goo

イ・ジョンヨン 「君(ノ)」

 

2007年2月17日「コンサート7080」より

 
 
 最近はKBSTV「全国のど自慢」や「歌謡舞台」でしか、韓国音楽に接することができなくなりました。先週の「全国のど自慢」で、イ・ジョンヨンの”君”を、どう見てもトロットを歌いそうな中年男性がとても気持ちよく歌っていたのが印象深くて、観ていて私も楽しくなりました。
 ”君”は1975年に大ヒットして12月には大賞に輝いた歌です。フォーク歌手イ・ジョンヨンは現在牧師で、アメリカ、ロサンゼルスの教会で教会活動を行っています。
 
    君
 
 落ち葉舞うあの森で 青い海辺で 震える手をにぎってくれた君
 星影のような瞳で 永遠を約束し 僕のため祈りを捧げていた君
*微笑み目を閉じた君 僕の元を去った後 孤独なジプシーのように
 夜を焦がした無数の日々 今日も思い出の中を彷徨い 
 疲れ果てた蒼白な僕の魂*
 風に吹かれて 雨音が遠くで 忘れてしまった君の声
 乱れた髪を銀色のようになびかせて 立ち戻った君の昔の面影
 *~*
 
 韓国ドラマ・韓国音楽で韓国の歴史を知れば知るほど、もっと生々しく韓国を感じることができます。
 1975年に大ヒットした”君”が愛唱歌だという韓国ブログの方の記事で、『1975年の韓国』が掲載されていました。その年の政治や文化の様子がよくわかりました。大変な歴史です。
 
 
 1975年の韓国(韓国ブログから抜粋)
 
 現代史の中で 1975年は特別な年です。1975年は軍事独裁の朴政権の抑圧と恐怖政治が、さらに大きく動き始めた時期です。
 新年初頭から朴大統領は「維新憲法賛否国民投票」を強行して、野党は投票拒否で, 学生たちはデモで対立しました。
 3月には白紙広告で抵抗した「東亜日報」が発行禁止になり、4月には高麗大学に休校を命じて軍隊が進入する「緊急措置 7号」が宣布されました。人民革命党事件関連者たちに対する宣告公判に引き続き、4月 9日にはこれら 8人に対する死刑を執行しました。
 4月の最後日ベトナム戦争敗北が伝わり、全国で「官制反共決起大会」につながりました。
  5月には '維新憲法を不正·反対·歪曲または誹謗する、その改訂または廃止を主張·請願·煽動または宣伝する行為を禁ずる'「緊急措置 9号」が宣布されました。.
 6月にはソウル大で学徒護国団が結成され、7月には防衛税が新設されて、9月には汝矣島(ヨイド)国会議事堂が竣工されました。
 同じく9月には「民防衛隊」が発足しました。韓国男性の中で予備軍訓練を終えた現役や、補充役や第2国民役を終えた 20歳から 50歳までの全員を対象'にしたこの新兵役制度は、大学に入ることができなかった高校卒業生たちにも編制されました。小学校で開かれた発起式に中年たちとともに参加しながら、僕(韓国ブログの筆者)はこの制度に毒づきながらもそこにいました。
 12月には仏教徒の護国僧軍団発起式がありました。「軍事政権の下で戦時中のような安保動員体制, すなわち仏教徒も僧兵体制で転換させたこと」という評価を受けたりもしました。16世紀壬辰倭乱(文、慶長の役)当時の僧兵を思い浮かぶこの制度を通じて、朴大統領は永久政権と兵営国家の夢を実現しようと思ったのでしょう。
 しかしおよそ 40余年ぶりに確認するこの現代史の大事件は、当時20歳の高校卒業生には不慣れなことでしかなかった。20歳の青年にとって1975年は、将来への希望と絶望の交錯だけでした。

 1975年で浮び上がるのはむしろ政治社会的事件ではなく、文化や芸能記事が先に出ます。 韓国芸術文化倫理委員会がほしいままにした『大衆歌謡弾圧』は、おおよそ230余曲を禁止曲にしました。倫理委員会が明らかにした禁止理由は、否定的な歌詞・暗い歌、退廃風潮助長, などたやすく納得できないものでした。
 シン・ジュンヒョンバンドが歌ってまさに国民歌謡になった”美人”、ソン・チァングシクの”鯨狩り”は言うまでもなくて、キム・チュジャ”嘘だ”、イ・ジャンヒ”それは君”など、過ぎ去ったヒット曲たちさえ禁止曲判定をもらいました。この禁止曲判定は単純に放送禁止だけではなく生産と流通、公演まで全面禁止することで歌謡界を凍りつかせました。
 
  1975年を飾った最後のハイライトは、12月初めの「マリファナ喫煙芸能人拘束事件」でした。拘束された芸能人は歌手シン・ジュンヒョン、イ・ジャンヒ、ユン・ヒョンジュ、チャン・ヒョン、キム・チュジャなど 18人でした。シン・ジュンヒョンは”美人”を国民歌謡級でヒットさせましたが、禁止曲判定をもらったので監獄に行かなければなりませんでした。
 
 ”君”を歌って8ヶ月連続 1位歌手で、12月3日に黄金トロフィーを受ける事になった歌手イ・ジョンヨンはトロフィーの代わりに逮捕されてしまいました。
 イ・ジョンヨンが歌った”君”は 1975年を飾った歌でした。魅力的なこの歌を僕はかなり楽しんで歌っていました。
 僕は高速道路で仕事をし、夕方には簡易停留場の下にいる運転手食堂で同僚労動者たちとマッコリを飲みました。お酒を飲みながら、おはしでチャンチキチとに歌を歌うのが自然だった時代でした。僕たちはたまにお酒に酔ってその頃の流行歌を合唱したりしましたが、僕が歌った歌の中では”君”が断然ずば抜けた歌だったのです。
             (韓国ブログから抜粋)
 
 1975年の一番のヒット曲”君”を歌ったイ・ジョンヨンが一番最初にマリファナで捕まりました。180日間拘束され、イ・ジョンヨンは最後まで無実を訴えました。元々キリスト教の信者だったのですが、拘置所で27歳の死刑囚に会い聖書を進められ、”私の分まで生きてください”といわれ、信仰心が更に深くなっていったそうです。出所後教会関係者になったイ・ジョンヨン。
 1979年にパク大統領の突然の死亡で、4年ぶりに政府の放送出演禁止令が緩みました。イ・ジョンヨンはその後ミュージカル 「ジーザス・クライスト・スーパースター」のキリスト役で出演。ミュージカルが終った後に、牧師になろうと決意しました。”冬の子供”のヒットのあとアメリカへ渡り神学を勉強します。多くのバイトをして生活費と学費を稼ぎ、教会を建てました。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )