水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

カツ丼、とん丼

2010-05-21 21:07:31 | Weblog
株価(日経平均)が昨年12月2日以来の安値で、テレビ速報を観てもおもしろくないので、ペダル踏み運動をやりながら、横山秀夫ドラマ観て、その後ちょっとチャンネルを変えたら、土井善晴料理教室で、ビーフカツ丼をやっていて、これがなんとも懐かしかった。 ビーフカツが懐かしいのではなく、その製法であって、薄切りの牛肉を6,7枚重ねてから一口大に切り、それにカツ衣をつけて揚げ、更に甘辛く煮て玉子でとじ、丼の飯にのせるのだが・・・。新婚時代の私たちは牛肉は滅多に買えなかった。その頃家人が考案したのが、豚丼だった。トンカツ用の厚い肉は高いので、薄切り(コマギレより1ランク上か)を買って来て、土井教室と同じように数枚を重ね、それを天麩羅にして、更に甘辛く煮て、飯の上に盛って、トンプラ丼の完成だった。 この丼には長ネギが合った。  丼ものには青みが必要で、特にカツ丼では三つ葉との玉子とじが旨く、次がタマネギとグリーンピースではないか。 食べたことはないが(テレビなどで観ていると)、吉野家の牛丼などには紅生姜が相性のようだが、あれは刻みネギの方が合う気がする。 学生時代もバイト時代も、サラリーマン時代も、昼食にカツ丼を選ぶことが多く、もしかすると、それが肥満の源だったかと思ったりする。 あのカツ丼好きの永井荷風さんは痩せているのに・・・。

事業仕分け

2010-05-21 08:31:53 | Weblog
事業仕分けなどは(常に公益法人などに目を光らせる)監視機関を設ければ簡単に済む話、とは、藤原正彦氏の週刊誌での言葉だが、たしかにその通りだろう。しかし、今までの政権がやっていなかったことをとにかくやってみようというのはいいことだ、と応援する人は多いだろうし、政権交代以来、ほとんどヒットのない鳩山・民主の1本のヒットではあると思う。ま、そんな話は重石億ないので、我が家の事業仕分け(ムダ削除)を考えてみると、そのほとんどが私に関する事であるのがわかってくる。 たとえば、私は毎夕アルコールを呑み、毎朝肝臓の薬をのむが、前者を仕分け(ムダ)としてやめてしまえば、同時に薬も不要となり、大きなムダ捌き(利益)となる。しかしそのことで私の人生の娯楽は失われることとなり、レンホウさんに「禁酒しませんか?」と訊かれても、そんなアホなと答えるしかない。 サラリーマン時代のある時期、やたらと合理化という言葉が流行し、とにかくムダをなくせ!の大合唱だった。そのころ自動車部品メーカーの購買課にいた私は、在庫管理で絞られたが、よくよく計算してみると、過剰在庫の原因は親会社からの支給部品にあることがわかって、これもアカかいなだった。  でも、あの枝野大臣以下の仕分け作業の図は、テレビで観ていてもひとつの絵になる。誰が言ったか、「鬼に金棒、レンホウにマイク」っていうのは巧い。

家庭難民

2010-05-20 20:49:13 | Weblog
首都圏の父親の半数が自宅で寛げない・・・と、昨日の日経朝刊にあって、内容は「ひとりになれる場所がない。妻子がうるさい、観たいテレビが観られない・・・であるが、余裕がないし下手だなと思う。 下手とは、サラリーマン生活を愉しんでいないという意味だ。サラリーマンの楽しみの第一は、帰り道の酒であり、特に私たちの時代はそうだったし、それに麻雀が加わることもあった。 たとえば、土曜日に呑みながら雀卓を囲み、午前1時に帰宅する。目が覚めると正午に近い。表で遊んでいた子供達が帰って来て私の掛け蒲団の上にのってくる。それがウルサイか?冗談ではない。これほど素晴らしい時間は、生涯を通してもそうはないだろう。 「みんなおなかすいたでしょ?お昼は何がいい?」と家人から声がかかるが、「あなたはフツカヨイだから、お素麺ね」と決めている顔だ。 そんな家で、一人になりたいなんてことはありえない。現在の私(74歳)は週の4日間、ひとりで(株価速報、ドラマの録画、競馬・・・の)テレイを観ながら時を過ごしているし、少々退屈になったら昼寝すればいい。 つまり、ひとりになるとか、観たい番組を観るといったことは、年をとれば必ず得られる自由なのだ。  繰り返しになるが、子供がうるさいというのは、たぶん小学生低学年までだろうが、それはあとから考えればいちばんいいときだ。 ひとりでいたいなら、千円札1枚持ってクラシック音楽の鳴る喫茶店へ行けばいい。ま、とにかく、行き方下手のサラリーマンがいるようだ。何が、「家庭難民」だ。くつろげる場所を自分で探せないだけのことではないのか。

100キロカロリー

2010-05-18 23:36:27 | Weblog
今日(18日)から昼食は100キロカロリーになった。テレビショッピングで手に入れた和風雑炊(粟おこしの小さなものみたいなつくりで、120CCの水で溶く)が34キロカロリーで、トマトジュース1カップが48キロカロリー。 他に青汁(顆粒にしたもの)10数粒(この熱量は不明だが、ま20キロカロリーとみて)で合計100キロカロリーというわけだ)。 今日選んだのはカニ雑炊で、たしかに椎茸などもママゴトのように入っているので味は悪くないが、量的にはいかにも少ない。 だがこれはマインドコントロールが出来ていないからで、ペインクリニックに行く日は、昼食はトマトジュース1杯だけで何の不満もないから、100キロカロリーの日に、それだけで充分となるまでに1週間は要らないはずだ。 話は変わるが、おかゆとは白米をごく軟らかく煮て、少々の塩で味付けしたもので、ちょっとしたおかず(魚の粕漬けあたり)を食べるもの。 おじやは塩味ではなく、醤油や味噌で味付けし、簡単な具材(溶きたまごとネギなど)を混ぜたもの。 そして、いろいろな具材を自由に混ぜて作るのが雑炊だと思っているが違うだろうか。 今日の34キロカロリーの袋にも、雑炊と印されていて正しいと思った。少し前に食事は娯楽だと書いたが、100キロカロリーの昼食を娯楽と呼ぶのはムリのようだ。 月・木はクリニック行きでジュース1杯、火・水・金・土が100キロカロリー、日曜日は週1回の娯楽食を家人に頼もうとおもっている。 いま、午後6時半の晩酌時間、空腹の快感を味わいながら、水割りを呑んでいる。ツマミもカロリーセーブして、酢漬けラッキョウ、ワサビ漬とシブい。

友達の数

2010-05-17 21:27:19 | Weblog
数えてみると、友達と言えるのは50人ぐらいではないか・・・とは、中曽根康弘氏が(もう10年前になるか)語ったことであるが、その中身がわかればおもしろいと思った。 たとえばポスト佐藤を福田赳夫氏と田中角栄氏が争ったときは、5五角の扇子を掲げて田中氏を応援したが、中曽根氏の50人の友人に角さんは含まれているだろうか。 友達は相思相愛が条件なのか、それとも片想いでも友達は友達なのか。 更に言えば、時間のことはどうなのだろう。40歳になってから知り合った素晴らしい先輩が2人いて、いわゆる友達付き合いをさせてもらっていた時期があるが、そのお二人が私を年下の友人と見てくれていたかどうかはわからないし、お二人との交遊は20年と続いたわけでもない。そういう風に、これは違うかなと数えていけば、私の場合、50人どころか20人がやっとだろうし、しかもそのうちの3割近くは他界している。 友達がいない(少ない)人を何人か見てきた。ケチ、意地悪、暗い、裏切る、怠ける、マイナス思考、協調性がない・・・いろいろあろうが、彼(彼女)らに共通するのは、利己主義である。 説明は不要で、これを読んでくださっている皆さんにも、思い当たる人がおありだろう。 オールドブラックジョーという歌の文句に、「我が友 皆 世を去りて 彼の世に楽しく眠り 遥かに我を呼ぶ」というくだりがあるが、いつの間にか私も、彼の世に先行した友達の数が増えた。

5月16日

2010-05-16 20:11:33 | Weblog
欧州経済、不安の連鎖。今朝の日経新聞1面の見出しである。ギリシャの財政危機→ポルトガル・スペインもか→ユーロ安・・・とゴチャゴチャだ。 明日の東京市場も下げで始まるだろう。 押し目買いの好機よりも、どうしても買えば下がるという方に気持ちが傾く。 タイは内乱ではなく内戦状態だと、岸井成格氏が話していたが、この国もゴチャゴチャ。 日本もまた普天間問題でゴチャゴチャ。 この前書いた、1食38キロカロリーの雑炊のもとが届いた。最近の宅配業者の社員(郵便も同じ)は昔と違って感じがいい。私が老人だから親切にしてくれるのか、それとも業者間の競争が激しくなって、社員教育に力を入れるようになったのか。 競馬ヴィクトリアMha,スポニチ小田記者の推すブロードストリートから3連複の穴狙いをして失敗。 次女が散髪に来てくれる。 床屋に行かなくなって16年。1回の費用(タクシー代を含む)を5,000円とすると(散髪は月に2回なので、16×12×2=384回)、計算は約190万円になる。 家人にそのことを話したら、「いろいろおみやげをあげているからいいじゃないの」と言った。家人が次女に渡したおみやげは、うずら豆の煮物、ひじきと椎茸の煮物、高野豆腐の煮物・・・いなり寿司などだったが・・・。 大相撲でハルトが1敗した。この方が気楽になっていいと、解説の舞の海が言ったが、全く同感だ。力が抜けるという言葉は2ツの意味に使われるが、彼の場合、1敗して却って肩の力が抜けてラクな気持ちで戦えるようになったというところだろう。

おやつ

2010-05-15 20:44:18 | Weblog
人形ビスケットという、あまり甘味のない菓子があった。銀棒という小指ほどのサイズのビスケットにチョコレートをコーティングして、銀紙で包んだものは、人形ビスケットより旨かった。楽しみは来客だった。祖母の友達が訪ねて来る時はカステラが出た。庭師や大工さんが仕事に来ると、あんパンが食べられた。そんなおやつの想い出は昭和18年頃までであったろう。戦争は子供のおやつも当然のことのように奪ってしまった。 高校2年のときに、叔父が肺結核で倒れ、その手術のために入院し、嫂(叔父の妻)が妊娠中であったこともあって、よく私が病院へ食糧(オペのために体力をつけねばならぬ)を運んだ。 昭和28年のことで、菓子類は簡単に手に入ったが、嫂は愛情表現のためか、よく自分で菓子を作っていた。それを私が病院へ持っていくと、叔父は、私にも「おい、食べろよ」という感じですすめてくれたが、なんとなく、病人の栄養を横取りするようで断ったりした。よくはわからぬが、何かピーナッツを練りこんだふっくらパンのようなものが多かった記憶がある。 おやつ→午後に甘いものを味わうひととき、は世界の風習であるだろうし、特に老後の生活には大切な時間(健康面からも)であるそうだが、午後3時の1きれのケーキは、晩酌の味を間違いなく悪くするだろう。私がお菓子を口にするのは昼食の後で、それもヒトクチがいい。今日は、小型の栗まんじゅう1個、昨日はナントカの塩羊羹ヒトクチ・・・これが旨い。

テレビコマーシャル

2010-05-15 20:36:20 | Weblog
スーツ姿の中年男の鼻に水道の蛇口がついている。男が立っているのは、どうやらトイレの中のようだ。なんとも不潔というか気持ちの悪い図だが、これがコンタック600という鼻づまり薬のCMなのだ。 香取慎吾君の頭から耳から鼻からバナナが生えていて、同じ恰好をした子供達とクネクネと踊るのがDOLEのCMで、これを観て愉しいとか、明日はドールのバナナを買おうと思う人がいるのだろうか。鼻の蛇口といい、頭に生えたバナナといい、いかにも知恵がなさすぎて、あるのは侘しさだけだ。若い娘さんが細長い缶のようなものを叩くが、なんの変化もない。思い切って缶を大きく振ってみると、中から大量の砂が飛び出す。 これがリンパ療法学院のCMだ。私はリンパ療法を知らないが、何か体につまった不要物を外へ出すような医学なのかと思うし、その缶を振る娘さんの、ちょっと困ったような顔がいい。 昨年WBCで日本チームが優勝したとき、決勝打を打ったイチロー選手が、テレビカメラに向かって「あざっす!」と叫んだ。もちろん「ありがとうございます」を短くsたものだが、巧いと思った。 若いスポーツ選手は「ありがとうございます」をなるべく短く、しかも早口で言うことで元気よさを表現しようとしていて、「ありがざんす」が多いが、イチロー君の「あざっす!」は、その上をいった名セリフであり、みんなが真似するはずだと思った。イチロー君が出ている健康飲料ユンケルのCMに使えると思った。 しかし、そう思ったのは私一人であって、「あざっす!」はユンケルも使わないし、あれこれのインタビューの答えにも全く聞かれない。充分CMに使えるいい言葉だと思うが・・・。

カロリー

2010-05-14 10:50:54 | Weblog
16年前、脳梗塞で入院したときの食事は1日1700キロカロリーと決められていた。 しかし充分な食欲があるわけではないから、実際に食べるのは7割程度であり、1,200キロカロリーほど。ただ(禁酒をすると甘いものが欲しくなり)家族が差し入れてくれた玉子焼きとハーゲンダッツのアイスクリームといった美味もあって、それでも1,500キロカロリーには届かなかったと思う。 結果として半月間で体重は2kg減った。 これが私の摂取カロリーと体重に関する基礎知識である。  脚部の脂肪が落ちて、娘に「細いね」と言われて何年も経つが、そのワリには上半身の脂肪は残っている。まぁ、74歳にもなって体型云々は無関心だが、もう少し身軽になった方がいいとは感じている。  朝食にはたいてい米飯を茶碗半分(70キロカロリーほど)と塩分のスープ(味噌汁か洋風スープなど)を食べるし、夜はアルコールとツマミ、その夜のおかずを食べるのが習慣だから、カロリーの加減は昼食に求められる。 週に2回のペインクリニックに行く日は昼食はトマトジュースと青汁顆粒だけで、不満はないのでここが狙い目。 そこで(テレビの宣伝で)みつけたのが1食38キロカロリーの和風雑炊で、それがなんと200円で買える。もうすぐ宅配されるので、その味のほどをご報告します。  アルコールのカロリーだけでは肥らないと力説するのがタモリ氏で、これと同じ意見の(医学者の)文章を読んだことがあるが本当だろうか。たしかにタモリ氏は大酒のみらしいがデブではない。まぁ、人生いろいろ、体質もいろいろなのだろう。今夜の私はチキンカツ2きれ、カマボコ2きれ、ラキョウ漬、生タマネギの味噌マヨネーズ・水割り3杯。これで何キロカロリーだろうか。

2010-05-12 21:19:00 | Weblog
8ツ年上の叔母が女学生だった頃、「おから」「おさる」という友達がよく家に遊びに来た。「おから」さんの姓は唐川(からかわ)で、「おさる」さんは猿丸である。叔母の呼び名は「おかず」(和代という名)で、こうやって文字にすると、猿、(豆腐の)オカラ、惣菜のおかず・・・を連想するが、耳から入って来る響きには何の違和感もなかったし、「おさる」さんは小学生の私から見てもちょっとした美人だった。この姓や名に「お」をつけて呼び名にするのは関西流なのではないだろうか。 もちろん、「久しぶりだね、お富さん」もあるし、昔の女中さんは、千代子なら「おちよ」と呼ばれたわけだが、女学生同士の「お」は関東では流行らなかった気がするし、私の中学時代、あるいは娘達の世代にも、それはなかったと思う。 たとえば、女性が、コメ、サケ、ミソ、スシ、サカナなどに「お」をつけずに話すと、少しガラが悪い印象になる。「あなた、ゆうべサケ呑みすぎたでしょ」では色気がない。子供達が中学生だった頃、そういう話になって、私が「カタカナ(外来)語には『お』は要らない。おバター、おチーズとは言わない。でも日本の言葉には『お』をつける方が品がよくなる」と教えたら、長女が「でも、おセッケン(石鹸)とは言わないじゃん」と応えた。なるほど、さすが家人が生んだ子だと思った(この種の頭脳回転速度で、私は家人に遠く及ばない)。 「お」の使い方は難しい。お葬式は当然だが、お結婚式は変だと感じるのはなぜなのか。 いま私はこれを書きながら水割りを呑んでいるが、ツマミの1ツが「お豆腐の冷奴」、もう1ツは「おコンニャクのカラシ味噌」だ。