そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

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三連休の間の俳句① 土曜日・上野吟行

2007-10-08 22:44:22 | Weblog
 関西在住の俳句仲間を迎えての、上野吟行句会。

 13時。上野公園、西郷隆盛像前で待ち合わせ。その後、14時半まで自由行動。美術館なり博物館なり動物園なり公園なり、好きなところを好きなように散策してきて、俳句を作って来いとのこと。僕は西洋美術館のムンク展を一人で見てくる。

 ムンク展では、独特な色彩感覚を興がる。「不安」「絶望」「嫉妬」「死の苦しみ」・・・。「死の苦しみ」という作品は、一人の男がベッドに寝ていて、それを多くの人々が取り囲んでいるという構成の絵。この絵が、大きいのである。何号なのかはよく知らないし、絵画全体の中で見れば特筆するほど大きなもの、というわけではないかもしれないが、それにしても「死の苦しみ」というタイトルで、その絵の上に自分が乗らないと全体は描けないような、そんな大きさの絵を、よく描くことができるなあ、と、その暗い情念に、むしろ唸ってしまう。

 彼の絵で、その中に描かれている人物のうちの誰かは、こちらをじっと見つめていることが多い。僕は観て回りながら、絵の中からそこに描かれている人物が「やってくる」と感じることが度々あった。彼の代表作「叫び」を思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。

 たとえば、「嫉妬」という作品。絵の手前の方に、こちらに「やってくる」人がいる(この人が嫉妬している)。そちらではなく描かれている庭の様子とか、奥にいるカップルの姿とかを僕が観ていると、なんとなく、横の方からの視線を感じた。首を動かさずに目だけそちらへ向けると、件の、絵の中から「やってくる」人が、こちらをじっと見ているのだ。なんだか、冷や汗が流れた。

 全てがそうであるわけではもちろんない。だが、ああいう絵に感じる負のエネルギーは、大したものだと思った。

 二時半に、みんな再度集まって、Miyamaカフェで句会。7句~10句出し。美術館吟行の句が割りに多い。

 美術館吟行で思うことは、絵を観て、その世界をそのまま言葉に置き換えた作品が時折見えるが、それはいいのだろうか、という疑問を拭えない。絵はすでに発見された世界である。それをそのまま言葉に置き換えて一句にしても、新しい世界を持ち込んだことにならないのではないか。・・・と言いながら自分でもやっている気がするので、なんとも言えないところもあるのだが。

 さらに、「絵の世界をそのまま言葉に置き換えた」の、そのまま、という状態と、そのままでなく自分なりのアレンジがある、という状態との線引きがどこで行なわれるか、それもなんとも言えない。俳句と他の芸術との関係も、近いうち考えなければならないことの一つだろう。

 句会後の飲み会でも、席題句会を行なった。お題「東京」。一句は「東京」という字が入っていること、二句は東京らしいもの、という縛りで、三句出し。逆選も選んだ。
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