俺は真実まっしぐらの男だ。
何事であれ、ナゾなんていう言葉を耳にすると、
どうしても真実が知りたくなる。
で、何とかそれを解明しようと、遮二無二、一直線で努力する。
そのため、生活をも省みず・・・・その結果、
正直これまで、かなり貧しい人生を送ってきた。
ところがフラクタル関係空間理論を発見してからは
学問のすべてが統一できたので、
やっと安心できた。
『かごめかごめ』の歌の意味が不明である。
・・・この話を聞いた17年前、
43歳の俺はゾクゾクしてきて、
この意味をぜひ解明しようと、
いろいろと努力をしたものであった。
ネットで調べると、いまだに諸説がある。
ただ俺の場合、自分なりの解明は完全に済んでいる。
物事の真実と言うのは、客観的事実と自分の解釈が一致し、
矛盾が一切なく、自分が深く「命を賭けるほどに」納得すれば、
それでいいだけの話である。
何たって、最後は『自分の人生』なんだよな。
諸説があっても、かまわないわけだ。
そもそも『かごめかごめ』の歌詞もひとつではない。
歌詞が違えば、歌の内容も違ってくるのは当然だ。
俺の解釈は、最も一般的な歌詞の解読だ。
その他、考えてみれば、ひとつの言葉自体が
いろいろな意味を持つことも多い。
たとえば「ブルー」は普通、「みずみずしく青い」の意味だ。
しかし「ブルーフィルム」となると、「猥褻フィルム」を意味する。
その他「ブルー」は「未熟」も意味する。
「ケツの青いヤツ」なんて使う。
ちなみに、「青春」=「青い春」は明治時代の中頃に生まれた。
その理由は、江戸時代までは、15歳になると武士は元服し、
農家・商家などの子供たちは、働いていた。
ところが明治になると、どうか?
明治には西洋文明がどっと押し寄せてきて、
明治中期になると、西洋文明を消化する期間・・・
つまり高等教育機関で勉強をする時間が必要になった。
その結果、「青春」という言葉が誕生したわけだ。
すなわち、言葉の誕生には意味があるわけだ。
もうひとつ考えるべきことがある。
物事の解釈というのだって、
例えば「首を横に振る」という仕草も、
インドのある地方に行けば、「肯定の意味」になる。
「カズノコ」は昔、「畑の肥料」だが、今は貴重品だ。
「マグロのトロ」は元大関小錦によると、
昔ハワイでは捨てていたそうだ。
赤身しか食べなった。
また普段はカズノコやトロを食べる人も、
病気で食欲がないときは、これを食べるのは苦痛だし、
また元々カズノコやトロが大嫌いという人もいるだろう。
このように考えると、
ある歌の意味が、時代により、また場所により、
また人間により変わるのは、自然だということになる。
以上の結論を言うと・・・
俺たちが、まず確認すべきことは、
『かごめかごめ』の意味も、
時代によって、地方によって、また人によって変わったって、
全然かまわないということだ。
いや、変わるのが当たり前なんだ。
まして、『かごめかごめ』の歌詞も、
いろいろあるわけだから、
歌の意味が、これから俺が述べる意味と、
変わっていたとしても当然だ。
だが、「現在におけるメインの意味」というのはある。
それを以下に俺流に述べたいと思うわけだ。
まず一般的な歌詞全体を見てみる。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
というものだ。
では俺流の解明をしたい。
自分では、一番リーズナブルと思っている。
しかし、申し訳ないが、以下は有料版で、非常に詳しく述べたいと思う。
有料版でしか、述べられないのは、
深い深い理由もあるんだ。
その理由も有料版に載せる。
ってわけで、無料版の人は、大変申し訳ないが、
ネットに載っている不十分な解釈で我慢してくれ。
そんじゃな!
むろん、今日の夜もDOTISだ!