掛けないことにしよう。競争馬のように両目に衝立を置いて見えない見えないと喘ぎ苦しんでいる “ お・も・て・な・し” という名の偽善者がまかり通る社会。
(2017-12-05)

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感情移入なのか、保身なのか、ガランドウの頭なのか

2019-09-18 08:03:47 | 小説
「少女像は・・・・・拍子抜けするような作品だった」と話した「愛知トリエンナーレ2019」の企画展に展示されていた「少女像」を見た来場者の一人のことばが新聞記事に載っていた。(2019年8月4日、朝日新聞社会31ページ)。

韓国と日本の間で政治問題化されていた少女像は、その設置場所が日本大使館前という示威行為の現場がなければ、ただの単なる、所謂、「かわいい」ということばが発せられるだけの少女像だ。像が美術館内に置かれれば、像に政治性を持たせていた精神性は剥奪され、大英博物館に展示されている神聖なる(だった)エジプト王の像と同じく単なる過去の遺物、歴史の一部、となるだけ。それに対して、けしからんとか日本人の心を踏みにじるものだなどという個人的感情をメディアに発している。そんなものが起こるとしたら、相手の呪詛にまんまと乗ってしまっている、絡め取られてしまっているのだ。その時点で、負け犬と化している。

非難する人たちの多くは実物を見ていないだろう。見たら、なんだこんなものか、と拍子抜けした感想を持つのではないか。像の顔に紙袋を被せた人や怒声を発した人もいたようだが、これらの人たちは作品を見に来たのではなく彼の心や精神の弱さを露呈させるために入場料を払ったのだろう。人間が作った宗教経典を振り回して物事を判断し示威行動する集団と同じ人々になってしまっている。

呪物に恐れおののくのはその人の精神が実体のないものに捉えられてしまっているからなのだ。美術館内での展示物に河村たかし名古屋市長が展示中止を求めたという行為は、複雑に込み入った要因を除けば、彼の保身行為と貧弱なる美意識から出ているのだ。

展示されている(される)作品に美術館員が作品の修正や撤去を求める行為は独裁国家や宗教国家と同じレベルではないだろうか。公金が投入されているから云々という乱暴な意見が目立つが、公金をくすねているのは多くの市町村都府県国会議員やそれらの蜜の味にたかる集団や受益者たちではないだろうか。

韓国の日本大使館前に置かれた少女像は現場を離れ美術館に入った時点で「こんなもの(だった)」展示物の一つとなっているに過ぎない。過去には、白い陶製便器が展示されたといって憤慨した人々もいたが、あいちトリエンナーレ展示会を非難し閉鎖に追い込んだ人たちやそれに同調した人たちは「考える」という人間ではなくて周りを見て判断を下すしか能のないコンピュータ人間なのだ。頭である箱の中は空っぽで何もなくホコリで一杯。おっ、そうだ。この中身が空っぽの箱人間は展示物になるぜ。



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「おもてなし」 イコール 「甘やかし」 ではない

2019-09-13 07:23:52 | 日記
「ここは君たちの席ではない。座るのはあっちだ」と、彼らが占拠している席の窓ガラスに貼ってある優先席のマークを指差した。若い男は驚いた様子で真ん丸な目を開いて私を見た。同席の女も同じように腰を浮かした。大きな声で、そこは君たちの座る席ではないと注意を受けたのは初めてだったのだろう。正に驚愕したような顔・動作。京王線急行車内の優先席に座っていたブロンド髪の外国人男女。新宿駅で同じ車両に乗ってきた人物だ。

土曜日で車内は混雑していたが、疲れが出てうつらうつら船を漕いでいた。各駅停車に乗換えのため降りようとドアをくぐるとき彼らが優先席に座っているのが分った。彼らは明らかに観光客の雰囲気ではなく留学生か長く日本に滞在しているような感じだった。一瞬むかっとし、怒鳴ってしまった、という訳だ。

来年の東京五輪開催に向けて「おもてなし」が東京だけでなく日本中でつぶやかれている。が、多くの日本人は外国人旅行者に対する「おもてなし」を、大事なお客様であるから事故のないように、訪れる場所や旅館ホテルで間違いのないように最大限の配慮をしようという考えにとらわれた発言が新聞紙上で見られる。まるで参勤交代でやってくる大名たちに対する江戸時代の人間のような考えでいる。「おもてなし」イコール「甘やかし」ではない。日本滞在が長いと思われる欧米系の若い外国人が優先席に座っているのを黙って見ているだけで注意一つしない電車の中の日本人の方が問題だ。

これが明らかに近隣諸国のアジア系や中東アフリカ系と分れば、彼らに対して何とか言うのかもしれない。が、欧米の白人には黙っている。日本人の多くは彼らに対して劣等感が染み付いているのか。恥ずかしいのか、気後れなのか、関心がないのか、どうでもいいと思っているのか、理由はいろいろだろう。が、そんなことで欧米系の外国人の行動を甘やかしているのではないか。時差で疲れ東京駅のベンチに横になり口を開けて爆睡していた白人に何も注意しない駅員。これが日本人や中東やアフリカ系だったら警備員や警察官を連れてきて起こし尋問するのだろう。人種差別の片鱗を思ってしまう。

彼らが乗った列車は八王子方面へ発車してしまったので普通席に移ったか不明だが、よく考えると、指摘されなければ分らない日本独自の優先席のマークなのだろう。外国人は何かのキャンペーンマークと受け取っているのかもしれない。別の言い方をすれば、国内向けで、万国共通のマーク(標識)ではないのだ。頻繁に電車を利用している外国人は優先席マークの意味するところを知っている。それを、あたかも知らないようにふるまって、横柄に座っている。彼らに対して、席の窓ガラスに貼ってある優先席マークを指差し日本語で注意を促すだけで、通常の常識を持っている人間ならば理解するはずだ。

東京オリンピックも来るというので町の景色の衣替えや標識を分るように変えているらしいが、電車など殆ど利用しない田舎から出てきた日本人にも分りにくい優先席マーク。異文化社会から来た外国人なら、何かのメッセージやキャンペーンと受け止められかねない。気付く人もいようがちょっと見では分らないのだろう。それに、これらの表示は目立たない。慣れない電車に乗り、周囲が日本人で一杯で、優先席の一角だけが空いていたらそこを目がけて座る外国人も多かろう。それを注意しない日本人もそうだが、事情のよく分らない外国人にも考慮した一目で理解できるような斬新なマークも必要だろう。

米国人の女性が、日本のコマーシャルは面白くないと言っていた。何だと思ってその先を聞いていると、何を言いたいのかが分らないのだ、と言う。そうかもしれない。日本のコマーシャルは感情に訴えてくる要素が大なので、米国のものとは違うのであろう。どうしてかという理由はともかくとして、分らない、ということだ。じゃ、分かる標識に直すしかない。

「おもてなし」は甘やかしや大名旅行のお手伝いではない。普通にやればいいのだ。普段着の気遣いでいいのだ。なぜ、特別に構えるのか。なぜ、百パーセントではないといけないと考えるのか。その根底には恥の文化が綿々とこびり付いていて取れないのだ。外国人にしてみれば、行く先々での失敗談や破廉恥な行為も旅の一つの意図しない経験だ。それを、相手に対して失礼のないように完璧にしようなどと官民が音頭を取りマスコミも大々的に取り上げ、五輪にやってくる外国人観光客におもてなしをと呪文のように唱えている。異国の日本にやってくる外国人に手取り足取り至れり尽くせりのおもてなしをせよ、間違いがないようにしろなどは江戸幕府の封建時代の役人の考えではなかろうか。そして、官民挙げてのお囃子のような太鼓を叩いてオリンピックが終れば踊らさせられていたという感想がオリンピックボランティアという名の人々の間から漏れ聞こえてくるのではなかろうか。

多くの外国人旅行者は、彼らの国の日常とは違った文化や環境を求めてやって来るのであって政府要人や大企業の幹部の旅行に於ける至れり尽くせりの失敗のない対応など望んでもいないだろう。町中で日本人の官製ボランティアが示す、所謂、親切心という名のお節介などは多くの外国人にとっては余計なお世話ではないだろうか。大型バス旅行の参加者のように、事故なしに、後で笑えるような破廉恥や行動や現地で出会った人とのちぐはぐな言葉のやり取りや誤解の連続などを全く経験することなしに、巨大なテレビ画面の映像を見ているような旅行だったならばその何処が面白いのだろうか。旅は、自分の思い込みが訪れた場所で遭遇した一瞬のひやりがあるから旅の思い出になる。それらは内面でのひやりであったり、誤解に基づくひやりだったり、その人その人によって遭遇するものは違う。旅、旅行とはそんなモノではないだろうか。それらを官民主導で外国人を甘やかすことがおもてなしのような宣伝をしているのは大きな誤解を外国人に植え付けることになる。日本は日本のやり方が在ると頑迷な態度を取ることもないが、自然体で外国人を受け入れればいいのではないか。
2019-02-18再投稿
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イスラエル産グレープフルーツは、買わない

2019-09-12 07:15:46 | 日記
抵抗手段を持たない、家畜のように扱われているイスラエル国内のパレスチナ人や地中海岸に沿った陸の孤島のようなガザ地区に閉じ込められているパレスチナ人。彼らの一部組織は武力抵抗を試みているが、米国製近代兵器を備えたイスラエル軍に対しては、大きな足で踏み潰されるアリの抵抗に等しい。イスラエル軍はナチスに習ったといわんばかりの狂暴な手法でパレスチナ人を殺戮している。パレスチナ側も犬の遠吠えのような手製ロケットをぶっ放して、「ここに抵抗勢力何々がいるぞ、あるぞ」、と息巻いている。哀れ、近代兵器には近代兵器でしか抵抗し得ないし効果的な反撃方法はない、ということを分っているはずなのに。

占領者イスラエルに虐げられていると泣くのではなく、パレスチナ人はグライダー式ドローンを研究すべきだ。夜間に急襲できるドローンを。それも、相手に致命傷を負わせるやり方で。と、言うは易く行うは難し。彼らにはこんなことは出来ないであろうし思いも付かない。理由は、しかと言える知識はないが、砂漠の民のような限界、乾いた砂を握り締めてもポロポロと指の間からこぼれ落ちる、絶対権力者の強権でないと纏まらない歴史で形付けられた民族性を感じるからだ。それでも、遥かな昔、彼らの国に滞在していたことのある人間として、双方に憐れを感じる。

米国を後ろ盾としたイスラエルの圧倒的な武力でパレスチナ人を押さえつける。イスラエルがパレスチナ人から奪い取った占領地にやって来て、ここは我らの神ヤアウェから与えられた土地だ、と唱える東欧や旧ソ連からの貧しいユダヤ人の波。彼らはイスラエル政府が占領地で作る格安な庭付きの戸建てに住む。彼らの祖国では、夢の中でしか見られなかったものだ。その多くは、我らの神ヤアウェがユダヤの民に与えたもうた土地だ、と妄信する狂信的なユダヤ主義者。パレスチナ占領区の歴史的な経過も何も知らないし、知ろうともしない。

乾燥地帯である占領区に必要不可欠な飲料水や灌漑用水はシリアから分捕った北部のゴラン高原にある水源から供給される。今では、一般人は立ち入り禁止になっている水源地帯は、巨大な水の塊がボコンボコンと湧き出ており、はるかな南のイスラエル占領地のネゲブ砂漠に点在するイスラエル軍基地やキブツ入植者たちにも供給されているイスラエルの生命線だ。この水道管を爆破されたら彼らは現代版ミイラとなってしまう。

ささやかな抵抗、現在のイスラエル政府への抗議を示すために、イスラエル産農産物は買わない。たとえ安くても。極東の島国に住む一個人のはかない抵抗の意思表示として。それでも、いつか、これがうねりとなれば、大きな国際的なうねりとなれば、事態は違って来るであろう。その時が来るまで、一人で不買運動を続けている。


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ニホンジン女性よ、嫌なことは "イヤダ " と主張しろ/アイシアウ(Make love)に「愛」は必要ですか

2019-09-11 14:07:35 | 小説

中世の貞操帯のごとき服装規定(ドレスコード)を強要する上司の顔をパンプス底でひっぱたいて辞めよう。毎日、毎日、嫌な思いをして出社し、精神安定剤をポケットに忍ばせて働いているアリの群よ。彼女・彼らの親戚や知り合いには高給取りと思われ、或いは、より良き稼ぎのある若い男が働く職場と羨ましがれ、或いは、潰れる可能性が低い大きな会社で働いているなどの世間体の理由が重荷になって言葉に表せない屈辱を背負いながら働いている人たちの精神は小物売り場に並べられているスカスカ穴になった乾燥スポンジのようになっているのか。

今からでも遅くはない。貯金通帳の残高を膨らませ、クソ上司の顔をぶったたくその日に向って面従腹背の技を身につけよう。同業他社でも通じる技術や能力があるなら、秘かに、よりストレスの少ない会社へのコンタクトをしよう。君たちはいつまで、古代ローマのガレー船を漕ぐ奴隷に鞭を振う横柄で理不尽な上司に心にもない上目遣いの猫なで声で応じ、屈辱を甘んじ、精神障害の一歩手前で踏みとどまり奴隷根性丸出しの現状肯定をしている日々を送っているのだ。憐れなジャップと外国人仲間で話されている生き物・人間(creature)たちよ!腕を組んで阻止するという団体交渉や連帯など望めない「どうせダメさ」という負け犬根性が蔓延している日本社会。この中で溺死しないために頭の切り替えが必要だ。

バカンスで人や車の激減したパリの街中を気持ち良さそうに平底靴で闊歩する女性。バレーや演劇などに従事している女性かと訝ったがそうでもなさそうだった。ひまつぶしに通りを行く彼女らの足元を観察してみた。そしたらかなりいた。同時期の高層ビルのひしめく東京では、ギラギラとうなる太陽の照りつける蒸し暑い真夏日にかかとの高いハイヒールを履き、細身にぴったり張り付いた会社の制服で身を包み、脚をカクカクさせて歩いている女性たち。外見を必要以上に気にする国民性なのだろうか。それとも、右向け右で誰も彼も同じ服装で選択肢がないのであろうか。ベルサイユ宮殿を闊歩していた貴族たちもこんな格好だったのだろうか。そうしたら、フランス国王ルイ14世(Louis XIV、在位1643-1715)がハイヒールを履いてポーズをとっている肖像画を思い出した。

天皇の命令で戦場に送られ、野に、山に、海に、ウジが這い回っている屍をさらした赤紙一枚で召集された一般兵士と同じ運命をたどっている現代の女性たち。それから半世紀以上たった現在でも、「産む機械」だ、「もっと産め、もっと産め」と言われ続け、黙々と忍従の日々を送っている。進歩があったのは、快適な生活環境が整った物質的な変化だけだったのか。モンスーン気候帯の日本の真夏の酷暑にもかかわらず、人間の作った宗教戒律に従い、両眼の部分だけを長方形に開けた全身を覆う黒色のブルカ、寛頭衣(カントウイ)、で全身を覆っている人たちとどこが違うのだろうか。太平洋戦争中は「産む機械」に堕して自由を圧迫され、雌犬のように子供を産んでいた。

「いっぱいやらないと子供できないよ」と母親の声
「でも、いやがるの」と答える娘
昼下がりの山手線の電車の中で聞こえた会話だった。

「隣に寝ている女の体が暖かくて気持ちいい」と
「隣に寝ている女の体が熱くて気持ち悪い」との微妙な違い。
人間の体温はそんなに変わらないのに、双方の気持ちの持ち方で、心の変化で、気持ちいいと気持ち悪いの感覚は極端に分かれる。一方は、手を伸ばし相手の熱を吸収しようとお互いに密着し、更に熱い吐息を掛けて熱い体に入りたいと熱望し、拍車をかけるように双方の器官に積極的に働きかける。他方は、シーツ一枚を通して伝わってくる相手の体温にも不快感をもようしてイライラし、「熱い、もっと離れてくれ」。「何でそんなに熱いんだ」と冷たく言い放ち、数センチも離れていない相手との間にシーツや毛布を防壁のように積み重ねて背を向ける。

「あーぁ、私ってダメなのね!」
冷たくなった足先で毛布を巻き、一人ごちる女。
「そうさ、裏切ったじゃないか」
「仕事が終っても、もう帰らないことにしよう」
「これが最後さ」と女の体臭の染み込んだ夜具に体を沈める男
寝返りした相手の骨盤がゴツンと冷たくぶつかった

「好きになる」、「嫌になる」の感覚は一瞬で決まる。それが霧のように消えて無くなれば、昔あった正月のスゴロク遊びのように出発点に戻り、それぞれの道をゆくのみ。電車内の吊り革につかまり、そんなものさ、と一人ごちっていた男のつぶやきは外には漏れなかった。

服装規定(ドレスコード、dress code)を記した社内規定という女性・男性拘束具が現代社会にはびこっている。中世にもこんな女性用胴着や貞操帯があった。中世のそれと違うのは、自分の家では拘束衣を脱ぎ捨てられるということだけだ。企業はこうあらねばならぬという号令の下、そこで働く社員(現在の大多数は労働者)は古色蒼然たる社内規定で括(クク)られ、まるで中国にあった纏足(テンソク)のごとき窮屈な洗脳服(靴)を着ている。それを当然のこととして受け入れている大多数の働く女子たち。涙ぐましいというより何と愚かでアホな集団なのだろうと思ってしまう。

「このバイトをどこで知ったのですか」
「働く必要なんかないんだけど、友達に頼まれたの」
成田国際空港に隣接するホテルで来日外国人への観光アンケート取りのバイト。そこで一緒になった少々太り気味の中年女性が言い訳気味に話す。
「夫は土木工事の会社を経営していて、市役所からの仕事は一回で200万円になるのよ」、と続ける。
「あなた、職人に払うお金も大変なのよ。7人もいるんだから」
そんなに裕福なのに、友達に頼まれたからと一日中ホテルのフロント前で突っ立ってアンケート取りのバイトに汗水流している。ご苦労さんなこった。友達との関係は彼女の夫の仕事と利害関係があるのだろうか。それにしても、そんなにお金があるのならもうちょっと魅力的な服装をしたら、と思ったが黙っていた。

外国人旅行者がいなくなった暇な時間に彼女に話しかけた。相手が男のせいか、それともダサイと思われていたのか、積極的に話しに乗ってこない。でも、フランス語の話になったら食いついてきた。学生時代にフランス文学を専攻したらしい。もう忘れたと言いながら、私がフランス語の日常会話ができると言ったので、こんな貧相な小男に出来るものかと闘争心に火が付いたのかもしれない。
「単純過去の用法を知らないから小説は読めないけど」、と答えたら鼻の頭に小じわを寄せてせせら笑っている。意地悪な中年女性の心が盛り上がってきたらしい。彼女は大学でフランス文学を専攻したというプライドがあるのだろう。こちらはフランス語など習ったことはない。でも、話せる。「信用されないのは、まぁ、仕方ないだろう。余り褒められた服装じゃないからなぁ~」。彼女の心の中ではこちらの話すことを全否定しているのが体の向きや決め付ける口調から感じられる。
「こんなヤツに外国にいた経験などない」、と呟いているのが声の抑揚で伝わってくる。普段はブルージーンズだし、急遽、ヨレヨレのズボンにアイロンを掛けてバイトをしているのだから。それに、頭もボサボサ。姿格好で全てを決め付けているわけじゃないだろうが、馬子にも衣装か。

スペインとフランスの国境を分けるピレネー山脈の北側にあるポー駅構内のガランとしたちっぽけなカフェで出くわした関西出身の女性が語った話をバイトで一緒になったこの中年女性にした。
「フランスに語学留学に来た日本の女子学生の大半はアラブ系フランス人と同棲しているらしい」
「知らないのは日本にいる両親だけだってさ」、と言ってやった。

ポーの駅舎内で会った関西出身の女性がやっかみ半分で語った話をアンケート用紙を手に持ちずっと立っている彼女にした。すると突然、困惑したような何かを考えているような顔付きになった。ピピピ~ンと来た。ははぁ! 娘さんがフランスに留学しているのだ。眉間にしわを寄せて遠くを見ている。

日本女性の性のおおらかなことを幕末期に来航した西洋人が驚き記している。当時の日本人は好奇心が旺盛だったのだろうか。或いは、肌色や外観で人間を区別する風潮が少なかったのかもしれない。

語学習得の有効な一手段として、手っ取り早く、かつ、生活を楽しんで画期的な語学向上が成就できる方法は、学者を目指すのでなかったら、現地人と一緒に住むのが一番いいと言われている。地元の地理も文化も歴史も習慣も、色々の事が短期間に習得できる。

日本では同棲が難しい環境にあるお嬢さん、フランスへ行って現地の男と一緒に住んでみたら。推奨します。同棲に白い目を見せる日本人の方がおかしいのだ。白色系欧米人の腕に止まって得意げになっている日本人女性は多いが、黒い直毛の日本男子の細腕につかまって歩いている白色系欧米人女性はほとんど見ない。両者とも、頑張ってくれたまえ

北風が肌を刺す3月の東京。土曜日午後4時。上野にあるアメ横。通りを行く女性が「きゃっ」と叫び声を上げて逃げている。周辺は週末に繰り出してきた人々でごった返していた。高校生や二十歳前後の女性の肩に手をかけたり、彼女らの長いマフラーを引っ張って北風に舞いあがらせたりしているケバブ店前のトルコ系の客引き男。それなのに彼女らは抗議一つ言わない。抗議するという教育を受けていないからどうしていいのか解からないのだろう。

「そういうことはできないぜ」
「日本では、やっちゃいけない」
と強く言っても平気面の腕っ節に自信のありそうなトルコ人客引き。ここ数年、アメ横・秋葉原周辺にはびこってきた中東由来のケバブの売り子/客引きだった。直ぐ隣に出店してきた数件の中華系の賑わいに嫉妬しているのか。老若男女見境なく親しそうに通行人の肩に手をかけ、袖を引っ張り、顔を近くに寄せ、「オイシイヨ」、「大盛りサービスするよ」などと叫んで買わせようとしている。トルコ国内でも同様の行為、他人の肩に手を掛けたり、通行人の袖を引っぱたりして客引きをやっているのだろうか。少ない知識だが、女性には決してやらないと思う。やったら殺傷沙汰になる可能性もある。(最近の観測では、このブログのお蔭か?おとなしくなったように見受けられる)

ベルリンの壁崩壊前の旧西ドイツのベルリン市内。地図も持たずにあっちこっちと健脚に任せて歩いていた。意図せずに、いかがわしいバーが展開している界隈に出てしまった。アメ横での客引きの行為はその時に経験したトルコ人の客引きと同じだった。太陽の出ている時刻だったが、店の中に引きずれ込まされそうになり危なかったことを思い出した。アジア系の顔だったので強引な行為に出てきたのだろう。ヨーロッパ系には違った対応をするのかもしれない。アメ横のケバブ店の前でも、ゆっくりと歩いて見ていると、どうもそのようだ。明らかにイスラム系と分る、頭巾(ヒジャブ)を被った女性や目の部分だけを出しただけで全身を黒色系の布で覆っているブルカを纏った女性やその同伴者には非常に丁寧な応対と話し方をしている。どんな言葉であれ、話し言葉の抑揚によって怒っているのか、戸惑っているのか、何か話しかけたいのかなどは万国共通なので分る。

イギリスで四年間勉強したという日本人女性がモロッコ旅行でのことを話してくれた。スペイン南部からフェリーで対岸のモロッコに着いた。モロッコの港町セウタに着いたとき、現地人に連れさられそうになった。旅の連れもいなく、ごったがえしている埠頭の周辺を見回しても日本人らしき人もいなかった。怖くなり、「誰か助けて!」と大声の日本語で叫んだ。混雑した船着場から一人の日本人が出て来て、「こんなところで何やってんだ!」と言い放ち助けてくれた。と、顔を紅潮させて体験談を語っていた。その後の動向を聞きたかったが、時間もなく、彼女も話したくなかったようだった。

パリ北駅に端を発し巨大なサン・ドニ門に至る大通り。門の周辺に観光客用のカフェが立ち並ぶ一角がある。そのカフェの前の交差点で、アルジェリア系フランス人に歩道で抱きつかれて顔を真っ赤にしている若い日本女性。どう見ても、声を掛けられてから一・二回の顔合わせ(デート?)なのであろう。フランス滞在が浅いとみられる彼女は「ハ」を喉の奥から発音する「kha」の人々を区別できず、フランス人の男友達だと喜んだのだろう。コトを急ぎたい不器用な白色アルジェリア系ナンパ男は、フランス人がアラブ系フランス人を軽蔑する時に使う「kha」の発音をする人・集団に属していた(注:人種差別ではなく、私は事実を話しているだけです)。フランス本土に初めてやってきた日本人には違いが分らない。同じようなフランス語を話す人と思ってしまう。で、まんまと抜き差しならぬ関係になり、有り金を巻き上げられ、挙げ句の果てに親元から受け取った銀行カードを使って大金を脅し取られ、最終的に日本にいる両親に悟られ、帰国となったなどの話は日本人の間で共有されている話題の一つらしい。

フランス女性はそう簡単にアラブ系フランス人のナンパ男には引っ掛からない。ずうずうしい奴には罵倒している。彼女らの多くは日常的に、(男からの)露骨な誘いの免疫は十二分にできているらしい、(という訳でもない)。でも、そんなアラブ系フランス人男に声を掛けられ、フランス語練習のお友達ができたと喜び、べッドで悦びを共にする日本人女子留学生は一杯いるわよ、と話す南仏(正確には南西部)モンペリエ市のフランス菓子店で働いていたという関西出身の日本人女性。本当のフランス人(?)は日本人などに声をかけないよ、と言っていた。それが事実かどうか知るよしもないが、男女間の微妙な駆け引きの経験の差なのだろう。ピレネー山脈の北側(仏側)にあるポーの駅で出会った彼女は、フランス菓子店ではタダ働き同然だったと話す。フランス人のマダムはズルイと非難している。まぁ、そうだろう。だったら文句を言えばいいのだ。自分の考えを言葉で表現できないお飾り人形のような「なでしこジャパン」はいいカモにされるだけ。当たり前じゃないか。日本で働く東南アジア系の技能実習生の人たちと同じだ。足元を見られているのだから。

彼女はモンペリエで拾った(有名になった)日本人女性留学生の話を続ける。体だけと思っていたナンパ男は、間もなく女性の裕福な家庭環境を知った。女性は銀行口座からカード一つで金を下ろし、アラブ系フランス人の男に貢ぐ。その金額がエスカレートしてゆく。性愛という生肉を噛まされた女性は男の言いなりになり、大金を下ろし続ける。半端ではない金額の連続。最終的に、その異常な乱費生活が口座から日本の両親に知れてしまった。その時には、口座は空っぽ。金目が縁の切れ目で、ポイ! 彼女の体も精神もズダズダ。その後どうなったかは、話してくれた女性も知らないらしい。でも、結末は見えている。帰国、そして見合い結婚させられたのであろう。

現在、社会問題の一つになっているドレスコードについてより深く知りたければ、英国版Equality Act 2010をネットで参照されたし。日本との違いに驚くだろうけど。


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