幸福なとき、
うれしい。
しかし、その幸福、不幸は
ほとんどは、相対的なものだ。
他人との比較によって、
「私は幸福なんだわ」と思っているにすぎない。
しかし、これは真の幸福ではない。
なぜなら、自分が、その相対比較の下部に位置したとき、
逆に、不幸を感じるわけであり、
それでは、精神的に成長したとは言えないし
心の奥底では、不安でいっぱいなわけだ。
そんな状態が、「真の幸福」であるはずがない。
だから過食などの不摂生をし、
結局、病気になり、
かえって寿命を縮めることも多い。
また不倫などの事件を起こし、
家庭崩壊などの不幸を引き起こすことが多い。
じゃあ、どうしたらいいか?
そう。
相対比較の下部に位置したときこそ、
淡々と生きることだ。
そのとき、
「絶対的な魂の充実=真の充実」
を感じられるだろう。
そうすれば、
今度は、相対的な幸福を得たとき、
また、それは「絶対的な幸福」なので、
これもまた淡々と心豊かに生きることができるわけだ。
つまり、いかなるときも、相対的な自分の位置に関係なく、
「絶対的な幸福」を手に入れられるわけだ。
だから「不幸になるのは
そういう試練を体験するためだ」と思ってほしい。
「不幸になるのは
『他人との比較に依らない真の幸福』を、
手に入れるための訓練だ」と思ってほしい。
もう一度、結論を言おう。
「不幸な時こそ、淡々と生きる」ことだ。
不幸な時だって、
この広い宇宙には、素晴らしいものは、無数にあるぞ!
それに気づくことだ。
気づいて、不幸な時こそ、淡々と生きることだ。
これが人生で最も大切なことなのだ。
これを読んで、理解できない人は、
今晩じっくり考えてみてほしい。
きっと、そうだということに気づくことだろう。