けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

不必要に木々を拷問し、切り倒す日本人たち

2018-11-29 09:44:25 | 日記


温かくなってきた頃に東京の板橋区に住んでいた十数年前のことだった。しばらく行かなかった公園に向ったら、鬱蒼と茂っていた公園の一角が余りにも明るい。見上げたら、欅(ケヤキ)、イチョウ、メタセコイヤの大木が無残にも、まるで、クリスマス前の七面鳥やニワトリが羽をむしり取られ丸裸になり、脚をもがれたような憐れな姿になっていた。大木の梢にとまって囀っていた春を謳歌している野鳥も何処かに行ってしまった。大木の三分の二を切られ、残りの枝もばっさりと切られて丸裸。まるで昨今流行のコンクリート杭のようだ。4月が来るので、それまでに市の公園課の予算を消化しようとしての行動なのだろう。

なぜ、日本の公園は木々を根元から七八メートルの長さにそろえてして切ってしまうのだろうか。数多くの大使館が居を構える東京の区域には大きく自由に枝を広げた木々が繁っている。新聞写真でもこんな光景が載っていることがあるが、実際にその場に立っていても気持ちいい環境だ。別の理由があるのだろうが、明治神宮も木々を切らない、倒木のままにして置くという神道の呪術信仰がある。目黒駅を降りて白金台方向に下ってゆくと庭園美術館がある。そこに隣接する自然教育園の森もこんもりとしている。ゴーゴーとうなりをあげて爆走する車の騒音を木々の枝葉が吸収し消しさっている空間になっている池と湿地の中間のような一角もある。

三浦半島の西側に位置する葉山の海辺に接した一角。こんもりと繁って要塞のようになっている区画がある。小さい頃、片田舎にいた頃の風景を思い出させるような場所だ。海に流れ出している川も静かな重い水を湛え、その奥は密集した篠竹(シノダケ)に遮られて見えない。その前にある浜辺は、何十年も前に見た湘南の海岸、砂浜の中を川が蛇行し浜ユリが自生していた風景だった。その砂浜に座り持参の白湯と握り飯で軽い食事を済ませた。海風も爽やかでしばらく座っていた。周囲に誰もいないのだが、理由は解からないが、誰かに見られている、監視されている感じがしていた。尻の下の砂も冷たくなったので立ち上がり、そのこんもりとした厳重に守られている土地に沿って延びている浜辺の道に向った。

威嚇するように黒く塗装された鉄板と有刺鉄線で囲まれ、数メートル間隔で監視カメラが設置されている。一ミリの隙間もなく生え伸びている篠竹や木々で中の様子は全くわからない。余りにも守りが厳重なので不審に思いながら海岸に突き出ているこの土地に沿って南へと歩いた。上を見上げていたら、多くのカメラが作動してこちらを見ている。それで急に思い出した。ここは葉山のある一角なのだと。この人たちの住む土地の大木は切り倒したり、無残に切り刻むなどしてない。海岸にも散策を邪魔する柵などもない。そこにいるだけで森の息吹が感じられ、精神が浄化される森、ヨーロッパにある公園や森と同じだ。街中の木々は予算消化という名目で赤子の手足をもぎ取るように伐採し、ラッカディオ・ハーン(小泉八雲)の「Japan」に記述されている死者の霊を奉る家系の人々の住む区域の自然は守っている。何という不公平なことよ。

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自然界の復讐が始まっている

2018-11-19 19:34:26 | 日記


地中のうねりにはじき出された鉄砲水の脅威が迫っている。何処か。君の住む地域だ。

コンクリートで地表を被っている比率がある限界を超えつつある。1980年代初頭にニューズウィーク誌等がドイツの例を引いて警告していた。

地表面をコンクリートで蔽ってしまい太陽光や空気との接触を遮断している巨大な都市。地面は太陽や空気とそれらが齎す複合的な恩恵を受けることなく冷たい土と化している。植物はむしり取られ、地下・大気のメカニズムの変化がジワジワと周辺に及んでいる。山林を削り取り、湿地を埋め立てる。集成材と蝶番使用でアッという間に建つ家屋の林立に寄与するために。その建物の地中深くには不燃ゴミの巨大なプラ袋が捨てられ埋められている。

エルニーニョが世界の気象に重大な影響を与えることが大々的に報道されるが、地面の下の変化を危機感を持って記事にしているメディアがない。地下はもう窒息しそうで苦しんでいる。いたたまれなくなった地下の巨人が動き出すのは時間の問題だろう。陶工が粘土を意のままに捏ねるように。この巨人は人間も何もかも一緒くたにして大地をひっくり返し、大地を地球本来の姿に戻すだろう。その後にはどんな生物が生息する世界となるのだろうか。

関東地方の北西部では、毎夏のように最高気温を競っている。フェーン現象の理由ばかりではないだろう。自然界の浄化・循環がくしゃみをしている。自然界の復讐が始まっている。



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鋳型の中の人生、出る自由を持つ人生

2018-11-16 08:04:18 | 日記


英国の皇太子が山裾に一人座りスケッチしている写真
日本の皇太子はガランとした美術館に学芸員を伴って見ている写真
お供数人でぶらっと訪れる皇室に属する人間がいないのが分かる

皇室の人間でも、世間で騒がれている絵を見たいと思うだろう
そこで、警備の都合でと言い訳を考えて休館日や閉館後の美術館を無理やり開かせる
館内の照明を煌々と灯して鑑賞する、日本はそんなにも危険な国なのだろう

前も後ろも満員電車の如くにギューギューに入場者を詰め込む日本の美術館
暗い照明の中、背の低い人は絵が見えなく暗闇の中で人の影を見に入場料を払っている
「絵の前で止まらないで下さい」と館内の監視員が怒気混じりに罵声を上げている

南仏アルビ市にあるトゥールーズ・ロートレック美術館で偶然出会ったおばあちゃん
名作の数々が掛かる広い廊下にはカーテンで漉された朝の光りが満ちていた
エリザベス女王の母親が二名の王室護衛と共にゆっくりと鑑賞していた

早朝のロートレック家の城館だった美術館にいたのは私とおばあさんに付く二人の護衛だけ
もう一人絵などに関心がないような目つきの悪いのが入口に立っていたのを覚えている
ホテルに帰ったら英国のエリザベス女王の母親(皇太后)が美術館にいたことを知らされた

( 南仏のトゥルーズから丘陵地の麦畑の中を走る郊外バスに乗ってトゥールーズ・ロートレック家の城館を美術館にしているアルビ市に入った。1980年代だった。翌日、早朝一番乗りで美術館に行った。切符売り場に目付きの悪い美術館では見かけない種類の疑い深そうな雰囲気を漂わせた人間が立っていた。彼はジロリと東洋人の私を睨んで何か言いたそうに口ごもっている感じだった。城館内の幅広く長い廊下には、画家ロートレックの美術本に出てくる絵の数々が陳列されていて感激した。日本の美術館のように暗闇の中に陳列されるものとは違って、天井まで照らす自然光の中に陳列されている絵を鑑賞するのはすがすがしく気持ちよかった。そんな中で、英国女王の母であるお婆さんがいたのだ。警備は総計で三人だった。ロートレックの素晴らしい絵と共に、日本との大きな違いに気付かされた遠い過去の出来事だった)

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カラスも旨いものを食ったときに 「カー」と鳴き叫ぶ

2018-11-09 10:21:25 | 日記


三百数十円の昼の弁当を買い、いつもの池のほとりに自転車を立てかけ昼食。粗末な木のベンチが池 (ドブ沼?) の水で濡れ腐っている。パシャ・スーと近寄ってきた二羽のカモに二・三粒の飯を投げる。カモの脚の下で泳いでいる大きな鯉がせり上がってきてアングと大口を開けて水と一緒に飲み込む。いつもやって来るカモが水の中に投げた数粒のご飯粒をすくい取ろうとすると、大きな鯉の集団がカモの水かき足をくわえ水中に引っ張り込もうとする。カモは大慌てで逃げる。池の生物にも縄張り・上下関係があるのだ。

そんな毎日の単調な仕草を見ていた動物がいた。プラスチックでできた上げ底弁当を食べ終わり、池の鯉に弁当の残り飯をやるかと立ち上がろうとしたその瞬間、池の中に突き刺してある柵に渡した横木にドンと音を立てて大きなハシブトガラスがとまった。そのまま、三四歩ほど横っ飛びしてこちらにやって来る。私が座っている場所から50センチも離れていない。悠々としているところを見ると、攻撃された場合の反撃能力に自信があるのだろう。

くりくりした黒目と嘴の付け根辺りにヒゲ(?)が生えている。上下の嘴の先は噛み合っていない。上の嘴の先と下の嘴の先が交差している。嘴の先端が曲がっているのだ。急遽、鯉に投げ与える予定の残り飯を化学調味料のブヨブヨしたソースと共に割り箸で掻き集め、年寄りカラスだろうその大ガラスの前に差し出した。経験から、持ったものを動かしたり体を動かすと警戒するので、そのままじっと動かずに待っていた。いい匂いがしていたのだろう、啄ばんだ。飲み込む。残っていた何かの小さな肉片をブヨブヨソースに絡ませてカラスの嘴の前まで持ってゆく。食べた。

そんなカラスとの交流が何日か続いた。ある日、これまた大きなカラスが嘴の曲がったカラスの右横にとまった。嘴曲がりのカラスを盾にして、いつでも飛び立てるように警戒している感じだ。いつものように上げ底弁当の残り物を割り箸で与えた。すると、それを右横にいるカラスに曲がった嘴で与えている。配偶者(?)なのだろう。双方共に親密そうな、満足そうな様子が雰囲気で分る。恐妻なのだろうか、それとも、愛妻家なのだろうか。

「こえ~」と大きな声。大きな木の枝葉で影になっている道を高校生数人が足を速めて通り過ぎる声で気づいた。見上げると、枝という枝におびただしい数の黒いカラスがとまっている。ヒチコック映画でもあるまいし、何が怖いのだ。都会人は見慣れない動植物の集団に恐怖を感じるのだろうか。カラスが木に止まっているからといって猛獣のように攻撃してくるわけでもない。彼らが去った後、持っていたピーナッツをカラスの集団が止まっている木の下に投げた。筋肉質のスマートな若ガラスが舞い降りピーナッツを啄ばめ始めた。その瞬間、私の横にいた曲がり嘴カラスが飛び上がり真っ直ぐにこの二羽に向った。大層乱暴に二羽のカラスの頭と首の辺りを突き攻撃している。二羽はキャンキャンと降参の体で逃げ叫び皆が止まっている木に退散する。嘴曲りのカラスは大親分なのか。カラスのしきたり・上下関係を犯す若カラスに制裁を加えたのだろう。木々に止まっているカラス集団はそれを見ているだけだった。人間の目には形・色が同じように見えるカラス集団にもカラス社会の掟が厳然としてあるのだろうか。

カラスだか鳩の糞が高価な服に落ちてきて激怒し、駆除を命じたイシハラとかいう都知事もいた。童謡 「カラスの赤ちゃん」 も禁止させたいような復讐心に燃え、銀座のカラスを抹殺していった。郊外のカラスも少なくなった。夕焼けと共にねぐらに帰るカラスの集団も見なくなった。人間社会が落とす生ゴミの掃除屋、カラスがそんなにもにくいか。

東京都の桜の名所の一つ、千鳥ヶ淵にもカラスが多い。昼休みの散歩がてらに堀の堤を歩いていた。と、スマートなカラスが桜の木に止まり親から餌を貰っている。一見、成鳥なのに。クワーカーと餌をねだる甘えん坊。人間社会の影響を受けたのか、なかなか親離れしていない。それとも、自分で餌を捜せるようになるまで時間がかかるのだろうか。

そんなカラスとの出会いも、「シャチョウ」と呼ばれないのを不服に思っていた社長兼社員一人の会社を、突然、首になって石神井公園の池のほとりの神聖な行事も終わりを告げた。1990年代後半だった。今現在は、安全安心というアホみたいな保身役人根性の設計による見るも無残なディズニーランドみたいになっている公園と池周辺らしい。

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街角の風景

2018-11-09 07:45:12 | 日記


空き缶もティッシューも投げ入れていたゴミ箱が消えていた
日本全国に跋扈する忖度保身の官製手品師によって撤去されてしまった
テロ防止という好都合な文言を看板にして敢行されてしまった

ブルキの蓋付きで大きな円筒形の鉄網ゴミ箱がパリ市内の広い歩道に置いてある
市内を散策する観光客にとっては至極便利なものだ
夕方には家庭ごみらしきプラ包と共に満杯になっているが翌朝には片付けられている

舐めたように清潔な東京の町とやっかみ半分の新聞投書が載っていたスウェーデン
隙間なく林立する建物の間には散らかったゴミが悪臭を放っているのが見えないのだ
ジュクジュクする鼻を拭った紙は何処に捨てようかと迷い
インフルエンザ拡散に協力する為電車の棚に置き土産

ピカピカする光り物を投げ与えられ歓喜に震えて忠誠を誓う文化功労者
人民をねじ伏せてやろうと画策している王・独裁者・天皇を崇め奉る憐れな集団
権力を握った二重人格者集団に跪き(ヒザマズキ)尾羽を打ち鳴らして万万歳の大合唱

小鳥が好んで食べる柔らかいハコベが桑畑の畦に繁茂していた
小川のせせらぎに共鳴する猫柳の枝が早春の光を集め寒風に異を立てて揺れていた
札束に頬を打たれ歓喜の両脚を開いて宅地造成のブルドーザーに身を任す人々もいた


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