思い出のメモ

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中島城跡・丁野山城跡

2010-12-11 | 
丁野山城跡側から小谷山城跡を望む!

中島城跡(砦跡)・丁野山城跡(ようのやま砦跡)
滋賀県湖北町丁野
築城 浅井長政の祖父、浅井亮政

永正15年頃に今現在残る丁野山砦の原型が出来上がり、
山続きにある中島砦は丁野山砦の出城とされた
浅井氏は織田信長と争うこととなり、時の浅井家当主・浅井長政は本拠としている小谷城へ篭城
浅井氏とは古くから同盟関係にあった越前の朝倉氏が救援に駆けつけ、織田軍vs浅井・朝倉連合軍との睨み合いになる
信長は小谷の浅井・来援に来ている朝倉との今後の戦いを考え、極力兵力消耗戦を避ける為に、
中島砦・丁野山砦に陣取る敵兵に退去・降伏策を進めます
浅見対馬が織田に寝返ったことに端を発し、続いて小谷城の後方に位置する大嶽山城を占拠・
その結果、中島砦・丁野山砦の浅井・朝倉軍も降伏~退去し
朝倉軍が撤退し始めた事を織田信長が知ると、信長は自ら先頭に立って撤退する朝倉軍に向かって激しい追激戦
小谷城の浅井氏も遂に織田軍によって攻め滅ぼされ、浅井氏もまた滅亡した。


中島砦には虎口が残り 虎口からすぐに内部が、食違いの土塁によって2つの大きなエリアに分かれいる
周囲を土塁で囲われた本郭が内部にある

丁野山砦は頂上が平坦に均され 城遺構が良く残っている

丁野山砦・中島砦の麓からは、浅井氏本拠となった小谷城が見て取れ、
 街道を挟んでの位置と小谷城までの絶妙な距離(約4km)、
 この位置関係には、兵力で勝る信長もさすがに力攻めはできなかったようです

中島城跡の土塁に囲まれた主郭!


中島城跡の説明!


中島城跡と丁野山城の分岐!


丁野山城跡(岡山)の主郭!


丁野山城跡の説明!


丁野山城跡の配置説明図!



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