五剣山というのは屋島の更に東、約5kmのところにある山、八栗山ともいう。標高366.1mだから屋島より相当高い。高いだけではなく急峻で山頂への道は無い。
昔は本当に五つの山が連なってたらしいが江戸期(1706年)の大地震で一つが崩れ、いまは四剣山なのだ。江戸期の地震というのが気になるね、この地も山が崩れる程の大地震は発生するのだ。
写真は山頂下にある八栗寺の近くから撮ったもので、まだまだ山頂が遠いのが分かると思う。この八栗寺に来るのだって登山電車を利用するのだ。
くそ暑いがここは意外と人が居る。寄進者をみると香川のみならず徳島の人が多い。東讃から阿波にかけてかなり影響力の大きいお寺らしい。
お寺といいながらここには鳥居と狛犬がいる。神仏習合のままなんだろうか。明治期の廃仏毀釈を逃れたのか、そもそもそんなものは気にしてないのかよく分からない。
最近は眼に留まらなくなった公衆電話がここでは存在感を出している。お寺用の仕様なんだろう、屋根は銅葺きで重々しく格子もなんとなくい奥床しい。A型の味気なさとは大違いだ。
昔は本当に五つの山が連なってたらしいが江戸期(1706年)の大地震で一つが崩れ、いまは四剣山なのだ。江戸期の地震というのが気になるね、この地も山が崩れる程の大地震は発生するのだ。
写真は山頂下にある八栗寺の近くから撮ったもので、まだまだ山頂が遠いのが分かると思う。この八栗寺に来るのだって登山電車を利用するのだ。
くそ暑いがここは意外と人が居る。寄進者をみると香川のみならず徳島の人が多い。東讃から阿波にかけてかなり影響力の大きいお寺らしい。
お寺といいながらここには鳥居と狛犬がいる。神仏習合のままなんだろうか。明治期の廃仏毀釈を逃れたのか、そもそもそんなものは気にしてないのかよく分からない。
最近は眼に留まらなくなった公衆電話がここでは存在感を出している。お寺用の仕様なんだろう、屋根は銅葺きで重々しく格子もなんとなくい奥床しい。A型の味気なさとは大違いだ。
牟礼っ子にとって(子という年齢でもないですが)、五剣山は馴染み深い山です。
小・中の校歌にも、出てきたし…。
高校生の頃の寒稽古では、八栗の山道を早朝走らされたことも。
寒稽古って・・・・・・・・。 薙刀とか?