矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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“叙景歌”は消えるのか ?

2024年11月07日 07時01分04秒 | 映画・芸能・音楽

<以下の文を復刻します。>

日本人は豊かな自然に恵まれ、しかも“春夏秋冬”という四季の移ろいの中で育ってきたから、風景や季節の変化などにとても敏感な民族だと思う。自然を愛する心が、子供の頃から育まれてきたと言ってよい。
ところが、最近は世の中の動きがせわしないのか、時代の変化が激しいのか、風景などを歌う唄が極端に少なくなってきたように思う。和歌や俳句では“叙景歌”が多いのは当然だが、歌曲の分野ではほとんど姿を消したのではないか。
むろん“花鳥風月”にこと寄せて、愛や別れ、悲しみや喜びを表現する抒情歌は多い。しかし、純粋な叙景歌は歌曲の分野でほとんど消滅してしまったようだ。これが残念である。

日本人ほど叙景歌が得意な民族はそういないのではないか。明治以降、外国の音楽が大量に流入してきたが、どんな音楽でも日本人はそれを叙景歌に変えて歌うことが多かった。いろいろな例があるが、代表的なものを2つ挙げると『故郷の空』『冬の星座』がそうである。
「夕空はれて 秋風ふき 月かげ落ちて 鈴虫なく・・・」で有名な『故郷の空』は、もとはイギリス・スコットランドの民謡だが、原曲は若い男女が麦畑でういういしい恋を育む歌である。また「木枯らしとだえて さゆる空より 地上に降りしく くすしき光よ・・・」の『冬の星座』は、もとはアメリカのラブソングで、モーリーという女性を愛する内容の歌なのだ。
このように、完全なラブソングでも日本に入ってくると、美しい叙景歌に変わってしまう。讃美歌なども日本では叙景歌に変わったものが多い。

こうして見てみると、日本人がいかに“花鳥風月”を愛(め)でているかということが分かる。そして、戦前は唱歌にも童謡にもそうした叙景歌が数多く生まれたが、戦後は少なくなって今や消滅しそうな感じである。
なぜ、そうなったのか。先ほども述べたように、時代の変化が最大の要因だろうが、その中に、日本の農村や山村、漁村の風景が変化し、ある程度 荒廃したのも一因としてあるだろう。
それと、戦後の民主主義で個人の尊重、人間中心主義が確立したことも大きな要因だ。私が中学生の頃、先の『故郷の空』が原曲のラブソングから日本では完全な叙景歌に変えられたことについて、日教組のある先生が「だから、日本人は駄目なんだ。原曲のようにラブソングの方が良い」と言ったのを覚えている。

しかし、そうは言っても、日本人の心に最もふさわしい叙景歌が消えていくのは寂しい。学校でも叙景歌は歌われなくなったのだろうか。なにしろ戦前の歌が圧倒的に多いから、歌詞が難しいとか、時代にそぐわないなどの理由で少なくなっているのかもしれない。私は戦後の教育を受けてきたから、日教組の先生の言うことは正しいと思っている。しかし、それと自然を愛し花鳥風月を楽しむ心は別のものだろう。
世の中がせわしくなり、どこかギスギスした雰囲気になっている今日、農村も山村も漁村も荒廃してきた日本、こうした中で美しい叙景歌を聴くことは一服の“清涼剤”になるのではないか。(2009年6月8日)


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