水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

おやつ

2010-05-15 20:44:18 | Weblog
人形ビスケットという、あまり甘味のない菓子があった。銀棒という小指ほどのサイズのビスケットにチョコレートをコーティングして、銀紙で包んだものは、人形ビスケットより旨かった。楽しみは来客だった。祖母の友達が訪ねて来る時はカステラが出た。庭師や大工さんが仕事に来ると、あんパンが食べられた。そんなおやつの想い出は昭和18年頃までであったろう。戦争は子供のおやつも当然のことのように奪ってしまった。 高校2年のときに、叔父が肺結核で倒れ、その手術のために入院し、嫂(叔父の妻)が妊娠中であったこともあって、よく私が病院へ食糧(オペのために体力をつけねばならぬ)を運んだ。 昭和28年のことで、菓子類は簡単に手に入ったが、嫂は愛情表現のためか、よく自分で菓子を作っていた。それを私が病院へ持っていくと、叔父は、私にも「おい、食べろよ」という感じですすめてくれたが、なんとなく、病人の栄養を横取りするようで断ったりした。よくはわからぬが、何かピーナッツを練りこんだふっくらパンのようなものが多かった記憶がある。 おやつ→午後に甘いものを味わうひととき、は世界の風習であるだろうし、特に老後の生活には大切な時間(健康面からも)であるそうだが、午後3時の1きれのケーキは、晩酌の味を間違いなく悪くするだろう。私がお菓子を口にするのは昼食の後で、それもヒトクチがいい。今日は、小型の栗まんじゅう1個、昨日はナントカの塩羊羹ヒトクチ・・・これが旨い。