そのマダムのニックネームは「ナポリ・ダニエール」という。
彼女との縁は、イタリアの南部の町から汽車に乗り、ナポリ経由でローマに向かう時のナポリまでの列車の中で始まった。
3人掛けの向かい合わせの席に、イタリアの少女が3人と彼女がいた。
この3人の娘はイタリア語しかできない。
イタリア人にあまり英語は通じないケースが多い。(特にローマより以南では)
(この点フランス人は最近英語が通じる。というより私よりはるかに英語力がある人が多い。)
で、そのとき横にいた当のマダムが通訳してくれたのである。
彼女はフランス人だったが、イタリア語も、英語もできる人だった。
年のころなら60代後半のように見受けられた。
ナポリで全員汽車から降りて、別れた。
ナポリ駅で一人のムッシュが彼女を迎えに来ていた。
彼女の名は「ダニエール」、この名はポピュラーであり、私の友達にも他に3人いる。
区別するため彼女に「ナポリ」を冠して「ナポリ・ダニエール」と付けたのだった。
帰国後から手紙のやり取りを始め、頻繁ではないが、交信を続けた。
パリ郊外に住んでいるので、フランスに来たら連絡してと言われ、それから二年後
その約束を果たす時が来た。
「サンリス」と言うパリの近郊の古い田舎町や「シャンティー城」に連れて行ってくれた。
その時、宿泊していたパリの友人の家まで迎えに来てくれた。
こういう時私は少し気を使う。
知らないフランス人同士を引き会わせる時、彼らの目に見えない「階級」を考えるからだ。
しかし「ナポリ・ダニエール」は堂々としたマダムであるから、この時宿泊先の家に来てもらっても何ら問題はなかった。
宿泊先の友人は、生粋のパリジャンであり、少し古い考えも残ってる人なので、時々気になるが、この時は「ナポリ・ダニエール」も堂々と渡りあえていると言った感じがした。
服装も彼女の人格にふさわしい、姿だった。こういう場合、服装も肝心なのだ。
「サンリス」と「シャンティー城」を見物するのがいいというのは宿泊先のムッシュの提案だった。
彼女の運転で訪れた「サンリス」と「シャンティー城」は今もちゃんと覚えている。
その後は、手紙のやり取りも、少し御無沙汰しているのが気になってきたこの頃である。