けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

幼稚な国民、じゃっぷちゃん

2019-08-23 09:10:31 | 小説
「展示を見せる前に”表現の自由”を学ぶ機会を設けるなどの工夫をしないと、受け手にメッセージが伝わらない」と述べているあいちトリエンナーレに関する記事、朝日新聞2019年8月17日2ページ。愛知県が設けた有識者6人による検証委員会で副座長の上山信一氏が発したことば。日本人はここまで幼稚な国民なのかと落胆した。

”表現の自由”を学ぶ機会を設けるなどは幼稚園児や小中学校生徒向けの学習項目で、最高学府で学んだ人や成人に向けた発言であるとは驚きだった。先進民主主義国といわれている欧米でもそうなのであろうか。国によって大なり小なりの程度はあろうが、美術展の展示物に政治家が口出しし、それに便乗した集団が付和雷同して閉鎖に追い込めてしまう。そんな国は、民主主義の先進国といわれている国々では、現在の日本ぐらいなのではなかろうか。自分の意思で美術館に足を運んだこともない人が、現時点で政界を巻き込んだ作品に関して展示されるべきでないという意思表示を示し、公金が投入されているという屁理屈をくっ付けて展示を潰してしまう。

愛知県が設けた有識者6人による検証委員会の副座長から出たことば、「展示を見せる前に”表現の自由”を学ぶ機会を設けるなどの工夫をほどこす(必要がある)」に象徴されるが如く、ジャップちゃんの表現の自由に関する基本的意識やそれを尊重するという意識が憐れなほどに低いのかと今更ながらに驚いた。

神の前では、大王も地に這いつくばって田を耕すものも同列だというキリスト教の教えではなく、万(ヨロズ)の神が雑居ビルの中に存在しているような呪術信仰が人々の呼吸器の中に巣食っている日本社会。その頂点に立っているのが天皇制なのであろうが、敗戦によっても完治されずに人々の心の奥底深くに帯状疱疹のウィルスのように体の奥深くに隠れていたものが人々の精神構造の弱体化と共に表面に現れてくる難病の一つなのだ。不快なもの、きもい物を不浄なものとして遺棄し遠ざける神道の呪物思想が菌糸のように根付き巣くっている。これは強烈な接着剤のようでなかなか取れないし、剥がれない。

ゲロゲロと吐き口から泡を吹いて倒れている人を遠巻きに見つめているだけの日本人の群衆と同じだ。不浄なものと考えられている、みなしているものを遠ざけるという感覚や意識が非常に敏感なのだ。芸術の物指しではなく神道という狭い教義の物指しで物事の正邪を計っている。日々の生活を温和に送ることを願っている平均的日本人の思考方法の限界なのであろう。

展示されている映像作品に何々が出てくるから、誰々が出てくるからそれは政治性が濃厚で芸術でないという偏狂な感情や意見が政界やそれに賛同する人々から出ている。即物主義者のように、彼らは映像に登場する個々の人物を見ているだけのでそれらをひっくるめた中にある作品の全体像を見ていない。頭の中は古代からの蜘蛛の巣で絡まり新鮮な空気を入れる窓もない。

各国の各種の原理主義者や宗教指導者やそれによる示威行為の数々や悲惨な事故現場やセックス行為中の男女などがフラッシュバックのように何の脈絡もなく流される映像作品などが1980年代や1990年代のパリにあるポンピドー芸術館でビデオ映像作品として数多く展示されていた。一秒にも満たない映像や数秒の映像の連続ビデオ作品に対して、誰々が出てくるから、天皇の写真に火を放っている場面が出てくるから、ワイセツな場面が出てくるから、こんなビデオ作品を展示するのは反対でフランス国民の心を踏みにじるものだなどという見当違いの意見は聞かなかったし、新聞にもそのような批判記事など見たことがない。記事があったのは、そのビデオ作品の全体から受ける印象や構成やその主張が現代の社会現象を映し出しているかだったなどだ。当時はイスラム原理主義者の抗議活動が世界の各地で示威行動を起こしていた時期でもあった。映像作品の中には、それらの人々の怒りの高まりを映し出している抗議映像も含めた編集で、作者はそれらの背後にあるあるもの、人間やその集団が構成している社会や人間精神を表現したかった作品だった。

例えば、女性がリンゴをかじっている作品が出てくるからこれは性道徳に反するとか、卑猥な作品だ撤去すべき作品だ、税金が投入されているのだからこんなものは展示すべきでない、という目の前に現れているモノしか理解できない政治家の薄っぺらい考え方などなかった。彫刻作品であれ映像作品であれ、現代美術の範疇にあるものは、レンズの目を通して表現されている様々な物理的に映し出されている形態や映像に登場する個々の人物や事件にだけに焦点を当てているのではなく、その背後にある渦巻いている社会現象や人間集団の行動やどうしてそのようなものが起こされてくるかなどの深い意味や疑問を提示している作品なのであろう。それを即物的な理解で、それも最高学府を出た市長や政府の要職についた(ついている)者が作品に対して口出していることは見当違いだ。何も分かっていないという言葉では片付けられない狭量で偏狂な考えに捕らえられているとしか考えられない。国民に影響を与える立場にある地位についているそのような人物が発言しているニュースに接する度に日本は何て文化的後進国なのだろうと思ってしまう。

江戸時代の絵画が近代絵画や現代絵画の発祥地である欧米で賞賛され展覧会への入場者が列をなしているなどとマスメディアが大々的に記事にするのも劣等感の背後に横たわっている卑屈な優越思想の現われの一つなのであろう。俗な言葉で一蹴するならば、時代遅れな憐れなジャップよ、となるのかもしれない。軽蔑語で使っているのではない。欧米各国にもひどいものはいくらでもあるであろう。

世界の事情に明るく(いであろう)高等教育も普及している日本で、日本人の心情を害しているなどという低級な言葉や低俗な理解度しか持っていなく、日本社会に影響を与える立場にある人々が少なからず存在するということは、これを芸術的に表現するとしたならば、美術館で展示されているビデオ作品映像による表現形式がぴったりするのではなかろうか。ビデオ映像作品に携わる作家や美術館員らにもっともっと努力して普及させてもらいたい。税金は一方向性の人々ばかりで払っている税金ばかりではなく様々な考え方の人々の税金なのだ。


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