幼稚園の裏の花壇のチューリップがすっかりお花を落として葉っぱだけになっています。
絵本で「土の中に“球根”がある」ということを調べた子どもたちが今日「球根掘り」をしました。
今日、園長先生が「わたしたちは神さまから善いものとして創られたけれど、手も足も口も『良いこと』にも『悪いこと』にも使える」というお話をしてくださいました。それはわたしたちひとりひとりが、自由に選んで神さまの方を向いてほしい、自分で選んで善いことをしてほしい…(無理やり神さまの方を向かせるのではなく、あくまでも自分の自由意志で神さまや善を選んでほしい)…という神さまの愛の表れなのだそうです。
そんなお話を聞いた子どもたちは「手を神さまが喜ぶことに使おう」といいながら球根掘りをしていました。
去年もさつまいもの苗を植えたり、草取りをしたことを覚えている子は「これは神さまのお手伝いだね!」とうれしそうな顔。
「あった!」「ここにもあるよ!」夢中になって土を掘る子どもたちの顔は嬉々としています。
「どんなにおいがするかな…」と興味深そうににおいをかぐ子もいて笑ってしましました。
「神さまは“いのち”を終わらせないで、ちゃんと次の“いのち”を準備しているんだね」という子どものひとことには脱帽!
子どもたちの感性ってすごいな…とあらためて感動しました。
これから各学年ごとに、さまざまな「いのち」を育てる体験をしていく予定ですが、そんな中からたくさんの不思議やいのちの尊さを学んでいってほしいと思いました。
絵本で「土の中に“球根”がある」ということを調べた子どもたちが今日「球根掘り」をしました。
今日、園長先生が「わたしたちは神さまから善いものとして創られたけれど、手も足も口も『良いこと』にも『悪いこと』にも使える」というお話をしてくださいました。それはわたしたちひとりひとりが、自由に選んで神さまの方を向いてほしい、自分で選んで善いことをしてほしい…(無理やり神さまの方を向かせるのではなく、あくまでも自分の自由意志で神さまや善を選んでほしい)…という神さまの愛の表れなのだそうです。
そんなお話を聞いた子どもたちは「手を神さまが喜ぶことに使おう」といいながら球根掘りをしていました。
去年もさつまいもの苗を植えたり、草取りをしたことを覚えている子は「これは神さまのお手伝いだね!」とうれしそうな顔。
「あった!」「ここにもあるよ!」夢中になって土を掘る子どもたちの顔は嬉々としています。
「どんなにおいがするかな…」と興味深そうににおいをかぐ子もいて笑ってしましました。
「神さまは“いのち”を終わらせないで、ちゃんと次の“いのち”を準備しているんだね」という子どものひとことには脱帽!
子どもたちの感性ってすごいな…とあらためて感動しました。
これから各学年ごとに、さまざまな「いのち」を育てる体験をしていく予定ですが、そんな中からたくさんの不思議やいのちの尊さを学んでいってほしいと思いました。