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韓国ドラマ 「砂時計」①

 
  
 伝説の韓国ドラマ「砂時計」は「白夜」の後に見ました。制作年は前後しますが、同じキム・ジョンハク監督のドラマで、韓国ドラマ史上最も問題性のある作品です。放映時間中は飲食店から人がいなくなると言われるほど、視聴率も高く、センセーショナルを巻き起こした作品です。
 「白夜」では北朝鮮に生きる人々の悲劇を描き、「砂時計」では韓国の軍事独裁政権時代の悲劇を描きました。
 フランスの映画監督コスタ・ガブラスは、ギリシャの軍事独裁国家体制を描いた「Z」と、ソ連のスターリン体制を描いた「告白」の2作を1970年代に制作しました。時代と国の違いはありますが、国家が人々を抑圧し、自由を奪い、暴力により支配するのはキム・ジョンハクが描いた「砂時計」、「白夜」と同じです。
 主演はチェ・ミンス。「白夜」では北朝鮮のスナイパー、「砂時計」では一人の女性を愛するがゆえに、国家やカジノの大物に翻弄され、三清(サムチョン)教育隊(注①)や光州事件(注②)に関わり、暴力団の幹部として投獄されます。高校時代からの親友パク・サンウォンは検事になり、チェ・ミンスに求刑をします。
 チェミンスが生涯をかけて愛した女性は、カジノ王の娘のコ・ヒョンジョンです。ボディーガードのイ・ジョンジェは、カジノの縄張り争いで敵方に拉致された中学生のコ・ヒョンジョンを助け、死ぬまでコ・ヒョンジョンを守り続けます。
 「砂時計」は暴力描写が多く、特に三清教育隊のリンチシーンは、目を覆うほど凄惨なシーンでした。前半は三人それぞれの若い頃、民主化闘争の時代が描かれ、後半では、チェ・ミンスがやくざの幹部になり、コ・ヒョンジョンはカジノ王の2代目として実業の世界へ、パク・サンウォンは正義感の強い検事になります。それぞれの場所で国家権力や卑屈な人間たちの暴力、検察の圧力、カジノを巡る抗争など様々なことが起きます。
 これまでにタブーとされ、描かれることがなかった、韓国現代史である「光州事件」、「三清教育隊」をとりあげたことは大きな衝撃だったことでしょう。名匠キム・ジョンハク監督だからこそ、描くことができた作品なのだと思います。
 
 注① 三清(サムチョン)教育隊 「Wiki」より
 1979年に軍事クーデターを起こし,政権を掌握した全斗煥が「社会のゴロツキ」どもをいっそうするという命目で設立された。1980年8月から1981年1月までの間に6万7555人が検挙された。
 彼らは「審査委員会」によってABCDに分類された。そしてA級は軍法会議にかけられ、D級は警察での訓戒処分に処された。BC級の3万9786人が三清教育隊に入隊させられることになった。
 入隊者の中には暴力団などの関係者も多かったが、民主化運動の活動家も入隊させられており、民主化運動弾圧の意図があったとも言われている。また、1万5千名余りの未成年者、婦女子も319名が同教育隊で「教育」を受けさせられた。
 入隊者は「滅共棒」と称する丸太を数時間も担がされるなど,様々な肉体的、精神的虐待を受け、54人の死者を出したという。
 後遺症による死者も397人、精神障害を負った者は2678人に上がった。また教育修了者の内、7587人は1980年12月に制定された「社会保護法」によって、引き続き収容された。
 しかしその実態は長らく資料の大半が非公開とされてきたため、明らかになっていなかったが、ノ・ムヒョン政権下の2006年2月に行政自治部の傘下にある国家記録院が、中央行政機関や地方自治体で保管されている記録物の実態を調査した結果、三清に関する記録も保管されていることが明らかになった。
 
 注② 光州事件 「Wiki」より
 朴大統領の死亡により全国各地で民主化要求のデモが続いたが、軍事クーデターを起こした全斗煥は全国に戒厳令を布告し、民主的な政治家の金大中や金泳三を逮捕、軟禁した。
 金大中は全羅南道の出身で光州では人気があり、彼の逮捕が事件発生の大きな原因となっている。また鎮圧部隊の空挺部隊もかつては韓国軍のエリート部隊であったが、全斗煥の警護部隊に格下げされ、兵士たちには鬱憤がたまっていた。
 5月18日光州市で、大学を封鎖した陸軍空挺部隊と学生が自然発生的に衝突した。軍部隊、機動隊の鎮圧は次第にエスカレートし、また翌19日にはデモの主体も学生から、軍隊と機動隊の暴力に激昂した一般市民に変わっていった。市民はバスやタクシーを倒してバリケードを築き、応戦した。21日に群集に対する空挺部隊の一斉射撃が始まると、市民は郷土予備軍の武器庫を奪取して武装し、これに対抗した。戒厳軍は一時市外に後退して、光州市を封鎖(道路、通信を遮断)包囲した。
 軍部の完全統制の下で、マスコミには一切報道されなかった。事件は金大中が市民、学生らを煽動して起きたという風説を、軍部は意図的に報道した。
 死亡者は170人、負傷者は380人にもなり、市民の逮捕者も出た。
 
  
 軍部が光州市を封鎖したために、当時事実が報道されることはなく、民主化を求める学生が起こした暴動として韓国や世界に報道されました。真実が明らかにされるのは、韓国でも1990年代以降になります。
 民主化運動とは無関係なのに、学生に対する弾圧に巻き込まれ、光州市の人々は軍隊によって暴行を受けます。さらに軍隊の発砲により、光州市の人々は傷つき、殺されていきます。目の前で起きている、軍隊の一般市民への殺戮と暴力に抗議・反対する光州市民によって、自然発生的に起きたのが「光州事件」と呼ばれるものです。正しくは「光州市民弾圧・暴力事件」と呼ばれるべきだと思います。
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