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朝鮮半島の勾玉

2020年04月21日 | ナンバ歩き研究会
朝鮮半島の勾玉
朝鮮半島の飾り玉は、新石器時代に相当する櫛目文(くしめもん)土器時代(紀元前5000~同700年または同1000年前頃)に出現する。イノシシやシカなどの動物の牙の基部に孔を開けて垂飾品としたものが威鏡北道の西浦項遺跡で数点出土している。いわゆる牙勾玉と称されるもので、アジアの旧石器時代後期(中国・山項洞遺跡など)や日本の縄文時代草創期・早期などに認められる。牙勾玉が、のちの石製勾玉の起源をなすかについては議論のあるところだが、形状がよく似ているので、まったく無関係ともいい切れない。とにかく人類装飾品の始まりとして、まず牙勾玉が現れるのは定石のようだ。一方、石製の玉製品はやや遅れて鰹目文土器時代の終わり頃の遺跡で検出されている。平安北道の美松里遺跡では、白色の碧玉系統の石で作られた湾曲した垂れ飾りが出土している。長さ1.6センチの小型品で、頭部に垂下するための孔が開けられている。これは現状では、半島最古の勾玉としてよい。

日本でいうところの先史勾玉に相当する。ただ、全体に鰹目文土器時代の飾り玉は流行しなかったようで、類例は少ない。ついで、無文土器時代(紀元前1000年頃~紀元前後頃)になるとかなり勾玉がもちいられる。日本の年代で言えば、縄文時代晩期から弥生時代中期頃に相当する。形の種類も多く、牙形勾玉、獣形勾玉、不定形勾玉、半環状勾玉、半月状勾玉、半決状勾玉といった分類が行われている。牙形勾玉、獣形勾玉、不定形勾玉、半環状勾玉、はいかにも先史勾玉といった感じがする。しかし、半决状勾玉にあっては、のちの三国時代の定型化された勾玉に直結するような形を示す。忠清南道の松菊里遺跡を始めとする韓国の無文土器時代の半决状勾玉や管玉などは日本の弥生文化の当該品が定形化するのに影響を与えたと言われている。

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