さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

ヨハネ受難曲・本番!

2018-11-10 22:04:10 | ただの日記
ほぼ満席のお客様を前に、ヨハネ受難曲の本番、無事終了しました。

ここまで合唱団を率いてくださった先生方や幹事の皆さま、一緒に演奏してくださったプロの音楽家のみなさま、足を運んでくださったお客様に、ひたすら感謝するしかありません。

私は実は同じ合唱団で10年前にヨハネ受難曲の本番を経験しているんですが、その時は私の仕事人生の中でも最も大変な時期の一つで、練習には半分ぐらいしか出られず、合唱団が歌う部分だけをCD音源から抜き出すと1時間ぐらいなものだから、1時間だけカラオケを借りて自主練するということを直前に何回も繰り返して本番を迎えたのでした。その時は自分が歌う部分で精いっぱいで、エヴァンゲリストの語る世界やソリストさんの歌われるソロにまで思いが及ばず、合唱の出番が終わって椅子に座ると、30秒もしないうちに睡魔が襲ってくる・・ステージの上で何度も意識を失うという恐ろしい経験をしました。

今回はそんなことにならないように、気合を入れて・・・と思っていたのですが、数々の本番と練習が重なり、かつ何度か体調を崩して練習に出れないことが相次ぎました。それでも10年前と自分と比べるとドイツ語歌詞が格段に自分の身体に入ってくることに感動しました。それであれば、10年前の反省を踏まえて、合唱以外の部分の歌詞をちゃんと把握しようと思いました。


幸い、指導してくださる先生が作られた、対訳と単語の解説がありました。これを読むだけではやはり体に入ってこない・・しかし、楽譜にはすでに書き込みが多くて、これ以上書くと何だか分からなくなってしまう・・ということで、対訳ノートを作り、歌詞と和訳を全部書き出し、歌詞部分に単語の意味を赤字で追記していく作業をしました。

これは昼休みを使ってコツコツとやりましたので、何カ月もかかりましたが、全部写し終わりました。今回は音源CDと大分解釈が違う演奏なので、敢えてCDを聴かないようにしていましたが、本番前にこの対訳ノートを見ながら、全曲通して聴きました。

おかげで、合唱の出番以外のところも、本番中、その世界にしっかり入ることが出来ました。

敢えて書き写す・・ということで、今更ながら気づいたことがあります。この曲は受難曲なので、主役はイエスキリストなのですが、もう一人主役がいて、それはピラトだと思います。そのピラト・・イエスを死刑にしたくなくて驚異的な粘りを見せるんです。十字架につけろと迫る民衆に対するピラトの粘り・・しつこく粘ってくれるから合唱の出番が多いんですよね。私はミッションスクール出なので、聖書には慣れ親しんでいるつもりでしたが、ピラトってそんなに粘ってたっけ・・と思い、久しぶりに聖書を引っ張り出してみました。ヨハネ受難曲はヨハネによる福音書に基づいていますが、ヨハネ受難曲に相当する部分はたったの4ページ強です。おそらく若い頃の私はここをさらっと読んでしまって、ピラトの粘りについてあまり気にしていなかったのかもしれませんが、あらためて読んでみると、群衆とのやりとりはヨハネ受難曲とぴったり一致しています。

私が一番好きなのは、イエスを十字架につける時、ピラトが十字架の上に「ナザレのイエス、ユダヤ人たちの王」と書いた札を掲げた時のエピソード。ユダヤ人の祭司長達が反発して「ユダヤ人たちの王と書かずに、ユダヤ人たちの王であると自称したと書いてほしい」と迫るのですが、ピラトが応じず、そのままにする場面です。この最後っ屁のようなピラトの抵抗は、どうやらヨハネによる福音書独自のもののようで、マタイによる福音書・マルコによる福音書・ルカによる福音書を読み比べてみましたが、該当部分は書かれていませんでした。

こうなると、ピラト=めっちゃイイ人の図式が出来上がってしまうのですが、実際のピラトはイエスの処刑から数年後、統治があまりに残忍だとして総督職を解かれてしまったんだとか・・・と言う話はヨハネ受難曲を演奏するには無駄な知識ですが、いろんな意味で、世界が広がり、実際はどうだったんだろうとイマジネーションが膨らんだのでした。

今回の演奏会で、もう1点、10年前にはなかった点として、ヴィオラ奏者の方が持ち替えでヴィオラ・ダモーレを弾いてくださったのが、感動的でした。イエスのムチ打ちの場面を象徴する印象的な前奏のある20番のテノールのアリア・・・前回はヴァイオリン二挺で表現し、それはそれでよかったのですが、そこをバッハの指示通りヴィオラ・ダモーレでやると、まるで心を持って行かれるような不思議な体験をしました。ヴィオラ・ダモーレは7本の弦を持ち、さらに同数の共鳴弦がありますが、その共鳴弦がちょっと金属的な響きを出し、我々の心をバロック時代の彼方にいざなうんですよね。そこにヴィオラ・ダ・ガンバも響きも加わった時の感動は答えられない・・というか、何でヴァイオリン属はヴィオール属を駆逐してしまったんだろう・・という残念な思いでいっぱいになってしまいます。バッハは主にヴァイオリン属の楽器を弦楽器のメインとしながらも、特に心の奥にずしっと来るような重要な場面でヴィオラ・ダ・ガンバやヴィオラ・ダ・モーレを使うことで、曲を浮かび上がらせ、印象付けるという工夫をしたんでしょうね。

合唱団は合唱団で、コラールの部分の解釈を、一般に出回っているCD音源よりもさらに深い表現を目指して頑張りました。ピラトやエヴァンゲリストとの掛け合いの部分は、テンポが速くて難しいですが、それよりも難しいのは・・実はコラールだということが分かりました。

今回の演奏は、そういう意味で、工夫を凝らし、より深いところを狙った演奏となりましたが、このように音楽の世界を深めていくということには終わりがなく、厳しい道であるということも同時に痛感しました。私自身の練習状況や体調管理面でも反省点は極めて多く、次に向けて心を入れ替えてまた頑張って行きたいと思う次第です。
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