さぶりんブログ

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【読書録】湖の雄 井伊氏~浜名湖北から近江へ、井伊一族の実像~

2017-07-29 23:22:13 | 読書録
第一章 辰巳和弘 著、第二章 小和田哲男 著、第三章 八木洋行 著 /公益財団法人 静岡県文化財団

佐倉の国立歴史民俗博物館のミュージアムショップで衝動買いした本の一つ。

3部構成になっていて3人の方が書いておられるが、やはり第二部の小和田哲男さんが書かれた部分は、大河ドラマの「おんな城主直虎」の副読本として、ちょうどいい感じの読みやすい本だ。

個人的にすごく収穫があったと思うのは、今川傘下に入る前の井伊氏の記述が書かれていること。

井伊氏の始祖は、一般的には共資の子の共保という人物とされている。共保は藤原道長全盛時代の頃の人である。

共資のルーツは、系図的には藤原氏ということになっているが、共資は、井戸の中に共保を見つけ、男子がいなかったので拾って帰り、養い子とし、自分の娘と結婚させて跡を継がせた、共保はその後、井伊谷に移り住み、井伊氏の祖となったのである。

井伊の祖が拾われ子であることは大河ドラマでもたびたび出て来るが、そのあとのことがあまり出てこないため、今回勉強になった。

南北朝時代に南朝側に立つのである。後醍醐天皇の皇子である宗良親王を井伊谷城にほど近い三岳城に招いて保護したという。井伊氏の勢力範囲には南朝大覚寺統の荘園や御厨が集中していたので、後醍醐天皇もこの地に注目し、皇子の一人を派遣し、南朝の拠点にしようとしたようである。

結果南朝方は敗れ、井伊氏は没落する。また、戦国時代に入ってからは今川氏親による遠江平定の際、三岳城は落ち、井伊氏はさらに没落する。

今川氏親没後は今川氏輝が継ぎ、氏輝も亡くなった頃、状況に変化が出る。今川氏内部での家督争い(花蔵の乱)の中で、井伊直平は今川義元に味方するのである。義元に出仕するに際し、直平は娘を人質として義元に差し出したようである。大河ドラマでは、この娘のさらに娘が築山殿だという説を取る関係で、直平の娘は比較的よく登場したが、井伊が生き残るための起死回生の策として、義元に賭けたという意味では、非常に意味のある人質だったことになり、義元なかりせば井伊の再興もなかったのかと思うと、単なる今川憎しでもないような気がする。

尚、関ケ原で島津が敵陣突破という意表をついて退却する際に、直政がほぼ単騎で追いかけ、鉄砲で打たれて大けがをするという話は知らなかった。随分血気にはやる人間だったんだな。打たれてからもしばらくは持ちこたえるが、結局はその鉄砲傷は治らず、死の原因にもなったようで、徳川家康を支えた英雄の最後としてはちょっと悲しいのであるが、今後大河ドラマで直政がどう演じられるか、ちょっと楽しみではある。
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