けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

薄い薄いチリシに書きとめた記録、1969年だった

2019-06-13 10:38:39 | 日記


1969年12月8日(月) 曇
50¢(米セント)も出せば新鮮なサラダと共に腹いっぱい食える飯。けれども、何もせずにいる二日間は頭がおかしくなる。そうでなくても、もう多分にそうなっている。
(注:トルコ北部の黒海沿岸にあった米軍施設内に泊まっていた。今となっては、時効だろう。前後の詳細は執筆中)

丘の上から見下ろす黒海はその名のごとく海である。右手にある雄大なる山には頂上近くまで畑があり、冬がもう来ているはずなのに青々とした畑が見える。この青、いや、この緑と土の茶の対象が非常に美しい。朝起きて間もないくぼんだ目に快い刺激を与えてくれる。その丘のような山の前には、これもまた童話の世界に出てくるような明るい色をした家が点在している。しかも、これらが恐ろしく幅の広い、底辺の長大な山に緑と茶の目のさめるようなコンロラストと共に屋根の赤いレンガや白壁を見せているのは何ともいえずに美しい。

昔、幼かりし頃、映画や童話本の中で見た絵がそのまま、現実に目の前に展開されているような錯覚を起こさせる。この丘からは、風は背後から来ている。けれども、山と山の間が遠く、且つ又、大きいせいか、海の近くから出ている煙は大きく畑の緑の上を舞っている。ゆっくりゆっくりと昇ってゆく。その煙の上には、これまた、俺の今までの感覚では信じられぬ、峰々に雪を頂いた険しい山脈が連なっている。左の方は海と共に朝もやの中にかすみ、右の方は白壁と茶の大地の上をはるかに通り越して、厚き黒い雲と接している。それらの雲で見えなくなっている方向は、バスが喘ぎ喘ぎ雪の中をのぼってきたところだ。

黒海は、はるか彼方に水平線を見せ、その中に大きなうねりの河を見せている。昨日は暖かくまるで春のようであった。けれども、今は逆転して雲が立ち込めている。トルコの北側を車で行くときに経験するような天気の変り方だ。町から雪降る中を上へ上へと滑り上がってゆく。乳白色の薄い雲を通り抜けると、そこには、はるかに雲海の中を突き出た連山とふんわりとした雲がうごめいている山頂、それに目が痛くなるような銀世界を見せる。アアとも何とも声を発することが出来ぬ。荘厳なる自然の創造物を見せている。下界から見ると雲は風を呼び絶えずゆれ動いていたのに、ここから見下ろす雲海はまるでその本来の活動を止め静止しているようである。盆地のように、山と山に囲まれた中に、雲はゆったりと横たわっている。

雪は最上級の小麦粉よりも白くサラサラとしており、手でいくら力を加えても頑としてその独立を保持している。表面には洗濯板の両側を、下方をより幅広く切ったような形を示した結晶が出来ており、それがあたり一面どこまでも続いている。体を動かすと、それらがまるで真珠の微小なる粒のようにキラキラと光を放つ。あたかも、この世には現出せぬ世界に足を踏み入れたようだ。そうだ、俺は、今、やっと分った。何故、山に登るか。大いなる自然の挑戦に屈服せずに立ち向かうかを。精神と肉体の死を賭ける戦いがなければ何人たりともそれらの一部をも分けてもらえぬであろう。

(どんな形式であろうと発表してゆかなければ、断片化されたものはそのままの状態で朽ちてしまうだけだ)

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