御鏡壱眞右往左往

繰言独言、謂いたい放題・・・

ケツァルコアトルといえば・・・

2007-08-28 23:57:03 | 映画
翼竜ケツァルコアトルスの化石は1975年にアメリカで発見された。
この最大の翼竜というところから出発して
インカの神に辿り着く、という逆の道筋を通った映画が
「空の大怪獣Q」(1982年アメリカ、ラリー・コーエン監督作品)である。


(あらすじ)
ニューヨークで起こる猟奇的な連続殺人。
刑事はそれが南米起源の邪教の儀式ではないかとの疑惑を持つ。
そんな折り、マンハッタンの高層建築群で奇怪な事件が頻発し始める。
窓拭きの清掃員が、屋上ペントハウスでくつろぐ男女が
あるものは惨殺されあるいは姿を消す。
これは巨大な翼を持つ怪獣の仕業だった。
刑事はその怪獣こそ邪教の儀式が甦らせた蛇神ケツァルコアトルではないかと考える。
ニューヨークの底辺をさすらう何をやっても巧くいかないあるチンピラ。
刑務所で知り合ったゴロツキ連中に誘われるままに銀行強盗の仲間になるも
ドジを踏んで仲間にさえ追われる羽目になってしまう。
しかし追いつめられて潜り込んだ高層ビルの屋上で、巨大な巣と卵を発見したことで
彼はニューヨークの重要人物になれる、と警察と市に自分の要求を突きつける・・・。


Qとはケツァルコアトル(Quetzacoatl)のイニシャルだ。
翼竜がモチーフの出発点であるために、
クリーチャーのデザインは、皮膜の翼を持った恐竜、というイメージになっている。
が、デザイナーがイメージを優先したためか、
その造形は四肢のある有翼のドラゴン、といった趣で、
翼竜にも本来のケツァルコアトルにも似ていない。
インカの神であるケツァルコアトルは
南米のジャングルに棲む鳥ケツァールの翼を持つ蛇(コアトル)の姿で描かれる。

映画としては、まあどう見ても、いいとこB級の低予算映画である。
クリーチャーは、アメリカ特撮のお家芸とも言うべき、ミニチュアによるストップモーション撮影。
予算が足りなかったためか作り込みは少し荒く、
クリーチャーが画面に登場する時間も短いが、
本作ではそれが却って緊張感につながり、いい味を出している。
見せ方が巧いと言っていいだろう。
後述する通り、その設定やシナリオの出来は、説明不足と御都合主義ばかりで、
お世辞にも良いとは言えないが、演出はそれなりに気を吐いている。

賛否両論ある登場人物だが、
私は一方の主人公であるさえない中年男がとても良いと思う。
燻り続けた人生を一発逆転、と勝負を賭ける様は、情けなくもいじらしい。
刑務所で習い覚えたジャズピアノ、些細な誇りがあっけなく吹き消され、
それでも虚勢を張ろうとするのが切ない。
自分を「虐める」ゴロツキを誘き出して怪物に食わせるという企みが成功したときの、
狂気とも思える感情の爆発が哀しい。
この情けない男のシークエンスが、この作品を単なるB級作品に留まらせない、
佳作に押し上げていると思う。
残念なことにB級から飛翔することもまたできなかったが。
好き嫌いが大きく分かれそうな作品だ。個人的には70点くらい付けたい。


ただ、この作品にはどうしても許せない、というか認めがたい部分がある。
そう、タイトルも含め、ケツァルコアトルの扱いだ。
ケツァルコアトルは翼ある蛇の姿であり
キリスト教徒からすれば悪魔的な姿であるが、
インカ帝国では平和の神として信仰された。
すなわちこの映画で描かれるような、
人を殺してその皮をはいで捧げる、
などという残虐な儀式が入り込む余地がないのだが、
そんなことは関係ないとばかりに思いっきりなカルト宗教とその怪物扱いである。
こういうところがあるから一神教って好きになれないのだ。

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