毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖レオ一世 キリストの十字架は、祝福の泉、恩恵の源

2012-03-27 00:00:00 | 聖レオ一世
聖レオ一世(400~461年) ローマ司教、教会博士
説教
「真理の霊」※1に照らされた知性をもつ私たちは、天地にあまねく輝き渡る十字架の栄光を、清い自由な心で受け取りましょう。そして、受難の近づいたことについて主が仰せられたことを、心の目で観察してみましょう。主は言われました。「人の子が栄光を受ける時が来た。※2」 それから少し後で主は、「今、私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか。しかし、私はまさにこの時のために来たのだ。父よ、あなたの子の栄光を現してください。※3」と言われました。そして「私は既に栄光を現した。再び栄光を現そう※4」という御父の声が天から聞こえたとき、イエスは答えて、近くの人々に、「この声が聞こえたのは、私のためではなく、あなた方のためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、全ての人を自分のもとへ引き寄せよう。※5」と言われました。

十字架の力はなんと賞賛すべきものでしょうか。受難の栄光はなんと名伏しがたいものてしょうか。この十字架こそ、主の裁きの座であり、世が裁かれる場であり、十字架につけられた主の力が発揮されるとこです。

主よ、あなたは全てのものをあなたのもとに引き寄せられました。それは、ユダヤの一つの神殿の中で影のように象徴的な儀式で祝われていたことを、全世界のすべての民が完全に示された神秘として信心深く祝うためでした。

事実、今はレビの奉仕職は昔よりもいっそう輝かしく、長老たちの品位は一層高く、祭司たちの塗油はいっそう尊くあります。あなたの十字架はあらゆる祝福の泉であり、あらゆる恩恵の源だからです。この十字架を通して信じる者に、主の弱さから力が、主の恥辱から栄光が、主の死からいのちが与えられます。今は、動物の肉をささげる様々な生け贄が消え去り、異なったすべての生け贄に代わって、あなたの御体と御血の唯一の奉献がなされるようになりました。あなたはまことに「世の罪を取り除く神の子羊」※6 だからです。あらゆる生け贄の代わりに一つの生け贄がささげられるようになったのと同じく、すべての民族が一つの王国になるように、あなたは自分のうちに全ての神秘を全うされます。

そこで、親愛なる皆さん、異邦人の教師である使徒聖パウロが輝かしい言葉をもって、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します※7」と宣言したことを、私たちもまた宣言しましょう。

キリストが、義人や聖者のためではなく、不正な者や不信心な者のために死んでくださったという事は※8、私たちに対する一層すばらしい神のあわれみです。神性は死の棘に刺されることが無いので※9、キリストは人間から生まれて、私たちの為にささげることのできる人間性を受け取られたのです。



四旬節第5火曜日
第一朗読 ヘブライ3:1-19
第2朗読 聖レオ一世の説教

十字架はいつごろからキリスト信徒の力になったのでしょうか。紀元79年噴火で埋没したヘルコラーヌスの発掘により、イタリアの貴族の奴隷部屋の壁から十字の印を見つけました。しかも、この十字はカーテンや鎧戸などで隠されていたようです。当時ローマ帝国からの迫害のなか、信徒の中にはこのように隠された十字架により力を得ていた人もいたようです。江戸時代の隠れキリシタンと同様に・・・。
しかし、十字架刑は罪人の刑であり、異教徒がクリスチャンをからかうために十字架を使った遺物も見つかっています。「十字架はあらゆる祝福の泉であり、あらゆる恩恵の源」と聖レオ一世は言いますが、ここまでくるには、それなりの時を経る必要があったようです。
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」(使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙6:14)

※1 ヨハネ14:17
この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

※2 ヨハネ12:23
イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。

※3 ヨハネ12:27-28
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」

※4 ヨハネ12:28

※5 ヨハネ12:30-32
イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」

※6 ヨハネ1:29
その翌日、(洗礼者)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

※7 1テモテ1:15
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

※8 ローマ5:6
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

※9 1コリント15:55
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前の棘(とげ)はどこにあるのか。」


聖レオ一世 ローマ司教(教皇) 391/400~461年
カトリック、正教会、聖公会などで聖人。
レオ一世の時代、ネストリウス派は「イエスは人間であって、神ではない」という説をとなえました。異端とされたこの説を排斥するあまりに、修道院長エウティケなど「キリストは真の神であって、真の人間ではない」という説をとなえる者も現れました。レオ一世は、これらの説に対して、451年のカルケドンの公会議で、信仰宣言を読み「キリストは真の人間であり、真の神である」と述べました。これに司教たちは感動し、「これこそ使徒たちの信仰である。ペトロがローマ司教レオの口を借りて語った」と言ったと伝えられています。

聖人カレンダー レオ一世(女子パウロ会 Laudateへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=111001

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話で、聖レオ一世について解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message293.htm

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