けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

腕に飛び散る生温かい血糊の快感に浸り人生最後の燭光を受けて突き進む殺人鬼

2019-08-26 12:03:20 | 小説
平均的な戸建て住宅十数件分に当るであろう広さの畑が宅地に囲まれて点在している。それらは生産緑地と呼ばれ地産地消と唱える地域社会の食に寄与している。米国人やヨーロッパの職業農業従事者が見たなら、これは個人菜園か、それとも隣近所で共同して野菜類を栽培しているのであろうかと思うかもしれない広さの生産緑地。東京都西部にもそんなものが多くある地域の一つだ。

そんな畑が続いている中に延びている畦道。雑草と侮蔑され白い目で見られている草も繁茂している。踏まれても踏まれても新しい芽を出してくる雑草と呼ばれている生物たち。風に飛ばされた種が根付いたであろう草花も梅雨の気配を察して紫や黄・白の花を咲かせ、仲間を増やそうと懸命に大気を吸収し土壌から主たる栄養分を補い虫たちに受粉させ実を熟成させている。遠くから見るそんな景色は目に心地よいものだ。そんな景色も近くに寄ってみると除草剤を撒かれて醜く涸れている畦道の一角もある。若者など見かけない生産緑地では、働いているジジババには草を刈る労力よりも手軽で効果満点なのであろう。

雨風で吹き飛ばされ流された除草剤は直ぐ隣で大きく葉を伸ばしている野菜類に降りかかり根や葉からそれらの毒素を吸収している。これらの野菜は近隣のスーパーや小中学校の給食用に供給されてもいる。太陽光と除草剤や化学肥料たっぷりを吸い込んだこれらの野菜を使い、様々な香辛料と混ぜられ料理されたものはさぞかし独特の臭いや香りとなって幼い子供たちや育ち盛りの子供たちの鼻腔をくすぐって教室中に響く歓声の合唱と共に食されるのであろう。

出来損ないが多かったキャベツ畑では粉砕機がうなりを上げ、土と共にキャベツを粉々に砕き混ぜ合わせてしまう。市場で競りにかけられない規格外の野菜はスーパーの棚に並べられないで畑の隅に山のようになって廃棄され腐敗臭を近隣の戸建て住民に提供している。まるで、一人で死んでたまるかこいつらを道連れにしてやるといった人間の心境を具現しているかのようだ。生産緑地に隣接する住宅の窓は中世の城館にある銃眼窓のように小さく細長い。

現代の人間社会と同じで、経済社会に参加する歯車の機会を逸脱してしまった年齢層の人々は不ぞろい野菜と同じ運命をたどっている。ただ、人間なので、政府は規格外野菜のように彼らを社会の隅に投げ捨てるわけにはゆかない。多少なりとも救済策を講じて善良という皮を被った偽善者集団の人々に安堵の念や社会不安を醸し出すかもしれない要素を取り除いている努力をしているというジェスチャを示す必要があるだけだ。

工業製品のように、大きさ・長さ・甘さ・見栄えの良さを生産管理しそれから外れたものは出荷できずに粉砕機で畑の土と混ぜ合わされる。大玉のキャベツも大根もナスも全て捨てられてゆく。消費者も先端が曲がったキューリや大きくなりすぎナスの先端に赤紫の斑点が出てきたり皮が割れそうになっているものは現代の消費者は買わない。露地栽培のキューリを知っている年寄りがキューリの臭いがしないキューリなど買って食べる気がしないといっていた。

横に長く葉を伸ばした黒味がかった濃緑の露地栽培ホーレンソウなどがスーパーの棚に並ぶこともあるが売り行きは芳しくない。温室栽培の葉が長く延び鉄分を多量に含む赤い根を切って売られているホーレンソウしか知らない都会育ちの若者は特にそういう傾向が見られる。霜にいじめられ、寒風に叩かれたネギやカキナやほうれん草などを食べたことがないから仕方ないのであろう。野菜本来の甘みや旨みがしみ出てくる状態で栽培された野菜ではなく温度管理され促成栽培空間の中で栄養管理された野菜しか知らないからだろう。不幸といえば不幸だろうが一食分の栄養素をジェリー状のドロドロの液体に混ぜいれたチューブから吸ってすましている社会層の人々が登場してきている日本社会。自然界の出来事などには無関心であり屋内での心地よい生活環境さえ確保されればそれで満足。後は、他人に邪魔されないよう両耳は高性能のヘッドフォンで密閉し自己の世界に埋没していたいのだろう。休みには行楽地に家族と出かけ、河原や公園で炭火バーベキューに興じているほうが投票などに行くよりももっと有意義で楽しいのだ。それを邪魔するような投票・投票と連呼している人々を胡散臭いものと思っている人々の心理状態が理解できないでもない。

キャベツ畑で長く白い網の捕虫網を振り回してモンシロチョウを捕まえ蝶の腹部を指で押し青黒い内臓を押し出し、チョウチョを殺害している生産農家の老人。さぞかし愉快なのだろう。蝶を絞め殺す快感が、蝶を指で絞め殺す瞬間に蝶から出て来る青みがかった体液や内臓を搾り出して指の先にくっ付きゆっくりと流れ落ちてゆく生温かい感触がたまらなく楽しい鬼となっている。この快感、都会の中で社会と断絶した生活を送っている若者や中年の男や女が自暴自棄になって見知らぬ通行人を巻き添えにして自死する行為にも精神の底で繋がっているのであろうか。
2019-06-05投稿



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