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あの8月

2010-08-02 22:30:09 | 日記
広島に新型爆弾。 昭和20年8月7日の新聞には、前日に広島に投下された爆弾について、そういう表現をしていた記憶があるが、3日後の長崎のことは報道の記憶がない。ところで、広島・長崎を、ヒロシマ・ナガサキと書くと、すぐにピカドンという言葉と共に原子爆弾を思い出すのはなぜだろうか。 終戦の玉音放送は、我が家のラジオに雑音が多かったので、近所の家の庭へ8歳上の叔母と2人で聴きに行った。放送が終わっても、その場にいた10人ほどの大人達が何も言わなかったのは、私(9歳)や叔母には説明がしにくかったのであろう。 家に帰って、祖父に訊いてみると、「うん、これで平和になるだろう」と言った。雑音ラジオからでも、祖父はそのことを感じとっていたのだろう。 その少し前B29の焼夷弾の火が我が家の近くにまで及んで、ちょっと冒険的に門の前へ出てみると、「こら!ボン!何しとんのや!」と見知らぬオッチャンに腕をつかまれ、そのまま裏山の空き地(避難場所)までつれていかれた。 救いだったのが、近所の遊び仲間が何人かいたことで、特に下級生の女の子がいたことで、「怖いことあらへんで、すぐ終わるがな」と、何の根拠もない励まし方をして、遠いような近いような炎を、恐怖と諦めの気分で眺めていた。 何時間かがすぎて家に帰ると、祖父母と叔母が「どこへ行ってた!」と怒声で歓迎してくれた。もし、普段どおりに、その場所へ行っていたら、私の人生は9年で終わっていたということは、前に書いたので省略するが、とにかく、私にとっての大東亜戦争は、失うものも重く(大好きだった兄貴=父の弟だが・・・をミッドウエイでなくしている)、私の礼儀作法の師であった祖母も、もし戦争がなければ祖父と同じ(83年)ぐらいの人生があったのではないかと思ったりする。我が家も、あの8月までのために、大きな財産をなくしている。

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