そらはなないろ

俳句にしか語れないことがあるはずだ。

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出会わなかった人

2008-09-07 21:13:40 | Weblog
 八月、週刊俳句に掲載された十句作品について、今週号の週刊俳句にいくつか鑑賞文が寄せられている。

週刊俳句72号 http://weekly-haiku.blogspot.com/

 拙句(こんな言葉、あったっけ)についても触れていただいていて、うれしく思ったので、とりあえず宣伝。「廊下」の句など、とてもいいように鑑賞していただいており、喜ぶ。この句については、二人の評者の方がそれぞれ、そうは直接書いていないのに「長い廊下」という読みを提示されていて、興味深く思った。そういえば、そうだよな、と。

×××

 先日、八重洲ブックセンターで「田中裕明追悼 ふらんす堂通信 別冊No. 1」という本を発見し、購入。さまざまな媒体に発表された田中裕明の追悼文や句鑑賞などを採録した簡潔な白い冊子である。

 四ツ谷龍の裕明句の頭韻についての議論などの記事が面白かった。前半の追悼記事はどれを読んでも彼の急逝を嘆くもので、やりきれない気分ではあるが、読むほどに胸の締め付けられる思いもしていて、殊に、同じ爽波門だった辻桃子や先述の四ツ谷龍の書いたものは、裕明氏の人となりが見えてくる、いい文章だと思った。

薬罐さげ秋の暑さをわびにけり 裕明

 こんな裕明氏に会ってみたかったな、と思う。あとのまつりではあるのだが。

 他に、坪内稔典の、どうしても一歩距離を置かないと書けない、という感じの文章も、興味深かった。彼は龍太の追悼記事でもそのようなやや戸惑ったような態度を示している。俳句観が異なるうえに、あまり頻繁な交流があったわけではなかったのではないか。議論し尽くせていないのだ。遊び足りない少年が沈む夕日を見送るような、そんなわびしさと戸惑いとかすかな苛立ちを感じる。そのような文章は、僕には、彼なりの賢明で誠実な追悼であると思えるのだった。

 同時代に生きていたのに出会うことのなかった人を思うと、言い知れずさびしい思いがしてくる。2005年にはもう僕も俳句を始めていたのだから、何かのはずみで出会えるチャンスがあってもおかしくなかったはずなのに。そう考えると、同じ時代に生きている人なら、せめて出会っておきたい。

 僕にとって、田中裕明は一冊の本なのだった。「田中裕明全句集」という名の。裕明に出会わなかった者として、僕は裕明の句に出会う。

菜の花や中学校に昼と夜 裕明

 たとえばその本をぱっと開いてこういう句を見つける。彼の句は、彼に会ってみたかったと思わせる句だ。子供のたくさんいる昼の学校だけではなく、誰もいなくなったけれど菜の花は変わらず黄色く明るく息づいている夜の学校をも見つめている彼の視線を、いいなあ、と思う。

裕明に会はずじまひよあらばしり 優夢

 聞けば、若いころは大酒飲みだったと言う。そろそろ新酒の季節だ。
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3 コメント

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初めまして (高校一年生)
2008-09-10 21:47:53
初めまして。9月13日に私の通う吹田東高校に、坪内稔典さんがいらっしゃるらしいです。その日は文化祭です。ブログの内容にあまり関係ないことですいませんでした。
ほほぅ (ゆうむ)
2008-09-10 22:01:21
はじめまして。

僕がネンテン氏に初めてお会いしたのも、高校一年生のときでした。俳句甲子園でした。

せっかく出会う機会があるなら、いろいろしゃべってみると面白いかもしれませんね。カバ好きだから、「カバのこと教えてください!」って話題を振ったらきっと喜ぶことでしょう(日本中のカバに会いに行ったそうです)。
Unknown (高校一年生)
2008-09-10 23:48:22
お返事ありがとうございました。時間があったら行ってみようと思います。カバに詳しい方なんですね(笑

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