2014年10月2日、「大槌町吉里吉里地区震災復興区画整理事業・仮換地(案)個別説明会」が東京地区では神田の旧今川中学校で開催されました。
長いタイトルですが、要は被災地を盛土などし再開発して、再度元の所有者に割り振る新しい区画を説明するものです。その新しく割り当てられる土地を「仮換地」と言うのだそうです。我が家があった場所は、盛土して再度住宅地になるのですが、居住禁止地区になった土地の所有者はどうするのでしょう?
おそらく町や県が買い上げて新しい住宅地を買う、または交換することになるのでしょうか。
本日、私に提示された仮換地は元の場所でした。元々角地だったのでほとんど移動もありませんでした。以前はびっしり住宅が連なっていましたが、今度は1ブロック5~6軒単位ぐらいに区切られた感じになるようです。しかも私の土地の北西と北東は公園になります。さらに同ブロックの南東も緑地です。三方を公園に囲まれた感じになるのでしょうか。海は北東に見通すことができそうです。
しかし海までの間に高さ13.2mまでかさ上げした国道45号線と、同じぐらいの高さに再度築く堤防があります。つまり堤防と国道の2重の防壁で津波に備えようというものです。私の土地も13.6mまで嵩上げされるとのことです。私が仕事で通っている東京・新橋の標高は海抜2~3mなのでその高さはかなりの感じがするでしょう。海に行くにはトンネルと階段になるのでしょうか。お年寄りには厳しいかもしれません。
仮換地の面積は元より狭くなると言われておりましたが、結果ほぼ同じ面積でした。ただし、元は長方形でしたが、今度は正方形に近い形になるようです。また、今後の造成工事後に若干は提示の面積が変わる可能性があり、その場合は金銭で調整だそうです。(広くなったら私がお金を払い、狭くなったらもらう)。場所は同じですが住所表示は変わるようです。今は大槌町吉里吉里2丁目6番10号ですが。
さて、実際には下水道などのインフラ整備を行い、予定では家を建てることができるようになるには後1年後だそうです。ご存知のように東北の復興工事は資材と人手の不足で、遅れに遅れております。一年後はどうなっているでしょう。
そして私はどうしているでしょう。もう大勢の家族と住むことはあり得ないし、小さな小屋でも建てましょうか。晴耕雨読、飼犬釣魚、朝歌夕飲、献郷守墓もいいかもしれない。時々は誰か訪ねてくれるでしょう。
長いタイトルですが、要は被災地を盛土などし再開発して、再度元の所有者に割り振る新しい区画を説明するものです。その新しく割り当てられる土地を「仮換地」と言うのだそうです。我が家があった場所は、盛土して再度住宅地になるのですが、居住禁止地区になった土地の所有者はどうするのでしょう?
おそらく町や県が買い上げて新しい住宅地を買う、または交換することになるのでしょうか。
本日、私に提示された仮換地は元の場所でした。元々角地だったのでほとんど移動もありませんでした。以前はびっしり住宅が連なっていましたが、今度は1ブロック5~6軒単位ぐらいに区切られた感じになるようです。しかも私の土地の北西と北東は公園になります。さらに同ブロックの南東も緑地です。三方を公園に囲まれた感じになるのでしょうか。海は北東に見通すことができそうです。
しかし海までの間に高さ13.2mまでかさ上げした国道45号線と、同じぐらいの高さに再度築く堤防があります。つまり堤防と国道の2重の防壁で津波に備えようというものです。私の土地も13.6mまで嵩上げされるとのことです。私が仕事で通っている東京・新橋の標高は海抜2~3mなのでその高さはかなりの感じがするでしょう。海に行くにはトンネルと階段になるのでしょうか。お年寄りには厳しいかもしれません。
仮換地の面積は元より狭くなると言われておりましたが、結果ほぼ同じ面積でした。ただし、元は長方形でしたが、今度は正方形に近い形になるようです。また、今後の造成工事後に若干は提示の面積が変わる可能性があり、その場合は金銭で調整だそうです。(広くなったら私がお金を払い、狭くなったらもらう)。場所は同じですが住所表示は変わるようです。今は大槌町吉里吉里2丁目6番10号ですが。
さて、実際には下水道などのインフラ整備を行い、予定では家を建てることができるようになるには後1年後だそうです。ご存知のように東北の復興工事は資材と人手の不足で、遅れに遅れております。一年後はどうなっているでしょう。
そして私はどうしているでしょう。もう大勢の家族と住むことはあり得ないし、小さな小屋でも建てましょうか。晴耕雨読、飼犬釣魚、朝歌夕飲、献郷守墓もいいかもしれない。時々は誰か訪ねてくれるでしょう。
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