あのアレクセイ・スルタノフ(Pianist)が死去したという記事を、「おかか1968」ダイアリーさんの記事で知りました。何年か前から脳梗塞で神経麻痺を起こして闘病生活を送っているというのは聞いていましたが、あまりに早い訃報で驚いています。ご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
スルタノフは、ピアニストとしてはそれほど好きではありませんでしたが、彼の華麗な技巧には1度ならず感嘆した覚えがあります。
それにしても、35歳というのはあまりに若すぎる。ピアノだけに飽き足らず、テコンドーの使い手でもあるエネルギッシュなスルタノフを襲った病が“怪我”ではなく、神経麻痺というのは皮肉としか言いようがありません。まさに生き地獄でしょう。神経麻痺というと、多発性脳脊髄硬化症で亡くなった偉大なチェリスト、ジャクリーヌ・デュプレ(享年42)を思い出さずにはいられません。彼女も28歳で演奏活動から退いてから、10数年間も自分の分身であるチェロを思うように弾けなかったのですから、その悲劇は想像を絶しています。最初にスルタノフの病気を聞いたときには、「あのテコンドーまでやるエネルギッシュなスルタノフが!?」とショックを受けましたが、今回のあまりに早い死にはさらにショックを受けています。本当に痛ましい限り。なにかやりきれない思いがします。
ワタシもこの1年の間に2度、右腕の筋を痛めて、未だに感知せず、練習量も以前と比べて極端に減りました。隔週のオケの練習にそなえて、せいぜい週に1度10分程度くらいしか練習できない状態が続いています。状態が良くなったり、悪くなったりの繰り返しで、外では弱音ははきませんが、以前のように思い切り弾けない自分にいつも苛立ち、やりきれない思いを味わい続けています。そもそも怪我の原因がチェロ以外の理由での怪我だったのでますますやりきれない。チェロで痛めたなんていわれた日には痛くプライドが傷つきます。
だから、遠く及ばないですが、少しはスルタノフやデュ・プレの気持ちがわかる気がするのです。とても恐れ多いことですが。
スルタノフが1995年のショパンコンクールで最上位を獲得したときのドキュメントを以前NHKで放送していました。このとき、彼はフィリップ・ジュジアーノと最高位(同立2位)を分け合ったのですが、この結果発表の時に、この結果を聞いてタバコをプカプカ吹かしながら「なんで!?」というゼスチャーであからさまに不満をあらわにしていた“やんちゃ”なスルタノフのくやしそうな表情が未だに印象に残っています。なにしろ、このときのショパンコンクールは、圧倒的なピアニズムを披露したスルタノフに観客は魅了されつくしていたのですから。この最高位受賞以来、日本に来るたびにあの華麗な技巧を見ようとたくさんのファンがおしかけました。ワタシも1度彼の実演に接しています。
ワタシの友人にも彼の熱烈なファンがいますが、彼女ははたして今回の訃報を知っているのだろうか。。。その人は明日(というか今日)いっしょに「音楽の捧げ物」(J.S.バッハ)を演奏するピアニストなので、明日いっぱいは言わないほうがいいだろう。。。なんだかよくわからないが、明日の「音楽の捧げ物」はスルタノフを思いながら弾こうと思う。なぜだか今、コレを書いていて涙がでてきそう。。。
上記したとおり、ワタシは一度彼の実演に接しているのですが、正確な日付などはもう記憶にありませんが、そのときのプログラムと演奏のおおまかな印象は憶えています。
そのときのプログラムは、
・ピアノ協奏曲第2番(ショパン)
・ピアノ協奏曲第1番(チャイコフスキー)
【アンコール】:ピアノソナタ第7番から第3楽章(プロコフィエフ)
たしかこんな内容だったと思います。場所は池袋の芸術劇場だったかな。
あのときは2階のバルコニーから彼の後ろ姿を眺めるアングルから聴いていましたが、彼はまさにエネルギーの塊でした。あの小さいカラダから繰り出される力強い打鍵は、本当にすごかった!一夜で2つコンチェルトを弾くのはそうめずらしい例ではないけど、いかにも彼らしいプログラムで、この日は彼の華麗なコンチェルトの夕べを堪能しまくりました♪おまけにプロコの第7ソナタの第3楽章もアンコールで派手に弾ききってくれた♪ まさに技巧に人、スルタノフ。
映像で観た彼の演奏もなかなかに印象深かった。ショパンの幻想即興曲での3度で駆け下りてくる彼オリジナルのパッセージは、まさにスルタノフを象徴していたし、スクリャービンの第5ソナタの後半で高音弦を切ってしまった時も、顔色ひとつ変えずにあの難曲を弾ききったスルタノフ。意外といろいろ記憶に残っているんだなーと、あらためて実感です。
ピアノ界の風雲児スルタノフ、永遠に・・・
※掲載した画像は'96・3・28 芸術劇場におけるリサイタルの映像です。