ゲーフラ職人の青赤徒然観戦記

東京の事を中心にいろいろ突き刺してます(笑)
ついでにマンガも描いてます(笑)

元青赤のあの人は今~青くないけど~

2018-12-05 22:35:54 | 日記
2008年、東京に久しぶりに
ブラジル人選手が3人揃いました。

カボレ、エメルソン、そして・・・

ブルーノ・クアドロス!


ブルーノが日本にやってきたのは2005年。
セレッソ大阪に加入し、3バックの中央に君臨。
最終節までの優勝争いに貢献しました。

ちなみにその年の最終節は長居での東京戦。
勝てば優勝というセレッソは、
試合終了間際の今野のゴールで同点に追いつかれ、結局5位に転落。
これが後に語り継がれるDCK(Dream Crasher Konno)の瞬間です。
その時のセレッソの面々の様子がこちら。


そして翌年、セレッソは大不振に陥りJ2に降格。
ブルーノは降格に伴う運営費圧縮から
翌年の契約交渉が折り合わず、退団となります。

翌年、J2の札幌に移籍。
こちらでも守備の核となり、
札幌のJ2優勝・J1昇格に大きく貢献しました。
しかし、チームはJ1での戦いに向けて、
攻撃陣に外国籍枠を割く方針を採った為、
ブルーノは構想外となり放出されました。
ちなみに札幌移籍後まもなく
生まれた子どもを「道産子」と表現していました。

そして2008年。東京からオファーを受け完全移籍。
ところが開幕直前に肩を負傷するなど、
シーズンを通して負傷がたて続き、
ついにはその年9月のアウェイ古巣札幌戦で復帰をするも、
その試合で投入直後に
左足底部の筋損傷を起こしてしまいます。
しかも、その投入は途中交代で入った
羽生さんが負傷した為に投入されたもので、
さらに負傷交代となったら交代枠がなくなってしまうと、
負傷を隠して試合終了までプレーを続けました。
ちなみに残った枠で投入された大竹が
入って1分で勝ち越しゴールを決めたので、
この英断は正しかったということに。結果論ですが。

その後、この負傷を完全に治療する為にブラジルに帰国。
2008年はリーグ戦わずか2試合の出場に終わりました。
しかし怪我が癒えた2009年、大きな転機が訪れます。
4月のG大阪戦、茂庭・佐原のCBで臨んだ試合で4失点の大敗。
すると次の試合、城福監督(当時)はCBを大きく入れ替えます。
そこに入ったのは今野とブルーノ。
今野がいたボランチにはルーキー米本が入ります。
つまり、丁寧なビルドアップをしていきたいところで、
ブルーノの足元の技術の高さが必要だったのです。
これが見事にハマり、
言うなれば「4ボランチ布陣」(今野、ブルーノ、米本、梶山)です。
ここからチームはどんどん調子を上げ、
ついには同年のナビスコ杯を制覇。
決勝はブルーノもフル出場し、無失点勝利に貢献。
初めての国内主要タイトルを獲得しました。

しかし、翌年に契約交渉がまとまらず、
2009年限りで退団となってしまいます。
そして、その年のファンの集いでは
「ホントニアリガトウゴザイマス」と日本語で挨拶。
こうして日本に、東京に別れを告げたのでした。



その後ブルーノは2012年に現役を引退。
そしてブラジルのマリーリアACの監督を経て
※ちなみにこのクラブ、2009年には「あの」セホーンが監督をしていました(笑)
2016年より北海道コンサドーレ札幌にコーチとして復帰。

ちなみにブルーノは
日本語の習得に熱心に取り組み、
日常会話程度なら通訳なしで
話せるまでに上達しました。
Facebookでも、ローマ字表記で
日本語を流せば理解してくれますよ。

またいつか東京にかかわってほしいですね。
東京の外国人は人柄に優れた選手ばかりです。




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