けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

「おもてなし」 イコール 「甘やかし」 ではない

2019-09-13 07:23:52 | 日記
「ここは君たちの席ではない。座るのはあっちだ」と、彼らが占拠している席の窓ガラスに貼ってある優先席のマークを指差した。若い男は驚いた様子で真ん丸な目を開いて私を見た。同席の女も同じように腰を浮かした。大きな声で、そこは君たちの座る席ではないと注意を受けたのは初めてだったのだろう。正に驚愕したような顔・動作。京王線急行車内の優先席に座っていたブロンド髪の外国人男女。新宿駅で同じ車両に乗ってきた人物だ。

土曜日で車内は混雑していたが、疲れが出てうつらうつら船を漕いでいた。各駅停車に乗換えのため降りようとドアをくぐるとき彼らが優先席に座っているのが分った。彼らは明らかに観光客の雰囲気ではなく留学生か長く日本に滞在しているような感じだった。一瞬むかっとし、怒鳴ってしまった、という訳だ。

来年の東京五輪開催に向けて「おもてなし」が東京だけでなく日本中でつぶやかれている。が、多くの日本人は外国人旅行者に対する「おもてなし」を、大事なお客様であるから事故のないように、訪れる場所や旅館ホテルで間違いのないように最大限の配慮をしようという考えにとらわれた発言が新聞紙上で見られる。まるで参勤交代でやってくる大名たちに対する江戸時代の人間のような考えでいる。「おもてなし」イコール「甘やかし」ではない。日本滞在が長いと思われる欧米系の若い外国人が優先席に座っているのを黙って見ているだけで注意一つしない電車の中の日本人の方が問題だ。

これが明らかに近隣諸国のアジア系や中東アフリカ系と分れば、彼らに対して何とか言うのかもしれない。が、欧米の白人には黙っている。日本人の多くは彼らに対して劣等感が染み付いているのか。恥ずかしいのか、気後れなのか、関心がないのか、どうでもいいと思っているのか、理由はいろいろだろう。が、そんなことで欧米系の外国人の行動を甘やかしているのではないか。時差で疲れ東京駅のベンチに横になり口を開けて爆睡していた白人に何も注意しない駅員。これが日本人や中東やアフリカ系だったら警備員や警察官を連れてきて起こし尋問するのだろう。人種差別の片鱗を思ってしまう。

彼らが乗った列車は八王子方面へ発車してしまったので普通席に移ったか不明だが、よく考えると、指摘されなければ分らない日本独自の優先席のマークなのだろう。外国人は何かのキャンペーンマークと受け取っているのかもしれない。別の言い方をすれば、国内向けで、万国共通のマーク(標識)ではないのだ。頻繁に電車を利用している外国人は優先席マークの意味するところを知っている。それを、あたかも知らないようにふるまって、横柄に座っている。彼らに対して、席の窓ガラスに貼ってある優先席マークを指差し日本語で注意を促すだけで、通常の常識を持っている人間ならば理解するはずだ。

東京オリンピックも来るというので町の景色の衣替えや標識を分るように変えているらしいが、電車など殆ど利用しない田舎から出てきた日本人にも分りにくい優先席マーク。異文化社会から来た外国人なら、何かのメッセージやキャンペーンと受け止められかねない。気付く人もいようがちょっと見では分らないのだろう。それに、これらの表示は目立たない。慣れない電車に乗り、周囲が日本人で一杯で、優先席の一角だけが空いていたらそこを目がけて座る外国人も多かろう。それを注意しない日本人もそうだが、事情のよく分らない外国人にも考慮した一目で理解できるような斬新なマークも必要だろう。

米国人の女性が、日本のコマーシャルは面白くないと言っていた。何だと思ってその先を聞いていると、何を言いたいのかが分らないのだ、と言う。そうかもしれない。日本のコマーシャルは感情に訴えてくる要素が大なので、米国のものとは違うのであろう。どうしてかという理由はともかくとして、分らない、ということだ。じゃ、分かる標識に直すしかない。

「おもてなし」は甘やかしや大名旅行のお手伝いではない。普通にやればいいのだ。普段着の気遣いでいいのだ。なぜ、特別に構えるのか。なぜ、百パーセントではないといけないと考えるのか。その根底には恥の文化が綿々とこびり付いていて取れないのだ。外国人にしてみれば、行く先々での失敗談や破廉恥な行為も旅の一つの意図しない経験だ。それを、相手に対して失礼のないように完璧にしようなどと官民が音頭を取りマスコミも大々的に取り上げ、五輪にやってくる外国人観光客におもてなしをと呪文のように唱えている。異国の日本にやってくる外国人に手取り足取り至れり尽くせりのおもてなしをせよ、間違いがないようにしろなどは江戸幕府の封建時代の役人の考えではなかろうか。そして、官民挙げてのお囃子のような太鼓を叩いてオリンピックが終れば踊らさせられていたという感想がオリンピックボランティアという名の人々の間から漏れ聞こえてくるのではなかろうか。

多くの外国人旅行者は、彼らの国の日常とは違った文化や環境を求めてやって来るのであって政府要人や大企業の幹部の旅行に於ける至れり尽くせりの失敗のない対応など望んでもいないだろう。町中で日本人の官製ボランティアが示す、所謂、親切心という名のお節介などは多くの外国人にとっては余計なお世話ではないだろうか。大型バス旅行の参加者のように、事故なしに、後で笑えるような破廉恥や行動や現地で出会った人とのちぐはぐな言葉のやり取りや誤解の連続などを全く経験することなしに、巨大なテレビ画面の映像を見ているような旅行だったならばその何処が面白いのだろうか。旅は、自分の思い込みが訪れた場所で遭遇した一瞬のひやりがあるから旅の思い出になる。それらは内面でのひやりであったり、誤解に基づくひやりだったり、その人その人によって遭遇するものは違う。旅、旅行とはそんなモノではないだろうか。それらを官民主導で外国人を甘やかすことがおもてなしのような宣伝をしているのは大きな誤解を外国人に植え付けることになる。日本は日本のやり方が在ると頑迷な態度を取ることもないが、自然体で外国人を受け入れればいいのではないか。
2019-02-18再投稿

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