『癌』致命傷の病であるが、小さい癌細胞で慌てることはない、と言われている。
されど『癌』である。やはり『癌』である。あまり現実感のない『癌』告知。
もしかしたら、ここで私の生命が終わる可能性もある。こうして考えると、とてつもない恐怖に駆られる。そうした現実からか、感情が付いてこない。恐怖心が現実感を無視する感情の作用を行っているのかもしれない。
人間は生まれて、成長してゆくうちに、『死』に向かって生き続けていることを知る。それが怖くて、あらゆる事に熱中して、『死』への意識から逃げ続けている。生きることで全ての為す(なす)ことは殆どが、『死』への思いを感じずに済むようにいきている。
一端、『死』に直面すると、意識が遠のいたり、突然に『死んだり』するから恐怖を感じる暇がない。
私は、この『癌』の手術へ時間のカウント・ダウンが始まっても、『死』を意識下に置くことができない。
今まで、送ってきた日常を続けるだけで良いのかもしれない。
生物は、生きることの意味も、死ぬことの意味も無いことは知っている。多分だからだあろう、英雄や著名な学者、芸術家、政治家などが、歴史に『名』を残そうとする。
死んでしまえば、歴史に『名』が残っても意味が無い。単なる足掻きに過ぎない。
本当にそう言えるのか? 正直、全く解らない。解ろうとしても仕方が無いのかもしれない。
この後に恐らく激しく動揺して、発狂するかもしれない・・・・・・・・・・
されど『癌』である。やはり『癌』である。あまり現実感のない『癌』告知。
もしかしたら、ここで私の生命が終わる可能性もある。こうして考えると、とてつもない恐怖に駆られる。そうした現実からか、感情が付いてこない。恐怖心が現実感を無視する感情の作用を行っているのかもしれない。
人間は生まれて、成長してゆくうちに、『死』に向かって生き続けていることを知る。それが怖くて、あらゆる事に熱中して、『死』への意識から逃げ続けている。生きることで全ての為す(なす)ことは殆どが、『死』への思いを感じずに済むようにいきている。
一端、『死』に直面すると、意識が遠のいたり、突然に『死んだり』するから恐怖を感じる暇がない。
私は、この『癌』の手術へ時間のカウント・ダウンが始まっても、『死』を意識下に置くことができない。
今まで、送ってきた日常を続けるだけで良いのかもしれない。
生物は、生きることの意味も、死ぬことの意味も無いことは知っている。多分だからだあろう、英雄や著名な学者、芸術家、政治家などが、歴史に『名』を残そうとする。
死んでしまえば、歴史に『名』が残っても意味が無い。単なる足掻きに過ぎない。
本当にそう言えるのか? 正直、全く解らない。解ろうとしても仕方が無いのかもしれない。
この後に恐らく激しく動揺して、発狂するかもしれない・・・・・・・・・・