冬季オリンピックが始まってから、毎深夜に日本選手の「活躍」についての”悲報”が母国に届く。冬季五輪史上最大の派遣選手112人。このままでは史上最低タイのメダルなしに終わる可能性も出てきて、早くも「戦犯」探しの論議が高まっている。「期待高すぎ?環境悪すぎ? 日本苦戦、届かぬメダル」と16日付朝日新聞の記事。
何がいけなかったのか?もちろん原因は一つではないが、モチベーションの低さがその一つであることは間違いない。「オリンピックを楽しんで来ます」。もちろん、マスコミからのプレッシャーをごまかすための決まり文句だが、「冗談じゃない。このオレを見ろ。」と”母を訪ねて三千里”の選手がいる。
米国の男子モーグル銅メダルのトビー・ドーソンToby Dawson選手(上写真向かって右)、「27歳」。読売新聞16日付は、「実の親捜す!米ドーソン、気迫の銅…男子モーグル」という見出しの記事で、「僕の顔をしっかり見てくれ――。15日(現地時間)のトリノ五輪フリースタイルスキー男子モーグルで、銅メダルに輝いた米国のトビー・ドーソンは、ゴールした瞬間、ゴーグルを外した。」と書いている。
1978年11月30日が「誕生日」になっているが、実はこれは韓国の警察署前に捨てられていた幼い後の「ドーソン」ちゃんが児童養護施設に引き取られた日付だ。「ドーソン」君は「4歳」の時に、米・コロラド州でスキー教師をしていたドーソン夫婦の養子になった(その時の写真が上左)。アメリカに連れていかれる直前に施設で最後に写真を撮った。「この子が将来この写真館の壁に飾られるよう」と夫妻がアメリカでトビーを撮影するため連れていったときに、ひどく怯えて泣きわめいた。「今度もまた飛行機で遠くに連れていかれると思った」。
<14歳まではアルペンスキーやアイスホッケーをしていた時期もあった。1メートル68という小柄な体格を考え、モーグルに専念するようになり、頭角を現した。
「実の両親を捜したい」。世界を転戦するワールドカップ(W杯)に出場するようになって、ドーソンはそう思うようになった。「だから、絶対に五輪に出たい」。>(読売)
確かにオリンピックは自分の顔を世界に、ドーソン選手の場合は韓国に見せるまたとない機会である。「ぼくの顔と同じ人を知りませんか」というわけだ。ドーソン選手が施設に入る前の唯一の記憶というのが、母親が自分のために誕生会を開いてくれたことだという。レンガの上に外したドアをおいてその上に韓国料理を載せたというから、貧しかったには違いない。そして恐らくこの時にすでに父親はいなかったのではなかろうか。
あのジョディー・フォスターJodie Fosterのように「父親なし」で二人の子供を育てている人もいるが、70年代末の韓国では女手一つでは経済的に不可能だと思ったのが、"foster parents"に子供を託さなければならなかった理由だろう。
「有名人-”親戚”増加の法則」の通り、韓国では<「実は、たくさんの人が、自分が親だと名乗り出てきた」とも明らかにした。>(読売)という。しかし恐らく本当の親(たぶんいるとしても母親だけ)はまだ出て来ていないような気がする。今ではDNA鑑定が使えるので、親子関係の確認はほぼ絶対的だ。イタリアでの「捨て子ボックス」開設の話を取り上げたばかりだが、一度捨てた我が子に対面しやすくするシステムも必要なのかもしれない。
全く思いがけないオリンピックの「利用法」だが、こういうことはあっていい。将来のオリンピック選手にするためには、我が子を捨て子にせよというのは論外だが、あまりにも「幸せすぎる」アスリートは結果も感動も残せないのは間違いない。
何がいけなかったのか?もちろん原因は一つではないが、モチベーションの低さがその一つであることは間違いない。「オリンピックを楽しんで来ます」。もちろん、マスコミからのプレッシャーをごまかすための決まり文句だが、「冗談じゃない。このオレを見ろ。」と”母を訪ねて三千里”の選手がいる。
米国の男子モーグル銅メダルのトビー・ドーソンToby Dawson選手(上写真向かって右)、「27歳」。読売新聞16日付は、「実の親捜す!米ドーソン、気迫の銅…男子モーグル」という見出しの記事で、「僕の顔をしっかり見てくれ――。15日(現地時間)のトリノ五輪フリースタイルスキー男子モーグルで、銅メダルに輝いた米国のトビー・ドーソンは、ゴールした瞬間、ゴーグルを外した。」と書いている。
1978年11月30日が「誕生日」になっているが、実はこれは韓国の警察署前に捨てられていた幼い後の「ドーソン」ちゃんが児童養護施設に引き取られた日付だ。「ドーソン」君は「4歳」の時に、米・コロラド州でスキー教師をしていたドーソン夫婦の養子になった(その時の写真が上左)。アメリカに連れていかれる直前に施設で最後に写真を撮った。「この子が将来この写真館の壁に飾られるよう」と夫妻がアメリカでトビーを撮影するため連れていったときに、ひどく怯えて泣きわめいた。「今度もまた飛行機で遠くに連れていかれると思った」。
<14歳まではアルペンスキーやアイスホッケーをしていた時期もあった。1メートル68という小柄な体格を考え、モーグルに専念するようになり、頭角を現した。
「実の両親を捜したい」。世界を転戦するワールドカップ(W杯)に出場するようになって、ドーソンはそう思うようになった。「だから、絶対に五輪に出たい」。>(読売)
確かにオリンピックは自分の顔を世界に、ドーソン選手の場合は韓国に見せるまたとない機会である。「ぼくの顔と同じ人を知りませんか」というわけだ。ドーソン選手が施設に入る前の唯一の記憶というのが、母親が自分のために誕生会を開いてくれたことだという。レンガの上に外したドアをおいてその上に韓国料理を載せたというから、貧しかったには違いない。そして恐らくこの時にすでに父親はいなかったのではなかろうか。
あのジョディー・フォスターJodie Fosterのように「父親なし」で二人の子供を育てている人もいるが、70年代末の韓国では女手一つでは経済的に不可能だと思ったのが、"foster parents"に子供を託さなければならなかった理由だろう。
「有名人-”親戚”増加の法則」の通り、韓国では<「実は、たくさんの人が、自分が親だと名乗り出てきた」とも明らかにした。>(読売)という。しかし恐らく本当の親(たぶんいるとしても母親だけ)はまだ出て来ていないような気がする。今ではDNA鑑定が使えるので、親子関係の確認はほぼ絶対的だ。イタリアでの「捨て子ボックス」開設の話を取り上げたばかりだが、一度捨てた我が子に対面しやすくするシステムも必要なのかもしれない。
全く思いがけないオリンピックの「利用法」だが、こういうことはあっていい。将来のオリンピック選手にするためには、我が子を捨て子にせよというのは論外だが、あまりにも「幸せすぎる」アスリートは結果も感動も残せないのは間違いない。
興味深いネタを深くとらえて書かれているブログ、
楽しませて頂いています。
このドーソン選手のお話も興味深く拝見させて頂きました。
私が韓国に滞在している時、延世大学の韓国語講座
で知り合った仲の良い友人に、オランダとアメリカ、
ノルウエーの家庭にアダプトされた韓国人がいます。
みんな裕福に暮らしていて、明るく本当に優しい
気持ちを持った人たちですが、幼い頃はいじめられ
タフになったと話してくれたことを思い出しました。
友人達も、両親の暮らしていた韓国、自分の国を知ろ
うとやってきました。
ドーソン選手、銅メダルおめでとう!!