おもしろニュース拾遺

 BC級ニュースが織り成す可笑しくも愛しい『人間喜劇』。おもしろうてやがて悲しき・・・

芥川賞、直木賞の候補発表

2006-01-05 17:08:17 | 発見
 よく書店で見かけるのが「今さら聞けないXXの話し」なる題名の本。今日は「文学」の話題だが、この世界、入門するのに別に資格が要らないのに「知っているようで知らない」、「今さら聞けない」疑問がいくつもある。門外漢の素朴な疑問として◆印をつけたので、どれかひとつでも構わないのでご教示いただければ幸いです。

 「芥川、直木賞:文学賞乱立」という長文の解説記事が毎日新聞1月5日付で掲載されている。「芥川、直木賞」の候補作品が出そろったことを伝え、最近の「文学賞」事情を伝えている。
 ここで最初の疑問?◆芥川賞と直木賞の違いって何?
 「芥川賞は純文学作品に、直木賞は大衆文学作品に与えられる」って、さすがにそれくらいは小生も知っている。しかし牛肉じゃないんだからまさか小説に「純文学」とラベルを貼って編集者に渡すわけではあるまい。その「違い」は誰が判別するのだろう?

「純文学」の謎

 「大衆文学」というのはまだ分かる気がするが、「純文学」ってそもそもなんだ。これは日本独特の概念ではないか。英語で言えば"pure literature"か?そんなはずはない。「分かりにくい」文学作品というのが一つの答えで、日本には「純文学」だけを掲載している文芸誌というのがあって、読んでみると確かに作者の訴えたいことが分からない、と言うより何かを言いたいのか何も言いたくないのかさえ分からない作品がほとんどで、なるほどこれが「純文学」というものかと「分かった」ような気になるのである。しかしこれまたいい加減な基準だ。分かりにくく書くのは本来素人の特徴だからだ。
 「純文学は初版だけで数千部売れればいい方」(毎日)というから、出版部数で区別するのも分かりやすいが、まるで売れない「大衆小説」もあるし、芥川賞受賞作でも数十万部売れるものもある。

 世間一般では「純文学」の方が「大衆文学」よりも”上”であると思われているが、作家の方にもそういう意識はあるだろう。◆だから自分の「芥川賞」狙いの作品が「直木賞」にノミネートされたらショックを受けて抗議するのだろうか。逆に「大衆受け」を狙った作品が「人間存在の深奥に迫る」とか評論家に勘違いされて「芥川賞」を受けたりしたら、恐れをなして辞退したりするのだろうか。

「商売敵」を自ら”選ぶ”?

 しかし門外漢から見て最も驚くのはこの2賞の選考委員(末尾に一覧)が全員小説家であることだ。そんなの当たり前と思う方は、例えば日本レコード大賞の審査委員が「日本歌謡界の大御所」、例えば北島三郎、八代亜紀・・・という人たちばかりであったらどうかと考えて欲しい。第一に彼らは全員現役の作家だ。小説の全体売上部数はほぼ一定であるから、作家同士で限られたマーケットを食い合っている。新しい自らの「商売敵」を”発掘”するというのも妙な話だ。 ひょっとしたら「この才能は脅威だ」と感じた新人の”登竜”を阻止するためにわざと駄作を推薦しているのでないか、と疑問を持つほど受賞作はつまらないことが珍しくない。実際プロ野球の「ドラ1」と同じで、「指名」された新人が全く活躍しない例も多いこともこの”疑惑”を裏付ける。
 ◆そもそも「選考委員」の選考はどの様に行われるのだろう。選考委員自身が選ぶとしたら、もうこれはギルドか一種の家元制度のような排他的な集団だ。そういう人達が「日本文学の在り方」を決めるというのはいかがなものか。
 文学賞の選考で選考委員の作家が「Aの作品は人間が描けてない」とかの講評をしているのを読むと、門外漢はつい突っ込みを入れたくなる。「じゃ、あんたの作品は書けてるのね?」。同業者を公の場で批評する居心地の悪さは、例えば、日本料理の道場六三郎が中華の陳健一の料理を「陳君の料理はスパイスの使い方がまずいね」と公の席で評価するのを聞く(もちろん実際にはない)ような感じなのだ。「料理の鉄人」の審査員席に料理人は座らないのだ。文士の世界というのは全く違う掟があるようだ。
 

「供給者サイド」の論理

 そもそも「芥川、直木賞」は、「1935年に菊池寛(上に似顔絵)によって創設された当初は、雑誌「文芸春秋」の売れ行きが落ちる2、8月対策だった」(毎日)。今でも芥川賞受賞作は「文藝春秋」に掲載され、直木賞は「オール讀物」に掲載されることで「文藝春秋社」を潤すことになっている。この両賞は分かりやすく言えば、「トヨタ自動車が選ぶ今年の”car of the year”」のようなもので、「公正」さを期待する方が無茶だ。だから少なくとも候補作には文藝春秋が著作権を持つ作品が必ず登場する。受賞作も抜きん出て多い。

 これでは日本の「文芸界」は完全な”社会主義”で、作家は文藝春秋の顔色をうかがって物を書き続けないといけないことになる。だからこれまでは「供給者サイド」の論理に偏っていた文学賞をもっと「消費者」サイドに変えていこうという動きもこの記事は取り上げている。
 <書店員がネット投票する「本屋大賞」(04年創設)、角川書店の「青春文学大賞」や「ヤフー!ジャパン文学賞」「ダ・ヴィンチ文学賞」など、ネット投票や読者代表が選ぶ賞も次々にできた。> いわば文学賞の「民営化」だ。作品の良し悪しを作家自身が決めるという不自然な在り方にようやく気づき始めたということだろう。

「最強の素人」の台頭

 それにしてもこのBlogで取り上げているBC級ニュースでも、深く読み込めばそこから「文学」に展開できるネタが満載である。19世紀には、「女性の自殺」という当時でも平々凡々な三面記事から「ボヴァリー夫人」や「アンナ・カレーニナ」のような傑作を紡ぎ出す目を持った大家がいた。今の日本には一つの事件から社会の病理を解剖してその姿を活写するという能力のある文士はいないのだろうか。

 「プロフェッショナル」の文章が衰退していく反面、Blogなどで「プロ顔負け」の”素人”の文章に出会うこともある(稀ではあるが)。考えればあの紫式部も「文学賞」とは”無縁”だった。宮中の女房の”Blog"「源氏物語」が、今でも「プロ」の作家の作品を押さえて日本文学史上最高の傑作と言われるのは皮肉だ。「文学」において「プロ」であることの意味が問われている。
 大晦日の格闘技では、「大横綱」にして現役プロレスラー、まさしく”格闘技のプロ”の曙氏に、「最強の素人」ボビー・オロゴン氏が圧勝した。喜んでばかりもいられない。「”素人”の時代」は、プロ不在の時代でもある。まだしばらくは「プロ」の健闘を望みたい。作家の先生も、例えば都知事に転身して・・というのも一つの行き方かもしれないが、やはり筆(キーボード)のチカラで社会に貢献して欲しい。

【芥川賞、直木賞選考委員】

【芥川賞】池澤夏樹、石原慎太郎、黒井千次、河野多惠子、高樹のぶ子、宮本輝、村上龍、山田詠美

【直木賞】阿刀田高、五木寛之、井上ひさし、北方謙三、津本陽、林真理子、平岩弓枝、宮城谷昌光、渡辺淳一

【付記2006.1.6-直木賞は「純文学」作家の"流刑地"か】

 その後芥川賞・直木賞受賞作品全リスト(これは候補者・作品まで含むリスト)をしげしげと見つめてたくさんの発見がありました。めったに「文学」を読まない私がこれほど楽しめたのですから、文学好きの方なら一日中眺めていても飽きないでしょう。

 第一の発見:芥川賞のリストを見ていると、「あっ、この人のエロ小説読んだことある」という作家の方をちらほら見かけます。そう。「純文学」を志したものの「堕落」して原稿料の稼げる「大衆」文学の道を選択した先生。候補に上げられながら受賞できなかった方が多いが、受賞者でもいらっしゃいます。やはり「大衆文学」の方が楽なのですね。
 また「堕落」というのではありませんが、松本清張先生はデビューは芥川賞。どちらかと言えば「直木賞」的な作風なのでちょっと意外でした。

 それから芥川賞と直木賞を一人で受賞することはできないというのは明文規定のようです。つまりどちらかの賞を受賞した時点でその人は「純文学」・大衆文学、どちらの道を進むかが規定されるということです。これはかなりユニークな日本文学界の特徴ではないでしょうか。

 第二の発見:直木賞を受賞した作家で「純文学」に転じた作家はいない。これはまだ仮説です。すべての先生の業績を知らないので、そんな気がするというレベルですが、ぜひ例外を指摘して欲しいと思います。
 これは大変なことです。「純文学」を志している若き才能が直木賞を受賞した途端「おまえの進む道は大衆文学だけ」と宣告されるのですから。喜ぶべき受賞が「流刑地」とは驚きです。直木賞作家で選考委員渡辺淳一先生のあの”朝から興奮”日経朝刊連載小説「愛の流刑地」(「愛ルケ」ご存じですよね)にちなんで、私は「直ルケ」と呼びたいと思います。

 直川龍五先生、あなたは若い頃純文学を志しておられて、芥川賞を取ったあと、ノーベル文学賞を受賞するんだとお友達に話しておられましたね。すばらしいことです。そしてあなたにはその才能があった。私、テレビで拝見したあの授賞式の時の先生の笑顔よく覚えております。とても印象的でした。ンフフフ・・満面に笑みをたたえて・・・しかし私は気付きました。あなたの目は笑っていなかった!・・・それはなぜか・・・
 そうです。あれは直木賞の授賞式だったのです。その授賞式であなたは誓ったはずです。「純文学作家としての俺の将来を奪ったすべてに復讐する」と。直木賞選考委員の全員を殺害すること、そして文藝春秋社を破産させるというあなたの「プロジェクトX」はこの日に始まったのです。

おや「ヘッドライト・テールライト」のエンディングテーマが流れてきましたね。・・・そろそろ参りましょうか。・・・私には分かりません。裁判所が決めることですから。いずれにしても少なくとももう一本小説を書く時間は残されていると思います。どうかいい「純文学」作品を書いてください。・・ええもうお会いすることはありません。古畑任三郎でした。



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12 コメント

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芥川賞候補 直木賞候補 (sadakun_d)
2006-01-05 20:52:38
毎日新聞のHPも読みました。



第134回芥川賞・直木賞

菊池寛が文藝春秋の売り上げをあげるだけのために「友人の芥川龍之介、直木三十五」の名前をつけ創設。



…ひろしです



第134回あるんですが有名賞になっていったのは昭和30年あたりから。芥川賞の石原慎太郎からですかね。



芥川賞と直木賞…おっしゃるように「明確な区分」は曖昧糢湖



芥川直木とめまぐるしく候補になる作家はかなりいて「直木賞受賞」を、ガッカリしてしまったと、コメントする作家がいる。



ドラフト会議のセリーグ、パリーグみたいな(笑)



最近の棲み分けは



芥川賞は「個人」に与える

直木賞は「作品群」に与える



それにしても…



芥川賞候補⇒平均38歳(清原だ)

直木賞候補⇒平均41歳(杉田かおる)



新人の登竜門だよ、芥川賞は

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言われて見れば納得! (calmehome)
2006-01-05 21:07:53
確かに…。う~ん、考えてもみなかったご意見ですが、ごもっとも! 芥川賞・直木賞が発表されると気になって文芸春秋を買ったり、その後発売され書店で平積みの単行本を購入したりと、賞が「気になる」私でした。「何でこれが?」というものがあったのも事実。登竜門とは? 権威とは? 考えさせてくださってありがとうございます。

私の大好きな真保裕一さんが直木賞をとっていないということも声を大にして言いたいな。
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色々な観点からご意見を (管理者)
2006-01-05 23:25:56
sadakun_d様どうもありがとうございます。

 やっぱりいたんですね。直木賞「屈辱派」。やっぱり日本の「文学をやってる」方では「純文学」上位のお考えの人の方が多いのでしょうか。

 「太陽の季節」はやっぱりあれ、全体はともかく、oooで障子を破るシーンが選考委員の先生に「文学じゃ~」と思わせたのではないでしょうか。一般受けもするし、ここで「大衆」と「文学者」が結びついた。



calmehome様 ありがとうございます。

 この視点で「考えたこともなかった」というのは意外です。ただもう少し「文学好き」の方の意見も伺いたいと思います。反論や批判をむしろ期待します。
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Unknown (bibliophage)
2006-01-06 00:19:17
TBありがとうございました。

>「トヨタ自動車が選ぶ今年の”car of the year”」

というのはまさにピッタリの表現ですね。

これだけ露骨に偏るとさすがに権威性が失われると思います。

ただ、今回の直木賞候補の顔ぶれは(出版社のことを考えなければ)興味深いと思いました。
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ありがとうございました。 (mica)
2006-01-06 15:32:45
はじめまして。

TBありがとうございました。

直木賞と芥川賞を両方受賞できないんですねぇ。

大変、勉強になりました。



こちらからもTBさせていただきましたので、

よろしくお願いいたします。
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是非ご一読ください (dashi)
2006-01-06 16:00:23
言いたいことがいっぱいでうずうず(笑)。



コメントの欄に書ける量ではないので、自分のブログに書かせてもらいました。よろしければ是非ご一読下さい。

http://blog.goo.ne.jp/kimuraminori/e/8320e5de4c44e71ed5c5e1ca64cea426



それから、芥川賞と直木賞、両方もらった人も複数いるはずです。今名前が出て来ませんが、話題になったの覚えてます。
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両賞受賞者 (管理人)
2006-01-06 17:24:50
> 芥川賞と直木賞、両方もらった人も複数いるはずです



 それはありません。

 そうでないと言われるなら、上の芥川賞・直木賞受賞作品全リストをクリックして探してみてください。

 もちろん他の賞、例えば「三島由紀夫賞」と芥川賞受賞などの作家はたくさんいます。

 日本では今文学賞の数が500とか言われているそうなので(だすべてを列挙できる人はいない)、逆にすべてを「避ける」方が難しそうです。
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懺悔 (dashi)
2006-01-06 18:33:06
申し訳ありません、思いっきりガセネタを書き込んでしまいました。

どこでどう勘違いしたか、10年ぐらい前にそんなことがあったと思い込んでいました。探してもなくて、あれ~と思って質問サイトで確認したのでよかったらご覧下さい。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1879185



とにかく、いいかげんなことを書いてしまったこと、お詫びします。管理人さん直々の反応は初めてでちょっと感激。
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はじめまして (月の壷 shuuei)
2006-01-07 06:03:35
 大衆文学から純文学へ移られた作家に、水上勉氏がおられるのではないでしょうか。

 水上氏は第45回「雁の寺」で直木賞を受賞し、その後、「人を殺すような作品は書きたくない」という考えと、また師事していた宇野浩二氏の言葉によって、すぐではないようですが、やがて純文に移られ「寺泊」(川端康成賞受賞)のような作品を書かれました。

 直木賞選考委員を第55回からつとめられ、第93回を最後に降りておられます。

 その後、芥川賞の選考委員になられたはずです。その裏づけになる山田詠美氏と水上氏の対談を読んだことがあります。

 山田詠美氏は第94回から続けて芥川賞候補になられ、しかし受賞かなわず第97回で直木賞の方を受賞されました。

 山田詠美氏は「私が芥川賞をとることを強く反対されたのはどなたでしたか」と、ちゃっめ気を出して水上氏にきくと、「わしは忘れた」と水上氏が答えられた。このことから直木賞から芥川賞の選考委員に転じた水上氏が、山田詠美氏の受賞を阻んだことがわかります。

 このことによって、水上氏が大衆文学から純文学へ移られた稀有な作家だったことがわかります。

 山田詠美氏は周知のとおり、今は芥川賞の選考委員になっておられます。さぞかし溜飲が下がったことでしょう。



 TB張らせていただきます。よろしくお願いいたします。長々と書いてしまい失礼しました。

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Re:はじめまして (管理人)
2006-01-07 11:30:58
 水上、山田両氏の話は色々な点で非常に興味深いものです。ご指摘ありがとうございました。

 芥川賞選考委員ということは「純文学作家」と認められたということなので、直木賞を受賞したからと言って「直川龍五先生」のように自暴自棄になる必要はない(笑)わけですね。東大教授を目指す人が東大を卒業していないからと諦める必要がないのと同じですね。



 しかし水上氏が山田氏の芥川賞を「阻止」したことに関連してですが、今の選考システムは選考委員のだれか一人でも反対すると受賞できないようになっていると(間違いであれば指摘してくださ)聞いています。しかし「相性の悪い」作風というのはあるので、これだとある選考委員ににらまれると、この人が冥界に旅立つまで良い作品を書いても受賞できないことになる。もうこれは「文学」を離れてただの「長寿合戦」になってしまう(笑)。

 私はフィギュアスケートなどの採点競技の方法を導入すべきと思います。まず最初に、この候補作品に点数をつけてください、として、最高最低を出した審査員はその作品についての最終決定権を持てない。山田氏は芥川賞が欲しかったでしょうが、水上氏が瞼を閉じた今も「大会規定」によって永遠に受賞はかないません。そのような悲劇を避けることが出来ると思います。



 それにしてもです。春の甲子園出場校は夏の甲子園に出られないというような今の賞の在り方はやはり異常です。これはすべて「文学」のためでなく、「営業」の観点から続けられいるのですが、この点については機会を改めて。

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