由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

諸星大二郎讃

2012年01月29日 | ビジュアル(映画・マンガ、など)
 私が大学生時分からずっとファンを続けている創作家のうち、現存しているのは二人。劇作家(であると同時に童話作家としても秀逸)の別役実と、マンガ家の諸星大二郎だ。両人の作品に共通しているのは、独自のスタイルを持ち、また物語性が強いことである。もっとも別役は、一時、物語性を意識的に削り取ろうとしたことがあるが、それについては後で述べる機会もあるだろう。
 今回は諸星の話である。マンガとは、戦後日本が生み出した唯一の表現形態で、一時は全出版物の半分以上がこれで占められていたと言うが、今もそうだろうか。大元をたどれば、絵と文を組み合わせた「絵物語」と呼ばれるものは世界のいろんなところにあったが、主に手塚治虫という天才の牽引によって、現在の形になった。一連の絵を組み合わせることで、人物の動きと表情に言葉(主として、「吹き出し」中に書かれるセリフ)を重ねてストーリーを展開する。全体の構成は、映画の編集から多大な影響を受けているのは確かだが、もちろんそれとは決定的に違う何かである。まだ新しい表現形式だけに、現在でも少しずつ進化が見られる。諸星大二郎は、その中でも非常に重要な役割を果たし、また果たしつつある作家である。

 『ユリイカ』2009年3月号の「特集*諸星大二郎」に、「幻の初期作品」として「硬貨を入れてからボタンを押してください」が掲載されている。手塚が創刊した漫画雑誌『COM』に、「ぐら・こん」という既成マンガ家の交流と、新人の発掘・育成を目指したコーナーがあり、本作は昭和四十五(1970)年、その「コミックスクール」に投稿され、佳作となって、5・6月合併号に、最初の2頁だけが同誌に掲載されたものだという。ほんの一部だけの不十分な形であれ、諸星マンガがメディアに出た最初であろう。
 これをみると、彼独特の、乾いた、そして残酷なウイットに富んだ作品で、もう諸星ワールドの重要な一要素は完成していたのだな、とわかる。
 本格的なデビュー作は同年『COM』12月号に全編掲載された「ジュン子・恐喝」で、後に『コンプレックス・シティ 諸星大二郎傑作集』(双葉社昭和五十五年刊)に収録された。こちらは、幻想も怪奇も全く含まない、という意味でリアリズムに徹した作品。横に細長い絵を重ねるなど、構成についていろいろ学び、工夫していたことを如実にうかがわせる。
 彼のコマ割は現在に到るまで細かい。前出『ユリイカ』のインタビューで諸星自身が言っていることだが、縦に四コマを基本にしている。多少ともストーリーのある(起承転結、などがある)マンガの基本は四コマなのだから、当然と言えば当然である。が、最近は縦に三段割が商業マンガ誌ではむしろ普通になった。
 また、横には一頁に二コマ並べるのが昔から基準になっていて(因みに、四コママンガのように縦に一列ずつ読んでいくのではなく、最上段の右から左→二段目の右から左…のように読んでいく現代マンガの「文法」を創始したのは手塚治虫だそうだ)、諸星もそれに倣っているが、時には三コマあるいは四コマに分割することもある。このため、マンガ雑誌をペラペラとめくって、諸星の頁になると、全体に黒っぽいことに並んで、コマが細かいのがただちに目につく。つまり、他のマンガ家に比べて、情報量が多いということだ。それは、ストーリーの展開よりは、独特の情緒を盛り上げるための工夫である。
 「ジュン子・恐喝」には縦に五段割の頁もある。そこで例えば、警察の取調室のシーンで、刑事たち一人一人の表情を描きつつストーリーを進めるのは、もしも映画でやったら、うるさく感じられるカット割りということになるだろう。そうならないのは、コマの大小によって変化をつけられるうえに、すべてのコマを含めて一頁を一枚の絵として俯瞰も出来るマンガの特性があるからだ。
 そうかと思うと、主人公たち(ヤクザの男とストリッパーの女)の出会いの場は、鉄橋の上で、横は頁いっぱいを使った絵を五段割の頁に四段重ねている。こちらはすべて遠目から見た絵、映画で言うロング・ショットで、しかも溝口健二や相米慎二ばりの長回しの効果もある。
 作品の内容は、お互いに惹かれ合いながらも、現実には傷つけ合うことしかできない最下層の男女関係を描いたもので、いかにもこの時代の、『COM』や『ガロ』でよく見たマンガである。だけでなく、映画やTVドラマでも同種のものを見たような記憶はある。
 しかしそれらとは一味違うのは、前述した構成の凝り方で、主人公たちへの思い入れよりは、不幸な関係の物語を、一定のフォルムとして提出する意欲が勝っているところであろう。こういうのは、物語作家としては重要な資質であると私は思っている。

 『コンプレックス・シティ』にはもう一つ、「むかし死んだ男」というリアリスティックな作品も載っている。初出は『ぱふ』1979年7月号だが、最後に1972.Jan.と記されており、最初期に書かれたまま発表されなかったものだとわかる。
 主人公は父親に無理心中されかかって、助かった少年。彼は自分を殺そうとして、自らは死んだ父を恨んでいるが、何か大事なことを忘れている気がして、それが頭から離れず、過去を調べている。そんなあるとき汽車を見て、突然、父が機関士だったことを思い出す。仕事をしていたときの父の横顔、同時に、幼いときに引かれた母の手のぬくもり。それがあるなら、家族に何があったのかはもはやどうでもいい、「父にも彼自身にもかつて幸せな時間があったことをしって 彼はふしぎと心がおちつくのを感じた」「和志はその時はじめて 父を許してもいいと思った」。
 すっきりしたよい話である。絵としては、見開き二頁にわたって続く夢のシーンが非常に印象的。線路際の一連の杭、今でも古い駅付近でよく見かける、有刺鉄線を張ってあるあれだが、その杭の列だけが霧の中にぼうっと浮かんでいる感じで、またその列が微妙に折れ曲がっていく。その傍を、最初は成長した主人公和志が一人で、次に幼い姿で父に手を引かれて歩いていく。やがて電車の正面。その前へ行こうとする父と、抱えられた幼子のシルエット。そこに(そうじゃない!と夢の中で叫んだように思った!)というような、吹き出しのセリフではない、一種のナレーションが書き込まれる。
 文字で説明すると、主人公の割り切れない心理状態を表したものとして、平凡なようだが、このような表現方法はマンガ独特であろうと思う。「ジュン子・恐喝」は、映画かTVあるいはビデオドラマでもかなりの程度近いものは作れそうだが、この杭の列は、実写では生々し過ぎるし、アニメにしても、やっぱり絵が一枚の絵として決して完結しないのは、この場合致命的であろうと思う。映画は動画と音声によって、マンガは連続した内容の静止画と文字によって、作品世界を作り上げるジャンルだという当たり前の事実を、改めて教えられた気がする。

 昭和48年、「不安の立像」が『漫画アクション増刊』(9月8日号)に掲載され、翌49年「生物都市」が手塚治虫賞を得て『週刊少年ジャンプ』(7月20日号)に出、同誌9月9日号より「妖怪ハンター」シリーズが連載(五回まで)され、いよいよ諸星大二郎の本格的な活動が始まる。同時に、これらの作品群は、諸星といえばすぐに思い起こされる、おどろおどろしくどろどろしたイメージに彩られたものである。実際には、最初期からずっと引き続いている緻密な構成が、知的で乾いた印象を残すので、「どろどろした」には歯止めがかかっていると思うが。
 これに続く「マッドメン」(最初は「妖怪ハンター」と同じく読み切り短編のシリーズだったものが、後に一部改訂されて立派な長編になった。『少年チャンピオン』1975年増刊8月号が最初)、「暗黒神話」(『週刊少年ジャンプ』1976年5月17日号~6月20日号)、「孔子暗黒伝」(同誌1977年12月12日号~78年2月29日号)の三作は、現在でも諸星の代表作となっている長編である。
 物語の骨子はすべて、少年の自己探求と言ってもよい。現在執筆途中で、諸星最長の作となることが確定的な「西遊妖猿伝」もまた、少なくとも第一部「大唐篇」にはその趣がある。少年マンガで、多少とも「内面」を問題とする「文学的」な作品にしようとすると、どうしてもそうなってしまうのかも知れない。
 しかし、ただちにわかることだろうが、たぶんこの時代・昭和五十年代に始まって現在まで続く若者の「自分探し」の文脈に諸星マンガをあてはめようとすることは無理がある。そういうことならば、「むかし死んだ男」が一番近い。主人公の少年は過去を取り戻すことで、家族と、世界と、ひいては自分自身と和解する。どうも一部で誤解されているように思えるのだが、「自分探し」は、こんなふうに過去に遡及するのでなければ意味がない。未来に「投企する」形の自己は、投企してみて(何かをやってみて)初めて出てくるので、それ以前にどこをどう探したって、見つかるはずはない。ないんだから。
 「マッドメン」「暗黒神話」「孔子暗黒伝」の主人公たちの自分探しは、上とも違う。だいたい、彼らが何者であるかは、生まれる前から決められている。人間が努力してなれるようなものでは全くない、神話上の人物、あるいは神の生まれ変わりなのだ。彼らは彼らの欲求に従って行動するのだが、それは結果として神話の構造をなぞるものとなる。これらのマンガの面白さは、卑近な人間世界のできごとが宇宙の創生にまでシンクロする大胆な跳躍にある。これまた諸星が最初ではないが、ここまでの大仕掛けは彼以前に書かれたり描かれたりしたことはまずなかった。シンクロナイズが完全にうまくいっているかというと、いろいろと理屈に合わないところがあるのだが、跳躍のあまりの高さに目が眩まされて、読んでいるときには気づかなくなってしまうのだ。
 「暗黒神話」の主人公山門武(やまと たけし)は、その名の示すとおり日本武尊の生まれ変わりである。しかし、彼が自ら何かを始めることはない。彼の秘密を部分的に知っている人間たちに引き回され、さらには古代の神々に導かれて、日本中を移動し、体に八つの聖痕を受け、やがて、父を殺して母を死に追いやった菊地彦(母の実弟なので、武の叔父ということになる)を倒す。菊地彦とはクマソのことなので、これは日本武尊の征西神話のなぞりである。
 が、そんなのはほんの序の口。日本武尊=山門武とは、宇宙の根源的唯一者ブラフマン(梵)に直接選ばれたアートマンなのであって、かつて日本の縄文文化を破壊した暗黒神を自由に使える。暗黒神の正体は暗黒星雲で、これが一種の生物なのだとすると、地球どころか太陽系全体を一瞬にして食いつぶすことができるというのだから凄い。凄すぎる。いくつかの文明を滅ぼしただけなんて、話が小さくないか。
 それにまた、日本武尊がそのような存在だったことを暗示するような神話は存在しない。その部分は純粋に諸星の創作であって、そのために「古事記」や「日本書紀」に記されている伝承が、材料として、個々ばらばらにされたうえで組み替えられて、使われる。「これは、一種のはめ絵遊びです。古代史の材料を片っぱしからぶち込み、その一つ一つを関連づけながら事件が展開し、最後に全体を眺めると、ダリの二重像の絵のように全然別の新しい絵が浮かび上がってくる……そういった緻密で壮大なジグソー・パズルをやってみたかったのです」と、単行本『暗黒神話』(創美社発行・集英社発売昭和五十二年)のカバーに諸星自身が書いている通り。
 しかしそれではそのようなゲームだけがすべてかと言うと、決してそうではない。主人公たちの周りにいて、彼らの運命を見届けようとする者や、彼らの神秘な力を己のために使おうとする者たちの人間像は、きちんと印象に残るように描き込まれている。前者の典型が「暗黒神話」の竹内老人=武内宿禰であり、後者の典型がこの作品では菊地彦、「孔子暗黒伝」では、孔子を初め、主人公ハリ・ハラが放浪中に出会うインド・東南アジア・日本の人々である。普通に言って最も劇的なのは後者であって、身の程を知らぬ大望を抱いて神聖なものに近づき、挫折あるいは破滅に至る。人間の努力なんてすべて無駄、と言われているような気もするが、それより、無駄と知りながらも永遠なもの・神的なものにあこがれずにはいられない人間の哀しさが活写されていると見たほうがよい。
 主人公たちについて言うと、ナイーブな少年として登場した山門武は、自分の真の姿を知っても迷ったままだし(人類を救う弥勒菩薩になることは絵で暗示されているが)、「マッドメン」の主人公コドワは、神話通り復活しながら、「俺の神話は俺が作る!」と、妹でもあれば恋人でもある波子(=ナミテ=イザナミ)とともに、旧来の神話世界の外へと逃れてしまう。これは彼が、登場した時点から、部族を率いる若き酋長としての威厳と行動力を充分に示しているからである。どちらも、神と言ってよい存在なのに、一般的な青年の性格を残しているところがいい。「孔子暗黒伝」のハリ・ハラは、根源的唯一者と完全に同化してしまうらしいので、どうにもならないが…。
 このように、諸星マンガの醍醐味は、広大な世界観にあることは確かだが、その中の人間ドラマもそれに劣らず、あるいはそれ以上に魅力的なのである。『文藝別冊 総特集 諸星大二郎 異界と俗界の狭間から』(河出書房新社平成二十三年刊)所収のインタビューでは、創出した登場人物が当初の予想を越えて動き出すので、例えば「西遊妖猿伝」はそれに引きずられたこともあってあの長さになっているのだ、と語っている。キャラクターが作者の傀儡では終わらず、存分に生動する。諸星が大作家であるゆえんは、第一はそこにあると私は思っている。

 最初期から現在まで、何作も書かれてきたという意味では、諸星マンガの代表格である「妖怪ハンター」シリーズについて最後に言おう。この中では最新作「稗田のモノ語り 魔障ヶ岳」(講談社平成十五年刊)が最高傑作ではないだろうか。
 架空の山・魔障ヶ岳の奥に、その「モノ」が潜んでいる。強大な力を持っているが、不定形にして無性格、ただ接する人間の欲望に応じて、いかようにも姿を変える。また、アメーバーのように分裂して増殖もするので、同時に複数の人間の持ち物になれる。物語の中心軸に「何にでもなれるモノ」を置くのはちょっと安易な気がしないではないが、諸星は実に見事にこの「モノ」を動かして見せる。
 山中で「モノ」と出会い、持ち帰った人物は、妖怪ハンターと呼ばれる(シリーズ第一作「黒い探究者」の末尾にそう記されている以外、作中でこの言葉が出てくることはないが)異端の考古学者・稗田礼二郎を含めて四人。稗田の後輩の考古学者・赤井はモノを「魔」と名付ける。するとそれは妖しい魅力を備えた男(後には女)となり、赤井に考古学上の画期的な発見をさせるが、また発掘物の偽造をさせるようになる。やがて赤井は幼い頃からの夢だった邪馬台国発見の妄想に取り憑かれ、奈良盆地の中心にある耳成山こそ卑弥呼の巨大な墳墓だとみなして、一人でシャベルで山を掘っているうちに死んでしまう。
 修験者・信田はモノを「神」と呼ぶ。するとモノは座敷わらしのような童子の姿になって、信田に神通力を授け、ために彼は教祖として信者を集めるようになる。能力の一つは空中浮遊。このへんはオウム真理教のパロディに見える。因みに前の赤井の話は、平成十二年に発覚した旧石器偽造事件を連想させるだろう。ただそれは単なるヒント以上の意味はない。オウム真理教の超能力はインチキだったのだが、それがホンモノであったとすれば、ますますもって善男善女を惑わせる危険が高まることになろう。信田の空中浮遊の最中に稗田がモノを祓うと、信田は崖下に落ちてこれまた死んでしまう。このへん、稗田が信田を殺したように見えるので、後味が悪い。
 四人中唯一の女・岩淵翔子は、恋人で、イラクで死んだジャーナリスト(また実際の事件が連想されるね)の代用をモノにさせる。しかしこのモノは、自分が本当は何者か、不安を感じる。モノの「自分探し」は、三輪山に関する神話・伝説をたどり直すことで遂行される。この部分は「マッドメン」や「暗黒神話」に近い。その結果、もともと何者でもない、だからこそ何にでもなれるモノは、翔子の腹に子どもを残し、あとはただ異界に去るのみである。
 上の三人が「身の程を知らぬ大望を抱いて神聖なものに近づき」過ぎた人物たちであるのに対して、稗田礼二郎は基本的に、事件に立ち会って見届けるだけの人物である。それはこのシリーズ始まって以来変わらない。たまに積極的に行動するのは、異界のものがこちら側(いわゆる現実の、人間世界)へ侵入するのを防ごうとするとき。この作品でも彼はモノに、敢ていかなる名前もつけず、もとの山中に帰し、封印する。
 ここまでの私の説明で、オムニバス形式で綴られたこの作品の真価がどれくらい通じたかはわからない。あと少しだけ説明を試みる。確かに強い力を発揮するが、正体を見極めようとするとひどくとりとめがなく、その意味でも手に負えないのは、人間の欲望そのものだ、とは、読んでいるうちに自然によく納得される。稗田が語る三輪山の苧環(おだまき)伝説の解釈は、それ自体面白いし、モノ神話についての歴史的な厚みを与える。その神話が、宇宙大にまで広がることは本作ではないけれど。
 他の登場人物としては、かつて信田の弟子で、自ら宗教団体を立ち上げた岩田狂天が抜群に面白い。ライブハウスで、ラップで御託宣を下す。ありそうでないキャラ、というか、似たような拝み屋兼ラッパーはもうどこかにいるのかも知れない。彼が稗田の行動をかぎつけて、つきまとうので、ひっそりと行われるはずだった封神の儀式がやたらに賑やかになる。岩田が携帯電話で呼び集めた信者が大勢魔障ヶ岳山中に押し掛けると、赤井によって「魔」とされたモノが、山中のモノに携帯電話を与えるので(!)、交信可能になり、モノは人々の呼びかけに応じて、モーニング娘。(今ならもちろんAKB48だろう)など、様々な形を同時にとって見せる。最後に稗田が祟り神を祓う祝詞を、やっぱり携帯で送って、すべてを収拾する。ただし「魔」だけは祓われずに人間界に残ってしまうというのが、なにか怖いような楽しいような余韻を残す。
 岩田というのは、「面白ければすべてよし」が行動原理だ。他には「コンプレックス・シティ」で初登場した奔放な女・ゼピッタがこのタイプで、彼らは挫折も破滅もしない。ただしゼピッタが活躍するのは、諸星マンガのもう一つの系列であるスラップスティックス・ギャグマンガなのだが、生々しくも切ない願望に焦がれている人間たちのドラマ中にも、こういうトリック・スターをぶちこんで、作品を少し軽く、明るくして見せる。こういう芸当も諸星の力量の一つと言ってよいだろう。

 以上、いろいろ述べたが、私としては、興趣の尽きない作品を生み出し続けている創作家を同時代に持てたことを心から喜んでいる。諸星先生、今後もお元気に、末永くご活躍ください。

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