醤油庫日誌

やかんの映画ドラマ感想文。

「砂の器」

2008年12月07日 | 【さ行】タイトル
1974年、松竹。
東北弁の「カメダ」、ただそれだけを手がかりに刑事がこつこつと捜査を続けていくのが前半。
ドラマチックな主題曲を背景に、巡礼の親子がたどった辛い旅路を描くのが後半。
やかんは前半の捜査パートに非常にわくわくしたのですが、後半は一転して犯人の幼少時代に寄り添うような視点になるのですね。
これがもう、すごい力技。
荒海の浜辺、梅が満開の里、夏の田のあぜ道……日本の懐かしい風景と親子の情愛。
見る者の涙腺を刺激するエピソードが、音楽の高まりとともに波状攻撃できます。
画像の美しさ、巡礼の親子の渾身の演技、共に圧倒的でたしかにすごい。
……だがなぁ、だからといって恩人の元駐在さんを惨殺した音楽家に同情はできないでござるよ。
宿命? んな言葉でごまかしてないで、さっさと面会に行ってこい。
過酷な幼少時代や世間のらい病への偏見に、殺人の罪を転嫁しているようでどうも気分が悪い。
やかん、その辺りに引っ掛かって素直に涙が出なかったでござるよ。
駐在さんは情のある善人で、らい病患者の実父の存在を吹聴してまわるはずもなし、殺人の動機としては弱くないか?
音楽教育と無縁だった子供がピアニストになるのは無理じゃないか? 今まで父の生死ぐらい確認しようとは思わなかったのか? 車窓から紙吹雪をまいたらかえって目立つでとか、成人後の顔がなんでわかるねんとか、ケチつけ根性が次々と湧き上がり、もう泣けん。
……それを差し引いても、ラスト三十分の怒涛の盛り上がりはまさに圧巻でした。
刑事物が一転して人情物に変わってしまう、しかも音楽が主体になってしまう。
感動しながらもなんか化かされたような心持になってしまう、奇妙な逸品。

「晩菊」

2008年12月03日 | 【は行】タイトル
1954年、東宝。
金貸し・掃除婦・待合女中の三人の中年女の愚痴話が二時間延々と続く。
こんなのリアルで聞かされたら、毒気に当てられて寝込みかねないでござるよ。
ところが映画となると……こすっからい彼女たちの身の上話が妙に心に沁みて、しみじみとしてしまうのだ。
金貸しの杉村春子が昔の男の訪れにウキウキと小娘のようにはしゃぐ姿がいじらしい。
が、男は酔っぱらった挙句に「頼む、金を都合してくれ」とくる。
座敷でいぎたなく酔い寝する男、追い立てたいが折悪しく降りだした雨。
百年の恋も冷め果てた白けた気分で、男の写真を燃やす女……ああ、わびしいねぇ。
画面から伝わる古き昔の生活臭がいい。
貸金の回収に下町の路地を歩きまわる和服の女、白く乾いた地道に立つ砂埃や、立てつけの悪そうな木造家屋。
ノスタルジックな風景にチンドン屋や豆腐屋のラッパがうつろに響く。
「男も子供も結句手元にゃ残らないんだから。自分の面倒はやっぱり自分でみるんだよ」
我が身を自嘲する落ちぶれた掃除婦の嘆きが、やかんの耳にも痛かった。
そうでござるな、老後の金は働けるうちに貯めておかないと。
けっして明るい気分にはなれないが、五十年前の昭和風景と名女優杉村春子を観て損のない映画。