八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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単なる偶然かも知れませんが。

2010-10-11 13:59:00 | ノンジャンル
 今回、因幡三山といわれる甑山、面影山、今木山に着目したことをきっかけに、改めて、地図を広げて神社や山の位置関係を探ってみました。因幡三山とはいえ、筆者の視点では、大路山も重要な位置にある山であり、さらに因幡山も加えて因幡五山としたいところです。因幡の国名を冠した山ですから外すわけには行きません。

 もちろん、地図上の記号などを基としているところもあるので、多少不正確なところもあります。また、神社や遺跡は数多くあり、創建当初より移転した場合もあり、中には偶然の一致も含まれることもあるでしょう。しかし、これだけ出てくると単なる偶然とはいいがたいものも確実にあるといえます。
 夏至冬至の日の出、日の入りが描くそのラインで、因幡の白兎、八上姫、、天照大神、瀬織津姫をはじめとする神社、遺跡、山々の山頂などを結ぶと、多くの菱形が出来上がります。つまり、古代における神社や遺跡、人工的に加工された山の山頂などは、少なくとも2方向以上の他の拠点からの視点で、位置が決定された、と言ってよいでしょう。それらの拠点を土地の中心として縁ある神を祀って守護をいただき、周辺に村が形成されていったものと思われます。広範囲からの信仰が集まると門前町や鳥居前町になります。戦国時代の城下町も同様といえるでしょう。守はカミと呼ばれました。
 この夏至冬至ラインが形成する菱形と東西南北のラインは、伊勢神宮の神紋と一致します。もしかするとこれが菱紋の起源とも関連するかもしれません。
 まず、ここでこれらのラインの要として、面影山から見ていきます。
 面影山を起点とする夏至冬至ラインをたどると、若桜町の氷ノ越えの因幡堂跡(祭神は大兎明神)に行き着きます。面影山と夏至冬至ラインで結ばれる南西に隣接する大路山、この夏至冬至ラインの延長上に白兎海岸の白兎神社が位置します。大路山から反対方向へ伸ばすと風宮神社、そして八頭町と国府町の堺の宝山山頂へと続きます。
 塩土翁命の塩釜神社のある面影山の南北ラインは南下すると、変形八角墳の福本70号墳と福本白兎神社をかすめて、船岡の塩ノ上神社祭神(塩土翁命)、大江神社(祭神に大己貴命、八上姫)へとつながります。変形八角墳の福本70号墳の真東に白兎夏至冬至ライン上の胞衣塚があります。
 福本白兎神社の真西に霊石山山頂、真東に賀茂神社燈籠、賀茂神社、私都花原、瀬織津姫を祀る花原神社、私都福地神社が位置します。
 夏至冬至ラインではありませんが、瀬織津姫を祀る智頭町の虫井神社から八頭町宮谷の賀茂神社を通過するラインは、ほぼ桜谷神社(祭神瀬織津姫)のある面影山につながります。 虫井神社から北方へラインを引くと八頭町の猫山(ねこやま=和多理山)山頂、八頭町私都(きさいち)延命寺の貴布禰神社、そして変形八角墳の梶山古墳が位置します。梶山古墳は霊石山山頂、天照大神の行在所、伊勢ヶ平(いせがなる)からの夏至冬至ライン上にも位置します。霊石山から夏至冬至ラインで旧八東町、『神様カード』で有名になった伊蘇乃佐只(いそのさき)神社が位置します。伊蘇乃佐只神社の北方に瀬織津姫を祀る私都篠波(ささなみ)の御幣沼(みてくらぬ)神社があります。
 船岡町大江の天照大神を祀る赤倉神社(本殿には波ウサギの彫刻あり)から北方へ進むと鳥取市の稲葉山、そして、瀬織津姫を祀る鳥取市福部町の立川神社があります。
 用瀬町宮原、ここは大己貴命と八上姫伝承が残る犬山神社がありますが、その東方ライン上にはほぼ若桜町岩屋堂、小船の神社、落折のかつての落折神社の社地、即ち、平家の落武者の隠れ洞窟が位置し、その東方に戸倉峠があります。
 
 昨年のミステリーツアーで初公表したとおり、犬山神社北方に御井神を祀る黒木神社があり、犬山神社由来の独特の伝承が残っています。黒木神社の夏至冬至ライン上に八上姫の奥都城といわれる嶽古墳があります。嶽古墳、賣沼神社付近を通過する、白兎夏至冬至ラインの西方向には八上姫と大己貴命伝承の伝わる河原町本鹿(ほんが)の多加牟久(たかむく)神社があります。
 白兎ラインを確認しておきます。多加牟久神社を西の基点として、賣沼(めぬま)神社、嶽(だけ)古墳、道の駅清流茶屋かわはら、天照大神を祀る八頭町米岡(よねおか)神社、白鳳期創建の土師百井(はじももい)廃寺(筆者推定:もと白兎神社の元の社地)、池田の天寺(あまてら)、と池田の白兎神社、天王木(てんのうぎ)、福本白兎神社、胞衣塚(えなづか)、賀茂神社一の鳥居跡、レストランビクトリア5、井古(いご)の土師神社、私都、山の上の神社、そして、鳥取市国府町神護(かんご)の神護神社、鳥取市国府町栃本(とちもと)の白鳳期創建の栃本廃寺が位置します。土師百井廃寺の北方には鳥取市古郡家(ここおげ)の中臣崇健(なかとみたかたけ)神社があります。
 栃本廃寺の北方に岩美町岩井の御湯(みゆ)神社(祭神大己貴命、八上姫、御井神)があり、ここも同一地点に白鳳期創建の岩井廃寺跡の礎石が残ります。
 筆者はここで推論を立てました。おそらく白鳳期に造られたこれらの古代寺院は、新たな支配勢力が仏教を拠り所として、元々は日本の神々を祀っていた場所に、神殿をあえて撤去した後に建立したものと思われます。栃本廃寺とは元々、そこに八上姫と大己貴命の宮殿があった場所に創建されたのではないでしょうか。これら計3箇所の白鳳期創建の白兎ライン上の名立たる廃寺と岩井廃寺の存在はそれを裏付ける、といったら、まだ証拠不足かもしれません。いずれにせよ日本の神々を祀る重要拠点であったのではないかと思えます。
 御湯神社の夏至冬至ラインを下ると、鳥取市立川の天神山山頂があります。天神山の真南に位置する稲葉神社は稲葉大明神、大己貴命、八上姫を祭神としています。うまくつながっています。

 鳥取市国府町の最東端、酒賀(すが)神社は長尾氏が50代にわたって神職を務める由緒ある神社ですが、祭神は八上姫と大己貴命です。栃本廃寺とも目と鼻の先です。この酒賀神社の東方には御井神を祀る大石神社、西方に楠城(なわしろ)の神社、そして神護神社があり、ここは白兎夏至冬至ラインと交錯します。ここにも楠城(なわしろ)の地名が残ります。稲葉大明神もここにお越しになったかもしれません。あるいは旧船岡町の財原(才原さいばら)と同様、大己貴命(と八上姫)が、新たな農法を民に伝授したところかもしれません。神護神社からさらに西方へ進めば、壮大な倉田八幡神社があります。
 大路山の夏至冬至ラインの延長上に白兎海岸の白兎神社があります。今木(いまき)山と面影山を結んだ直線もやはり白兎海岸の白兎神社へと伸ばしていけるのです。
 鳥取市青谷町の潮津(うしおづ)神社は大己貴命と八上姫を祭神とする神社ですが、この夏至冬至ラインの延長上に八頭町池田の白兎神社、後醍醐天皇に隠岐脱出の託宣を下された猫山の神を祀る八頭町郡家殿の和多理(わたり)神社、諏訪神社、大己貴命を祭神とする高藤神社が位置し、旧八東町の金比羅神社、野積神社、若桜町の鬼が城、そして、大炊(おおい)の荒神社へと続きます。
 
 以上、偶然的位置関係もいくらかは含まれると思いますが、八上姫と因幡の白兎に関連する神社のいずれもが、これら東西南北のライン、夏至冬至ラインで他の関連する神社と必ずつながっている、という事実は新たな発見として公表いたしました。
 検索に用いた地図の精度や、ちょっとした線引きのニュアンスで誤差もあろうかと思われますが、一つの仮説として提示しました。
 皆さんも、ぜひご自身の手でラインを確認してみてください。まだまだ、新たな発見が続出するものと思われます。