八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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鞍馬寺・六甲比命神社(瀬織津姫)を訪ねる旅

2014-04-18 14:44:00 | 六甲山とその周辺
http://www.ningenclub.jp/blog01/archives/2014/03/6768.html

鞍馬寺・六甲比命神社(瀬織津姫)を訪ねる旅(6/7~6/8)


鞍馬寺・六甲比命神社(瀬織津姫)を訪ねる旅

●2014年6月7日(土)~8日(日)

●参加費:42,800円(宿泊・講演会・懇親会費含む)


お申込みはこちらから


昨年11/2~3、長野の旅から半年、
いよいよ瀬織津姫が眠っているという、伝説の石座を訪れます!!

今回も、神話伝承研究家の大江先生と、古代の霊とも繋がる霊能者ハニエル先生が
京都から神戸まで、みなさんを不思議な旅に案内してくださいます。

六甲ツアー  
大江幸久 ハニエル先生
  
☆オススメ☆
 ・全室シングルルームをご用意。大浴場でゆったり、温泉気分を楽しめます!
 ・移動は専用バスで安心!
 ・ハニエルさん・大江さん・舩井勝仁の講演会と懇親会付き!!
 ・参加者に瑠璃さんが描かれた瀬織津姫のポストカードブックをもれなくプレゼント!!!


お申込みはこちらから

大江先生からの旅の御紹介をいただきました!!


京都 九頭竜大社と鞍馬

戸隠ツアーと今回のツアーの連続性

 平成25年11月、にんげんクラブのバスツアーの行き先は戸隠でした。 その3ヶ月前、
ハニエルさんを通じて瀬織津姫から、「戸隠へ行って、モチコさんの神上がりのお手伝いを
してください」、というメッセージがあったのです。ハニエルさん一行は11月3日、戸隠九頭竜 神社へ参拝し、神殿の前で無事にモチコさんのご供養と神上がりのお手伝いを終えることが
できました。この神業を通じて、戸隠のお膝元にある善光寺が121代にも及ぶ皇室・五摂家
直属の寺院として日本仏教創生の時期より、モチコさんを供養するために創建されたお寺で
あることが新たに判明しました。

九頭竜大社の創建

モチコさんの御神霊は神上がりを目指して、今から60年前の1954年、京都八瀬の地にご降臨
されました。鞍馬寺と目と鼻の先にあるこの地にモチコさんが、多くの衆生を救わんと創建された九頭竜大社への参拝が、戸隠での神業の後になされることにより、モチコさんハヤコさんのなお いっそうのご供養と顕彰につながる重要な行事と位置づけられるといえるでしょう。

以下は八瀬の九頭竜大社の由緒書きからです。

   >昭和29年11月24日 ご祭神九頭竜弁財天大神様が開祖大西正治朗の夢枕に立たれ、「汝の 身を社にする。無限に人を救う。奇蹟を以て即座に守護を与える。神は人を救って神界に上る。」 とのご神託をお授けになり京都八瀬の地に降臨され、九頭竜大社が発祥いたしました。九頭竜弁 財天大神様は慈悲の神であり、人生における諸々の災い、厄を取り除き、福徳を授け、幸いに お導き下さいます。発祥当初より九頭竜弁財天大神様の奇蹟の力が発揚され、月参りをなさるな ど、熱心にお参りになる方々が後を絶ちません。数多くの方々が大神様よりのお蔭をいただかれる 霊験あらたかな社です。<

鞍馬寺

鞍馬寺には毘沙門天・吉祥天・善膩師童子(=筆者推定:それぞれ天照大神・瀬織津姫・天忍穂耳命の仏教的お姿)が祀られています。

 ハニエルさんからお聞きした、おそらく神様のお言葉によると、
  
>鞍馬の御神体であり三位一体を示す「尊天」は「すべての生命を生かし存在させる宇宙エネルギー」の現れです
毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」
千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」
魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としているとの事です
太陽 月 大地 ( もしくは星)、それは、本当は無限 宇宙 地球 を表し、無限〜有限〜肉体を表しています
何か一つに偏ることなく三位一体に繋がることにより私たちは中庸で在ることができ、
調和のエネルギーシステムが発動します<



伏見稲荷とキツネ

 稲荷さんといえば、必ずと言ってよいほど狐さんとセットになっていますが、このご縁についてはホツマによって解明できます。 空海さんともご縁のある伏見稲荷にはどのような歴史があるのでしょうか。
お楽しみに。


 神戸 六甲・芦屋

芦屋神社と六甲山頂の天穂日命の磐座

 天穂日命の磐座がなぜ六甲山山頂尾根、しかも、瀬織津姫の磐座の至近距離、直線距離にして
わずか300メートル東方に鎮座しているのか、これには大変重要な意味があると思います。
ここは、単に天穂日命の憑代ではなく、御陵ではないのでしょうか。天穂日命の磐座の里宮が芦屋市の芦屋神社です。かつては天穂日命一神を祀る神社でした。磐座から冬至の日の出ライン延長上にピタリと位置しています。里宮と磐座の関係が明確に残っている、という意味でも貴重です。
ホツマによれば、天穂日命は天照大神とモチコ姫との間の御子神で、長男に当たりますが、事情によって瀬織津姫によって養育されます。瀬織津姫は天穂日命の育ての親なのです。天穂日命はどのようなご活躍をされた神様だったのでしょう。
このこともツアーで明らかとなります。

六甲山の六甲比命神社は瀬織津姫の御陵

六甲の山名を冠する姫神である六甲比命大善神。六甲比命大善神が、『記紀』神話に記載されず、
阪神・北摂地域の伝承にも登場しないことから、どのような御事績を残された神であるのか、今まで全く不明でした。しかしこの謎の神、六甲比命大善神について、『ホツマツタエ』によってひも解くことが できました。それをもとにすると六甲比命大善神の磐座とは、伊勢神宮祭神、天照大神の后である天照日の前に向かう姫=向か津姫=瀬織津姫の御陵という推定が成り立つのです。御現身(おうつしみ=人の御姿をされる)の天照大神は、「晩年に伊勢の内宮で神上がられるときに后の瀬織津姫にご遺言を残された」と『ホツマ』にあります。
天照大神は「私は豊受大神の御陵のある丹後の真名井でともに男性の道を守る。瀬織津姫はヒロタ(廣田神社とそのかつての領地=六甲山とその周辺一帯)へ行ってワカ姫(天照大神の姉神=神戸市の生田神社祭神)のご神霊とともに、女性の心を守るように」と御命じになりました。
このとおりなら、瀬織津姫は晩年にこの阪神間へお越しになったことになります。
やがて御現身である瀬織津姫もこの地で神上がられ、その御陵がこの地域のどこかに存在するのです。
その最も有力な比定地が、六甲山頂尾根に位置する六甲比命大善神の磐座なのです。
六甲山はかつてムカツ峰と呼ばれていました。その後ムコノ山、武庫山となり、ムコには様々な漢字表記が なされましたが、江戸時代ごろより六甲の漢字が当てられ、明治以降に「ロッコウ」の音読みで呼ばれるようになって現在に至っています。

伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神は天照大神荒御魂であり、『神道五部書』にはまたの名を「瀬織津姫」と記されています。天照大神荒御魂は西宮市の廣田神社の主祭神ですが、別名、撞賢木厳魂天疎向津姫(ツキサカキイズノミタマアマサカルムカツヒメ)と申し上げます。
祭神名の向か津姫と、かつての廣田神社の領地であった向か津峰の山名が一致します。
つまり向か津姫の御神体である荘厳な磐座が鎮座している故をもってこの山が向か津峰と呼ばれたと考えられ、その後、山名の変化とともに神社名・祭神名も同時に変化していったことからも、六甲比命大善神が六甲の山名由来の女神であるとみなすことができるのです。

  <日程予定>  ※貸切バスで移動します。

6/7  京都駅集合
    鞍馬寺参拝
    伏見稲荷参拝

       ホテルにて講演会&懇親会

6/8  六甲山神社など石座訪問

     新神戸駅または三宮駅にて解散 
  

大江先生から、詳細の説明をいただきました。

 
六甲山の六甲比命神社は瀬織津姫の御陵

六甲の山名を冠する姫神である六甲比命大善神。六甲比命大善神が、『記紀』神話に記載されず、阪神・北摂地域の伝承にも登場しないことから、どのような御事績を残された神であるのか、今まで全く不明でした。
しかしこの謎の神、六甲比命大善神について、『ホツマツタエ』という書物によってひも解く
ことができることが判ってきました。

それによると六甲比命大善神の磐座とは、伊勢神宮祭神、天照大神の后である天照日の
前に向かう姫=向か津姫=瀬織津姫の御陵という推定が成り立つのです。
『ホツマ』は、ヲシテ文字という神代文字を使って全編五七調で貫かれ、天地開闢以来、景行天皇・日本武尊の時代までの歴史や、神々の様々な教えが記された一大叙事詩です。

御現身(おうつしみ=人の御姿をされる)の天照大神は、「晩年に伊勢の内宮で神上がられるときに后の瀬織津姫にご遺言を残された」と『ホツマ』にあります。天照大神は「私は豊受大神の御陵のある丹後の真名井でともに男性の道を守る。瀬織津姫はヒロタ(廣田神社とそのかつての領地=六甲山とその周辺一帯)へ行ってワカ姫(天照大神の姉神=神戸市の生田神社祭神)のご神霊とともに、女性の心を守るように」と御命じになりました。
このとおりなら、瀬織津姫は晩年にこの阪神間へお越しになったことになります。やがて御現身である瀬織津姫もこの地で神上がられ、その御陵がこの地域のどこかに存在するのです。その最も有力な比定地が、六甲山頂尾根に位置する六甲比命大善神の磐座なのです。

六甲山はかつてムカツ峰と呼ばれていました。その後ムコノ山、武庫山となり、ムコには様々な
漢字表記がなされましたが、江戸時代ごろより六甲の漢字が当てられ、明治以降に「ロッコウ」の音読みで呼ばれるようになって現在に至っています。
伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神は天照大神荒御魂であり、『神道五部書』にはまたの名を「瀬織津姫」と記されています。天照大神荒御魂は西宮市の廣田神社の主祭神ですが、別名、撞賢木厳魂天疎向津姫(ツキサカキイズノミタマアマサカルムカツヒメ)と申し上げます。
祭神名の向か津姫と、かつての廣田神社の領地であった向か津峰の山名が一致します。
つまり向か津姫の御神体である荘厳な磐座が鎮座している故をもってこの山が向か津峰と呼ばれたと考えられ、その後、山名の変化とともに神社名・祭神名も同時に変化していったことからも、六甲比命大善神が六甲の山名由来の女神であるとみなすのは極めて妥当です。

一方、『ホツマ』には、天忍穂耳命が瀬織津姫の御子神として描かれていますが、天忍穂耳命を主祭神として祀る神戸市北区の小部杉尾神社と伊丹市の天日神社が、六甲比命の磐座と一直線上に並んでいることにも瀬織津姫と天忍穂耳命の関係がうかがえます。

また『ホツマ』には天穂日命が瀬織津姫のもとで養育されたことも記されていますが、そのご縁を示すように、天穂日命の御陵と推定される磐座が六甲比命大善神の真東、わずか300mの場所に鎮座しています。これらの神社・磐座の位置関係からも推定し得る神々の御関係は、『記紀』では何もわかりませんが、『ホツマ』によって明らかとなります。

以上の事から、六甲比命大善神とは、
天照大神の后神、向か津姫=瀬織津姫であると推定できるのです。

           (大江幸久)




古事記や日本書紀でもそうですが、一般的に天照大神と言えば「女性神」として有名です。

しかし一般的には「偽書」と呼ばれている古文書の1つに「ホツマツタヱ」という古文書があります。
そのホツマツタヱには「天照大神は男性神で、后を持っていた」という内容が記されています。

その名は、瀬織津姫。 天照大神の命によって晩年を現在の兵庫県西宮市とその周辺で過ごし、神上がられたようです。
やがて、様々な検証の末、
六甲山にある六甲比命神社が瀬織津姫の墓所であることが近年特定されました。

しかし、このような天照大神が男性神であることは、一切記紀神話では書かれていませんし、
そして女性神であるが故に、当然ながら后がいること、そして瀬織津姫という存在自体も記紀神話には出てきません。それどころか全国の神社祭神からも瀬織津姫の名前は消されてしまったようです。

そのような背景もあってか、瀬織津姫とは今まで謎の女神として長く語り継がれてきましたが、
その謎の女神の真相が明るみになってきた今、まさに瀬織津姫の封印が解かれようとしているように思えます。

これはそれぞれの封印が解かれているだけでなく、 間もなく今まで封印されていた日本という国の本当の真実が明かされる時が差し迫っているのだと感じます。

そんな歴史を辿り、日本の真実の証人になりませんか!!

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お問い合わせは、にんげんクラブまで
TEL 03-6698-9561  E-mail toiawase@ningenclub.com

イワクラ学会

2014-04-15 08:55:00 | 六甲山とその周辺
http://iwakura.main.jp/index.html

 イワクラ学会のホームページには、まず、芦屋神社と御影の綱敷天神社の奥宮といえる六甲山カンツリーハウス敷地内の天穂日命の磐座の写真が紹介されています。 先ごろ催された兵庫県六甲山イワクラツアー(瀬織津姫を訪ねて)の様子もアップされています。
 ぜひご覧ください。