母を探して何度も帰郷した際、大勢の方に親切にしていただき、これまでもその話をブログで紹介させていただきましたが、もう一人大変お世話になった方を思い出しましたので書かせていただきます。私の恥さらしな話でもあるのですが・・・。
震災後に走り始めた深夜バスは、大槌のマスト跡地近くにあるローソン(私の友人が経営している)前から、釜石経由池袋行きであった。今は「山田の道の駅」と池袋をつないでいる。
ある日、遺体安置所を廻った後、バスの出発までかなり時間があったので一人で釜石駅近くの居酒屋で飲み、さらにその後駅の待合室でまた酒を買って飲んでいた。待合室には外人の新聞記者らしき人が居て、ちゃんと英語も話せないのに話かけたら、英語は解らないとフランス語らしき言葉で答えてくれた(酔っ払いに話しかけられて、ワカラン!と言っただけかもしれない)。その頃、某DTS合唱団で「アヴェヴェルム・コルプス」を練習していたので、フランス語の発音を教えてもらおうと、カバンの中に入っているはずの楽譜を探しているうちに、私の記憶がフェード・アウトしてしまった。
ふと目が覚めたら、既に東京・池袋行きのバスは出発した後であった。長距離バスだし、釜石駅はこのあたりではメインターミナルなんだから、乗客に声ぐらいかけるだろうと勝手に思っていた。でもサラッと来てサラッと出発してしまったらしい。ジェジェジェと驚きつつ、自分勝手な酔っぱらいの我儘とダメ元でバス会社に電話してみたところ、なんと迎えに行くと言ってくれた。
すぐに釜石駅に普通の乗用車が乗り付け「乗れ」と言う。運転手の方はいかにもプロという感じで、深夜とはいえ恐るべきスピードでバスを追いかけ始め、花巻の「道の駅」でバスに追いついた。釜石と花巻の間は50㎞ぐらいある。そしてサラッと私をバスに引き渡して帰って行った。別料金は無しである。
こんな勝手な酔っぱらいをここまで面倒を見てくれていいのだろうか?大変大変、感謝はしているのですが。
朝になって池袋駅に到着したときもまだ酔っぱらっていた。
震災後に走り始めた深夜バスは、大槌のマスト跡地近くにあるローソン(私の友人が経営している)前から、釜石経由池袋行きであった。今は「山田の道の駅」と池袋をつないでいる。
ある日、遺体安置所を廻った後、バスの出発までかなり時間があったので一人で釜石駅近くの居酒屋で飲み、さらにその後駅の待合室でまた酒を買って飲んでいた。待合室には外人の新聞記者らしき人が居て、ちゃんと英語も話せないのに話かけたら、英語は解らないとフランス語らしき言葉で答えてくれた(酔っ払いに話しかけられて、ワカラン!と言っただけかもしれない)。その頃、某DTS合唱団で「アヴェヴェルム・コルプス」を練習していたので、フランス語の発音を教えてもらおうと、カバンの中に入っているはずの楽譜を探しているうちに、私の記憶がフェード・アウトしてしまった。
ふと目が覚めたら、既に東京・池袋行きのバスは出発した後であった。長距離バスだし、釜石駅はこのあたりではメインターミナルなんだから、乗客に声ぐらいかけるだろうと勝手に思っていた。でもサラッと来てサラッと出発してしまったらしい。ジェジェジェと驚きつつ、自分勝手な酔っぱらいの我儘とダメ元でバス会社に電話してみたところ、なんと迎えに行くと言ってくれた。
すぐに釜石駅に普通の乗用車が乗り付け「乗れ」と言う。運転手の方はいかにもプロという感じで、深夜とはいえ恐るべきスピードでバスを追いかけ始め、花巻の「道の駅」でバスに追いついた。釜石と花巻の間は50㎞ぐらいある。そしてサラッと私をバスに引き渡して帰って行った。別料金は無しである。
こんな勝手な酔っぱらいをここまで面倒を見てくれていいのだろうか?大変大変、感謝はしているのですが。
朝になって池袋駅に到着したときもまだ酔っぱらっていた。